第百七十三話 訓練しているようですが アルフィの場合(そのに)
ゼストから教示を受け始めて丸一日が経過していた。
その間に行われていたのは、魔法の撃ち合い。
攻め手と守り手に別れ、初級魔法を使う。二人の中央から両者の手前側にそれぞれラインを設定。その境界の内側まで魔法の侵入を許したら攻め手の勝ち。一定時間防ぎ切れば守り手の勝ち。勝敗が決まったら攻守を入れ替えるという、単純な遊びだ。
ただし、アルフィには二つの禁則事項が設けられた。
同時投影の禁止と、ゼストと同じ水と土の二属性だけの使用だ。
──そうしてゲームが開始されてみれば。
「あぁ、くそっ!?」
「はい、また俺の勝ち」
ゼストの放った魔法の相殺したのは、境界の手前側。この時点でアルフィの負けが決まる。悔しげに歯を噛み締めるアルフィとは対照的に、ゼストはいつもの気怠げな様子のままだ。この様子が、両者におけるこのゲームの勝敗数を示していた。
現時点で、アルフィの勝率は攻め手においては三割。そして守り手の際には二割を下回っており、攻守とも圧倒的にゼストの勝ち星が上回っていた。
しかも、アルフィが勝てたのは昨日においては終盤あたり。ゼストの魔力が切れて息切れしたところにようやくと言った具合だ。
「まぁ、縛りに縛りを加えたところでようやくってところなんだがな。これでおまえさんに勝ち誇れるほど俺も性根は腐ってねぇよ」
謙遜もないゼストの言葉であったが、それを耳にしながらアルフィはこのゲームが行われている意図にようやく気がつき始めていた。いや、ゼストが見出したアルフィの欠点とやらは既にゲームの開始前に聞かされていた。ただそれを今まさに身に染みて実感し始めているところであった。
「身をもって味わったはずだ。おまえさんも無自覚だった欠点をな」
まるでアルフィの内心を見透かしたよに、ゼストが口を開く。
「はっきり言って、俺がこの速度で投影できるのは初級だけだ。中級以上は目も当てられねぇ。でもって、投影する速度そのものは、実はお前さんの方が早い。なのに負けが越してる。それはどうしてか」
「……魔法を見てから投影を始めるまでが遅い」
「分かってるようで何よりだ」
攻め手の時よりも守り手時の方が負けが多いのは、ゼストの打ち出す魔法に対してアルフィの反応が遅れているからだ。ほんの些細な遅れが積み重なり、直前のような負けの場面が圧倒的の多かった。
では、なぜ投影を始めるまでの時間がゼストに劣っているのかが次の問題。
「使える魔法の多さは魔法使いの戦闘においては圧倒的な利点には違いないが、時には手数の多さが足枷になることもある」
使える魔法が多ければ多いほど、一つ一つの魔法に対する造形を深めるの苦労する。これは単に投影の精密性だけの話ではない。いついかなるタイミングで魔法を使うという判断を含めてだ。
属性を複数持つ魔法使いは顕著であり、四つの属性を使えるアルフィは最たるものだ。
ゲームの負け越しは、使用する魔法の属性を二つに縛られたことも大きかった。咄嗟に火や風属性の魔法を使おうとしてしまい、咄嗟に中止して水か土のどちらかを投影し直す。これだけでも致命的な遅延を引き起こす。
「おまえさんの場合、精密性って点は多少甘かろうが魔力の多さでゴリ押しが効く。だが判断の面ではそうはいかねぇ」
判断の早さというのは、思考の早さに限らない。幾多の経験を積み重ねによって向上していく。一流の魔法使いというのは目から入る情報を頭が処理する前に、心身が経験則で己にとっての最適解を導き出し魔法を使っているものだ。
「残念ながら、お前さんはまだまだその域には達しちゃいない。ぶっちゃけた話、多少判断が遅れたところで、そいつを帳消しにして有り余る手数があるからな。これまであまり気にかけたこともなかったんだろうよ」
だが、と。
「逆に手数の少なさ──選択肢の狭さが有利に働くことがある。おそらく、お前さんはそいつをもう知ってるはずだ」
名を明示しなくとも、アルフィにはそれが誰かすぐにわかった。
己がずっと追い続けている幼馴染。
使える魔法の数に限れば圧倒的に自分が上なのは明白。けれども、ゼストに諭されてからようやく、リースに対して致命的に劣っている点を理解できた。
「魔法を選択する余地のなさが、判断の早さや投影の速度に繋がっている」
「極端な話、どんな属性のどんな魔法が来ようとも、使える魔法が一つなら考える手間さえ生じねぇ。あの小僧もそこまで思い切っちゃいないが──」
リースは防御魔法に創意工夫を加えた独自の魔法を使っている。手札は複数だが結局元を辿れば一つの魔法だけあり、自身の魔法に対する理解度は非常に深い。状況に応じた魔法の選択判断はアルフィよりも上なのは間違いなかった。
「しかも、根っこが防御魔法だからやたらと頑強の上、使い手の身体能力も馬鹿高ぇ。後手に回れば一気に押し込められる。まぁ、あの超化って魔法にも弱みがねぇわけでもねぇが──」
アルフィは目を見開いた。ゼストが口にした発した分析は、超化に纏わる弱点について、アルフィが知る限りをほぼ言い当てていたからだ。
「……俺がそれを知らないわけ無いでしょう」
試すような視線に、アルフィは降参とばかりに息を吐いた。己の説が的を射ていたことに気分を良くしたゼストは顎に手を当てながら笑う。
「だろうな。あの小僧だって内包する弱みは百も承知のはずだ。そいつを込みで勝てねぇなら、弱みを狙うよりも手前をどうにかせにゃならんわけだ」
結局のところは、アルフィ自身が強くならなければ前には進めない。最初からわかりきっていることだ。
「というか先生、あいつが超化を使い始めてからまだそんなに経ってないのに、よく気がつきましたね」
「あいつの魔法は確かに既存の理論に比べりゃ型破りだが、冷静に考えればな。俺は研究者が本職だ。おまえさんらと違って、客観的に考えやすい立場にあるってだけさ」
本人は謙遜気味であるが、アルフィにしてみればやはり驚くしか無い。リースのことだけではない。これまで自分が内包し長年気が付けていなかった欠点を、ジーニアス魔法学校に入学してからの期間で看破したのだ。
学校長が自分にゼストを紹介した理由がよく分かるというもの。
と、感心したところで「ん?」と首を傾げる。
「いや、教師でしょうあんた」
「研究者で飯が食えねぇから、副業で稼いでんだよ。面倒なことはあるが、職を持ってきてくれた学校長には概ね感謝してるよ」
堂々と言ってのけるゼスト。もはやツッコミを入れる気すら起こらない。
「話が逸れたから本題に戻るぞ。おまえさんの現時点での弱点は、相手の魔法に対する対応速度だ。つっても、こいつは一朝一夕に伸びるもんじゃねぇし、意識してどうこうなるもんでもねぇ。正攻法じゃぁ、今度の校内戦には間に合わねな」
「……つまり、正攻法じゃなければ手段はあるってことですか?」
「もうちょっと勿体ぶらせろよ、そこは」
アルフィのまるで忌憚のない指摘に、ゼストはがくりと肩を落とした。もう少し溜めてから明かしたかったらしい。
頭をガシガシと掻き、気を取り直してからゼストは語る。
「繰り返しになるが、判断力ってのは経験を積んでこそ磨かれるもんだ。おまえさんが稀代の四属性持ちであり天才だろうが、短期間で年単位の経験を積むのは不可能だ」
「ただし」と、ゼストは口角を釣り上げながら指を立てる。
「判断する時間を削れねぇなら、他を削ればいいだけの話だ。最短最速には及ばないだろうが、ぎりぎり最善あたりまで持っていける方法はある」
「本当ですか!?」
「……まぁ、人によっちゃぁ卑怯呼ばわりさねかねないがな」
挑発とも取れるゼストの物言いだったが、アルフィは自身の胸の奥から熱が込み上げてくるのを感じた。己の至らなさを感じながら、まだ見えない可能性があることを掲示されたからだ。
「その手の誹謗中傷なら、もっと小さな頃からいくらでもありましたから。今更なんで問題ありません」
「なら結構。こいつが正攻法じゃねぇってのは、並の魔法使いなら絶対にやらねぇ、測るのも馬鹿げるほどの膨大な魔力を持ってるおまえさんならではの手法だからだ。こいつばかりはおそらく、あの学校長もおいそれと真似できねだろうさ。できなくはねぇが、あまりにも非効率的すぎるからな」
そうしてゼストから齎された卑怯を実現するために、アルフィの訓練への熱はさらに上がっていった。