第百七十四話 かつての兄と今の自分と(カディナのお話)
奇妙な修行合宿(?)を経てからしばしが経過した。
校内戦の日取りが徐々に近づいていく中で、カディナは未だ晴れぬ霧の中にいるような日々を送っていた。
このままではよろしくないと頭では分かっているのに、気持ちがうまく切り替わらない。本格的に調整を始めなければならない時期だというのに、今無理をすれば確実に良くない結果に終わるという確信すらあった。
わざわざ貴重な休日を潰してまでリースの修行について行ったというのに、それがさらに彼女を悩ませる事となった。本末転倒だ。だが、あそこで無視を決め込むという選択肢があったかと思い返すと、答えはやはり否だ。
落ち着くために図書館で本でも読もうと思ったが、残念ながら効果は全くなかった。試しに本を手に取り読んでは見るものの、ほとんど頭に入ってこない。
リースは今頃、合宿の終わり間際に見つけた新たなる魔法の可能性を模索し四苦八苦している事であろう。未だに実を結んでいないのは、毎日教室で会う時に見せる顔で分かる。だがそれは決して負の側面だけではない。苦々しく歪む表情の中には間違いなく、前へと進んでいる力強さが見え隠れしていた。
対して自分はどうだ。
リースが今大きな壁を前にしもがいているのであれば、カディナにとっての大きな壁はまさしくリースそのもの。入学式を経てから今に至るまで少なくない時間が経過しているというのに、未だにリースという魔法使いに勝つための道筋が浮かび上がらない。
こうしている間にも、リースは着実に一歩ずつ進んでいる。刻一刻と、時を置くごとに越えるべき壁が高くなっている感覚に陥っていく。
「あまり捗ってはいないようですね」
文字の羅列が視界を横切るだけの時間を過ごしていたカディナは、側から掛けられた声にハッと顔をあげた。いるのは本を小脇に抱えたウェリアスであった。
「お邪魔かもとは思いましたが、声をかけさせていただきました。どうでしょうか、気分転換に少しお茶でも」
誘いを受け、カディナはウェリアスの部屋に赴いていた。
「アルファイア家ご令嬢のお口に合うか分かりませんが」
「いえ、ありがとうございます」
ウェリアスが用意してくれたお茶を飲むと、口の中にほのかな爽快感が溢れる。鬱屈した気分がそれだけで僅かではあったが晴れる気がした。
「実のところ、カディナ君に声をかけたのは完全に偶然とういわけではないんですよ」
同じく、茶器に口を付けたウェリアスが、早々に言った。
「……校内戦の件についてですか」
「察しが良いですね。学校長から仰せつかっていまして。ノーブルクラスの上位生徒にそれとなく気を遣ってほしいと」
校内戦は、学園生活においての大いに盛り上がる行事だ。加えて、カディナを含むノーブルクラスの上位三名は各ブロックに配置される優勝候補だ。参加する他の生徒たちは皆、その優勝候補たちを倒そうと全力で挑んでくる。
「…………私たちが不甲斐ない姿を見せれば、ノーブルクラスの存在価値が揺らぎますから。当然と言えば当然ですか」
「気を悪くしたら申し訳ありません。ただ、確かに学校長の指示ではありましたが、私個人としても少し心配だったんですよ。普段は熱心に授業を受けている君が、ここしばらくはずっと上の空でしたから。まぁ、図書館に行ったのは資料のためであってそのあたりは偶然でしたが、折を見て声をかけようとは思っていましたので」
「それは……ご心配をおかけしました」
自身の不調は、思っていた以上に周囲に漏れていたようだ。アルファイア家の人間としてだらしないと、カディナはさらに恥ずかしくなった。
「どうでしょう。気の置けない友人であるからこそ、話しにくい悩みというのもあるでしょう。ここは一つ、私にぶつけてみるというのは。もちろん、可能な範囲であればですが」
少し悩んだカディナであったが、やがては訥々と語りだした。
兄カイルスとリースの決闘から始まり、先の休日に合宿に同行(?)したこと。それ以前からずっと感じていたリースと己の差を、改めて思い知らされたような気がした。そのことをうまく頭の中で整理できずにいる。
黙って話を聞いていたウェリアスは合点がいったように頷いた。
「なるほど……これは確かに、友人には話せない内容だ。抱え込んでしまうのも無理はない」
「それもありますし、リース・ローヴィスを容易く相手して見せたお兄様に比べ、未だに決闘を挑むこともないまま校内戦に望もうとする自分があまりにも不甲斐なくて」
アルファイア家の末席に連なる者として恥ずべきことだ。口にすることで改めて悔しさが込み上げ、膝の上に置いた両手を強く握りしめた。それを見たウェリアスは苦笑する。
「それは比べる相手が間違っています。カイルス君だって最初からアルファイア家当主であったわけではありません。相応の経験と実績を積んだからこそ誰もが認める魔法使いになったんですから」
「しかし──」
素直に受け入れられないカディナが言葉を重ねる前に、ウェリアスが被せる。
「私の記憶違いでなければ、今の君と学生であった頃のかつてのカイルス君とではそれほど差はないはずですよ」
「お兄様の……学生時代?」
カイルスもジーニアス魔法学校の卒業生。つまりは彼もカディナと同じく学生であったのだ。そんな当たり前の話を、カディナは今更ながらに認識した。
カディナの反応に、ウェリアスは微笑んだ。
「当時の彼について、やはり気になりますか」
「ええ…………正直にいえば」
流石に顔に出ていたようで、ウェリアスに促されたカディナは恥ずかしげに頬を赤くしながらオズオズと頷いた。己の知らない兄の学生時代。興味がないといえば嘘に……否、非常に興味があった。