第百七十五話 求められるは──(カディナのお話)
「私がジーニアス魔法学校に来て教師として就任した少し後に入学した子ですよ、カイルス君は。もっとも新人であった私はノーブルクラスの担任ではありませんでしたがね」
授業を受け持つ教師として、カイルスとの接点はそれなりにはあった。
「カイルス君は優秀な生徒の集まるノーブルクラスでも主席として存在感のある子でしたよ。そう言った意味では、今のリース君に近かったかもしれません」
「……ローヴィスと同じで、決闘においては常勝無敗であったと」
少なくとも、学生時代に同じ生徒相手に敗北を喫したことはないと兄の口から聞いている。と、ウェリアスはカディナの言葉を聞いて顎に手を当てた。
「確かに、私の記憶にある限りで彼が学生時に同級生相手に決闘で負けたことはありませんでした。ですが、その辺りに関して戦いぶりはリース君とは決定的に違いがありましたね」
「え?」
「カイルス君は間違いなく、魔法戦においては頭角を表しておりました。ですが、どのような相手からも無差別に挑戦を受けていたリース君とは違い、彼は決闘を受ける際に相手には必ず条件を提示していました」
「条件……?」
いまいちピンとこないカディナが首を傾げると、ウェリアスは面白そうに微笑んだ。
「己の以外の誰かと戦い一つ以上の勝ち星を得た者のみ、決闘の挑戦を受けていました。カディナ君にはその理由がわかりますか?」
「全ての挑戦を受けるには、あまりにも数が多かった……ということでしょうか」
現に、学年主席であるリースの元には日々、数多くの挑戦が寄せられている。彼は己の勉学や鍛錬に支障をきたさない範囲で、可能な限りは受けているようだ。それは一重に、無属性故に魔力を即時に回復できる特性と、日頃の鍛錬からくる並外れたスタミナがあるからだ。
「もちろん、それもあったでしょう。ですが、それだけではなかったと私は考えています」
「と、言いますと?」
「戦い方の心構えとでも表現すればいいのでしょうかね。相手の全力を引き出し真正面から打倒することを是とするリース君とは対照的に、カイルス君の戦いぶりは相手の弱みを突き勝ちを狙っていくものでした」
それこそ決闘の相手に明確な弱点があれば、傍目から見ればエグいとさえ思えるほどに徹底的に狙っていた。時には相手が実力を発揮する暇さえ与えずに速攻で決闘を終わらせたこともある。あまりの容赦のなさに、心を折られてしばらく立ち直れなくなる生徒もいたという。
「……あのお兄様が?」
「対戦相手を勝ち星を得た者に限っていたのは、その生徒の戦いぶりを決闘で必ず一度は観察するためだったのでしょう」
実家で己を相手にする時も、リースと戦っていた時も、優雅で圧倒的な力量を見せつけていたカイルス。ウェリアスの語る過去の兄とはあまりにも乖離していた。
「その様子ですと、意外だったようですね」
「正直なところ驚いています」
「さすがに、将来のある若人の心根を折りにくるほど、彼も鬼ではなかったというわけですか」
よくよく考えれば、学生時代の兄の決闘相手は同じく学生だ。もしかすれば実力が伯仲する同級生もいたのかもしれない。万が一にでも負ける可能性のある相手に全力で挑むのは当然と言える。
逆に、今の兄は学生の頃に比べれば遥かに上の領域に達している。現在の学生相手に、過去で同じ学生と相対した時のような戦いを見せるのはあまりにも大人気がなさすぎる。
その点に限れば納得できたが、やはり意外に思う気持ちは拭いきれなかった。
「……どうして兄はそこまで徹底的に勝ちを追求する戦いぶりを見せていたのでしょうか。兄ほどの実力があれば、策を立てずとも勝つことはできたと思うのですが」
「私も、本当のところはわかりません。先ほども言ったように、授業において質問があれば答える程度で、カイルス君と特別に深く接する機会はありませんでしたから。もしかすると私が一方的に知っているだけで、彼はこちらのことを覚えていないかもしれませんね」
自嘲を漏らすウェリアスであったが、それは謙遜が過ぎるというのがカディナの感想であった。
忘れてはならないのは、ジーニアス魔法学校に入学できるということは才を認められた優秀な若者であることは確かだが、そうした有望な魔法使いの卵を教育する側として認められた教師が只者であるはずがないのだ。
「ですが、私なりに想像できるところはあります。それでもよろしければ」
「お願いします」
「良いでしょう」
ウェリアスは一呼吸を置くと、ゆっくりと語り出した。
「カイルス君は学生であった当時から、自身がアルファイア家の次期当主としての心構えを持って決闘に臨んでいたのでは。あくまでも私の考えでですが」
別におかしい話ではない。カイルスは元よりアルファイア家の長男であり、将来を期待されるだけの才能を有していた。父からも、昔から己の才能に驕ることなく日々励んでいたとお墨付きをするほどだ。それが勝利に徹する戦いぶりにどう繋がるのか。
「ここでいう心構えというのは、単に当主を継ぐという意味ではありません。アルファイア家の当主となった者に求められる役割が重要です」
「アルファイア家当主の役割……ですか」
例えば、ラピスの生家であるガノアルク家の役割は、戦時における防衛。拠点にて敵を待ち構え迎え撃つ国家の『盾』だ。
そしてアルファイア家はまさしく『矛』。眼前の敵を打ち砕き『勝利』を得ることこそが役割。
カディナはそこでハッとなる。
「お兄様は学生であった頃から、戦場に出ることを想定していた?」
「我々魔法使いにとっての決闘はあくまでも魔法の研鑽の過程。しかしカイルス君は決闘に──戦いの延長上にいつかくるかもしれない戦場を見据えていたのかもしれません。だから徹底的に勝ちに拘った」
もし戦場で一度でも敗北すれば、背後にあるのは無辜の民。その双肩には自身だけではなく、国民の命も掛かっている。カイルスは学生のことからそれを意識していたのではないか。
「……とまぁ、それらしく話してみましたが、実際のところはどうでしょうか。実は根っからの負けず嫌いだっただけなのかもしれませんが」
そう言ってウェリアスは笑いながら付け足した。
──カディナは考える。
今まで自分は、アルファイア家に恥じぬ自分であろうと研鑽を続けてきた。この学校に入学し学ぶ日々を経て、魔法に対する情熱を改めて抱くことができた。それそのものはきっと、悪いことではない。
でも、アルファイア家に恥じぬ自分とは結局何なのだろうか。
これまでリースに挑む機会はいくらでもあった。申し出ればきっと、彼は快く受け入れてくれたはずだ。なのに、勝てる光景が思い浮かばずに先延ばしにしてきた。心のどこかでそれを恥だと考えていた。アルファイア家の人間にあるまじき行いであると。そのことがずっと、心の奥に暗い影を落としていた。
──だがもし兄が同じ立場にいたらどうだろうか。
おそらくではあるが……兄も同じ選択をしたのではないかと思う。
ウェリアスから聞いた話だけではない。
兄がリースと戦った時、彼は始まる間際に妹に伝えたのだ。
『もし本当にリース君を倒す気概があるのであれば、今から始まる戦いをしっかり見届けることだ』と。
今ならあの言葉の本当の意味がわかる気がする。
カイルスを見て学べということではない。
──カイルスに挑むリースの戦いぶりをつぶさに観察しろ、とそう言いたかったのだ。
見るべきであったのはカイルスの戦い方ではない。リースの戦い方──その隙だ。
「百の戦いに九十九勝したところで、たった一つの敗北で全てを失いかねない。であるなら、一戦一戦を確実に勝利する。アルファイア家の武功というのは、その積み重ねなのかもしれませんね。……と、一介の教師ごときが口にするには不遜でしたか。今のは忘れてください」
朗らかに笑うウェリアスであったが、カディナの表情を見て頷く。今の彼女の目には、先ほどまであった不安の明かりは消え失せ、何かを掴んだ強い光があった。
「ありがとうございますウェリアス先生。お陰様で、私の中でも指針のようなものができました。貴重なお話を聞かせていただき感謝します」
「教師として生徒の手助けをするのは当然。礼には及びません。お力になれたようで何よりです」
カディナはウェリアスに深く頭を下げると、意気揚々と彼の部屋を出ていった。




