第百七十二話 予期していたようです──お疲れ様でした
まず最初にイメージしたのは『穴』。空気中に漂う魔素を吸い込み、圧縮して取り込む。それを途切れさせる事なく連続で行う。
これまでの俺は魔力を吸って吐いていた。この吸う、吐くの間に一拍が空くから隙が生じる。切羽詰まった状況、一秒を争う極限状態であればあるほど、この一瞬の間が勝敗を致命的に分つ。
だったら、消費していく側から魔素を取り込み、魔力を回復し続ければいいのだ。
思いつくままに組み上げた魔法陣は無事に投影されたようで魔法具によって常に対外へと垂れ流していくよりも早くに、魔力が回復していくのが分かる。
「これだ!」と俺は半ば確信していた。
ピシピシっと──何かが割れていくような音が聞こえてきたのは、そんな時であった。
「ローヴィスッ、腕輪が!」
「ん? ──って、やっべぇ!?」
音に首を傾げているところでカディナの焦りが混ざった指摘。ここでようやく意識が向いた時には既に、腕に嵌めていた腕輪が無数の亀裂が生じていた。
気が付いたところで時すでに遅く、俺たちが見守る中、大賢者お手製の魔法具は音を立てながら完全に崩壊し、ボロボロと地面に零れ落ちた。
原形を全く留めない壊れっぷりに、残骸を眺めながらカディナが恐る恐る尋ねる。
「……これ、怒られませんか?」
「ま……まぁ婆さんだって即席の間に合せ材料で作ったって言ってたし、元々今日か明日中には壊れるって言ってたし、そこまでこっぴどくは──」
ちょっと冷や汗を流しながら、俺は言い訳を考え始め──。
──ドクンッッッ!!
「がぁっっっ!?」
左腕から伝わる強烈な衝撃で、意識が揺さぶられた。
まるで、太い杭を指先から無理やり捩じ込まれたような痛みが走り、それに伴って心臓の鼓動が異様な程に高まっていくのが自覚できた。しかもそれらは、時間の経過とともに悪化の一途を辿っている。頭の片隅で自身の異常事態を把握しつつも、意識の大半は撹拌気味だ。
「…………、リース・ローヴィス?」
カディナが俺の名を呼ぶが、彼女へ言葉を返す余裕は無かった。崩れるようにその場で膝を付き、身体が完全に倒れないように右腕で支えるのが精一杯という状況に陥る。
「ローヴィスッ、どうしたんですか!?」
駆け寄ってきたカディナに目を向けると、あからさまに動揺していた。なんだかんだと言いつつも根は良い子だよなと空気を読めないにも程がある感想を脳裏に浮かべつつも、俺は思考を確保するために歯を食いしばりグッと息を飲み込んだ。
この事態を引き起こした原因は分かりきっている。なぜなら、少し昔ではあるが以前に一度実際に味わっているからだ。
故に、どうすれば良いかも分かっている。
まず初めに、左の拳を地面に叩きつる。展開した特殊用途の手甲を解除し、魔素の流入を強引に停止する。だが、これだけでは終わらない。悪化を阻止しただけだ。
「か、カディナ……少し離れてろ」
「今のあなたを放っておけるわけないでしょう!」
「良いから…………頼む」
「…………分かりました」
本心からの気遣いを無碍にするようで悪いが、カディナに言葉を投げる。俺が冗談で言っているのではないと判断してくれたようで、深刻な顔を浮かべながらも離れてくれた。
彼女が十分に離れたのを確認すると、歯を食いしばりながらどうにか立ち上がる。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
増大しすぎた血流の音が鼓膜を揺さぶり、呼吸をする都度に肺が悲鳴をあげている。気を張っていないと意識が飛びそうだ。それでも俺は右手首に左手を添えて頭上に掲げた。
状態は劣悪ながらも、澱みなく魔法を投影できるのは大賢者からによる教育の賜物。これよりもっと酷い状態での投影もさせられたのだ。意識が十分に残っているだけ遥かに楽であった。
二枚の反射を掌に作り、体内に渦巻く魔力を注ぎ込み、解き放つ。
「────ッ、魔力砲ッッッ!!」
ドゴンッッッッッッッ!!!!
時間にして一秒か二秒足らずの圧縮にも関わらず、解放された魔力の衝撃は付近の土を大きく吹き飛ばし、周辺の木々を強烈に揺さぶった。両足に力を込めて踏ん張っていなければ、反動で俺の身体も吹き飛ばされていたかもしれない。
「………………フゥゥゥゥ」
激痛と動悸が引いていくのが分かった。これでとりあえず深刻な事態は回避できたようだ。両手を開閉しながら調子を確かめるが、強烈な疲労感を除けば目立った異常も感じられなかった。
離れた位置にいるカディナに目を向けると、髪の乱れ以外に目立った変化はない。魔力砲の衝撃波で煽られたのだろうが、警告できなかったのは申し訳ないと思う。とりあえず怪我をさせなかったようで何よりだ。
そして──安心感を抱きながら俺は意識を失った。
リースが何かに気がつき、魔法を投影。そこから確信を得てからの異変。魔力砲を解き放ってから倒れるまでの一部始終。全てを目の当たりにしながらも、カディナは未だに状況を把握しきれていなかった。
何気なく自身の左胸に手を置く。伝わる鼓動が速まっているのは、先の異常事態への不安以上に高揚だ。分かるのは、リース・ローヴィスという魔法使いが、新たに一つの常識を打ち破ったことだけ。詳細は不明だが、その確信だけはあった。
と、そこでカディナはリースが倒れている事実を思い出す。
「大丈夫ですか、リース。ローヴィスッ」
急ぎ駆け寄って揺さぶるが反応がない。呼吸は安定しており、苦しそうに表情を歪めている気配もないのが救いだ。ただ、服に触れただけでも分かるほどに大量の汗を掻いており体温も高い。数分足らずの出来事だというのに、極端に体力を消耗しているのが見て取れた。
「彼はいったい何を……」
原因は間違いなく、リースが使った手甲だ。ただ殴るだけではなく何かしらの特別な効果があったはず。リースの言動や己の肌に感じた感覚を頼りに、目の当たりにした現象を改めて考察しようとした。
その前に。
「やれやれ全く、世話がかかる小僧じゃ」
場違いな程にのんびりとした声色が届く。
ハッとなりカディナが振り向けば、木々の間からこちらに歩み寄ってくる杖を携えた小柄な少女が現れた。
「思い付いたらそのまま実行しちまうのは、昔から変わらんな。一概にも悪癖とも呼べんが、もう少し思慮を深めてほしいもんじゃ」
「あなた……どうして」
「撤収の準備はおおかた完了したでな。暇つぶしにこいつが残した魔物を狩っておったところじゃ。そろそろこの特訓の本質に気が付く頃じゃと思うておったんじゃよ」
カディナは、少女に抱いていた得体の知れなさがまた、深みを増したように感じられた。
「──最初から、彼が『こう』なることを予想していた、というわけですか」
今のリースにはもはや、残されていた狩猟依頼をこなす余力は残されていない。それを予期していた少女は、予め依頼されていた残りの魔物を狩っていたのだ。
「まぁ、こいつが思い付いた時点でちょいと踏み止まり、依頼を全部終わらせてりゃぁ無駄な手間じゃったんだが……無駄骨にならなくて済んだのを喜ぶべきか、こやつの迂闊さを嘆くべきかちょいと迷っちまうところじゃなぁ」
言葉こそ呆れを表していたがどうしてか、その口元はどこか嬉しげに綻んでいた。
「お前さんにも礼を言っておこう。こやつが課題に気がつくのにもうちょいと時間がかかると思っとったが、予想よりも早かった。嬢ちゃんがいてくれたのも良い刺激になったようじゃ。感謝する」
少女はリースの体を杖で突くと、先端をくるりと宙で回す。すると彼の体が宙に浮き上がる。
「お前さんは野営のあった場所で待ってる黒髪の嬢ちゃんと一緒に帰るが良い」
「えっ!? で、ですがリース・ローヴィスは」
「こやつの面倒は儂が責任を持って見る。学校にはちゃんと送り届けるしサボりはさせんから安心せい。……流石に、健康万全でとはいかんかもしれんがな」
最後にポロッとあまり安心できない事を口にするが、
「じゃぁの、お疲れさん。気をつけて帰るんじゃよ」
カディナが言及するよりも早くに少女はリースを連れて森の奥へと消えてしまった。
「……何なんですか、本当にいったい」
一人残されたカディナは、そう絞り出すのが精一杯であった。




