第百七十一話 この瞬間への導き
同世代の異性と一つ幌の下で寝る事にちょっぴりとドキドキしつつも、それ以上の精神的疲労ですぐに寝入った翌朝である。
朝食を食べて野営の後片付けを手伝った後は、昼頃まで再び森の中に潜る事に。組合で受けた依頼自体は昨日の時点で殆ど片がついている。残りは二、三件といったところだ。これ自体はいいだろう。
問題なのは、修行の部分だ。
昨日から変わらずなのだが、魔力をいちいち回復させる作業というのが本当に面倒だ。通常時であれば意識しないレベルの呼吸でも十分に賄えるというのに、意識して外素魔力を取り込まないといざという時に魔法が使えない。
ただ、完全に収穫が無いわけでもなかった。
「超化の時と同じってことか」
俺がここまで気がつくのは、大賢者にとっては既定路線のはず。
つまり、ここからが本当の課題だ。
「……それはまぁいいとして」
一呼吸を入れると共に、俺は背後を振り返る。今日もありがたくカディナが手伝ってくれるようなのだが。
「おい、大丈夫なのか?」
「何がかしら」
「何がってお前……」
聞き返してくるカディナの声は、あからさまに機嫌が悪い。本人は意図せずなのかもしれないが、原因は明らかに寝不足であろう。誰が見ても分かるほど、目元に濃い隈が浮き出ている。元が美人であるだけに、ちょっと迫力がすごい事になっている。
「……やっぱりお嬢様がいきなり野営で寝るのはキツかったか?」
「一身上の都合ですのでお気になさらずに」
「いやそんな怖い目でずっと見られて、気にするなには無理が」
「お き に な さ ら ず に」
「はい」
寝不足という理由以外にも、やはり腹に据えかねているといった具合だ。流石にそれ以上は問いかけられず、素直に頷くしかなかった。
なお、ミュリエルの方は俺が起こすまでぐっすりと涎を垂らしながら寝こけていた。以前に学生寮の庭先で寝ていたこともあった。こちらは横になれる場所があるならどこでも寝られるのであろう。
スピスピと寝息を立てるたびに大鉄球なお胸がフルフルと揺れていたが、下手な気を起こすと婆さんから折檻が飛んできそうだったので全力で見ないふりをした。
さておき、俺は自身の手元に視線を移す。
婆さんが魔法具を渡し、擬似的に超化時に魔力が切れた状態を再現するためだ。厳密には同じ状態とは言い難いが超化は一日にそう何度も繰り返して使える魔法では無いし、永続的に発動できる代物でも無い。
そう考えると擬似的でありながら、落ち着いて考えられる今の状況は助かる。
もう一度おさらいだ。今度は超化を基準に考える。
保有できる内素魔力が絶対的に少なかった俺は、どうにか克服するために高圧縮した魔力を取り込むという解決策に至った。それを戦闘に活用できる形に仕上げたのが超化だ。だが結局の所、一しか貯められなかった魔力が百に増えたという程度に過ぎない。増えた魔力を使い切れば新たに補充しなければならない。
問題なのは、超化の際に魔力を補充する魔法──装填には、必ずと言っていいほど隙が生じるということだ。
結局やっていることは超化の発動と殆ど同じだ。爆発的に増大した魔力を体内に留め全身に行き渡らせるには、少なからずの意識を割く必要がある。もしこれを疎かにすれば目も当たられない事になる。
大賢者との手合わせでは、超化中に内素魔力が枯渇し、装填を行う間際に手痛い一撃を喰らってそこからずるずると負けになることが多々ある。気を付けていてもいまだに解決策が思い浮かばず現在に至っている。
「いや、婆さんだけじゃなかったか」
超化を使っていながら敗北した相手は他にもいる。
ある一人を除けば、ごく最近に。それも初めて出会った魔法使い。
俺は横目で、近くにいる同級生を視界に収める。
彼女の兄、カイルス・アルファイア。
俺が婆さんに願い、この場に来る理由を作った張本人。
今の俺と彼とでは実力差がありすぎる。
恥ずかしい話だが、今の状態で二戦目を行えば、確実に一戦目よりも早くに決着がつくだろう。おそらくだが、カイルスはすでに装填における隙を──さらに言えばそれ以上に重大な弱点に気がついている。次戦う時は容赦無く『そこ』を狙ってくる。
「つか、なんなんだよあれ。どうしてあんな短時間であれだけの威力の魔法を投影できるのさ。意味がわからん」
風属性は四属性の中で最も速度に秀でている。それは何も魔法そのものの速さではなく。投影の速度も含まれている。なぜなら、風──空気はどこにでも普遍的に存在し、かつ決まった形を成さない存在だ。それだけに魔力で干渉し操作するのが最も楽なのだ。ただそれだけあって威力については最も劣っている。
なのに、カイルスの放つ魔法は脅威的な速度で投影されながらも、俺の要塞防壁を揺るがせるほどの威力を秘めていた。一撃一撃が異様に強かった。
いくら一族の当主とは言え、あれほどまでの速度で投影できるものなのだろうか。
「なぁカディナ。風属性の魔法って、同じ魔法で威力を高める時ってどうするんだ?」
「藪から棒ですね。あなたは無属性でしょ」
「無属性だから、他の属性魔法の事情には疎いんだよ。いや、ものすごく大事な秘密とかだったら無理に教えてくれなくてもいいんだが」
俺の問いに、カディナは目元を指で揉みほぐし、眠気を払いながら口を開いた。
「本当に大雑把に、手っ取り早く威力を高めたければ簡単です。魔法に込める空気の総量を増やすこと」
カディナは一度切ると、指を揺らして思考しながら語る。
「あなたに適した表現であれば────魔力砲という魔法。魔力を圧縮して解放するという単純な仕組みですが、あれは圧縮する魔力の総量が高ければ高いほど威力は増すでしょう? それと同じことです。あくまで、大雑把に説明すると、ですが」
「あー、なんとなくだけど分かる」
同じサイズの魔法であっても、それを構成する地水火風の要素が高密度に圧縮されていれば『重さ』が変わる。重みが違えば威力も変わってくる。風属性であればそれが『空気』ということだ。
ふと、そこで俺は思い出した。
カイルスとの決闘の最中、俺の肌にはずっと風が触れていた。あれは相手が風魔法を使っていたからだと思っていた。
だが、カイルスは魔法の投影と並行して、己の手元に大量の空気をかき集めていたのではないだろうか。そう考えると腑に落ちる。付近に漂う空気を消費しながらもそのそばから空気を集積して補充していく。なるほど、これならば常に大量の空気を用いて魔法を投影することができる。
決闘の最中に抱いた違和感はまさしくこれだったのだ。戦闘用と補助用の魔法を並行して投影する。さすがは魔法使いの一族を率いるだけのことは──。
──ゾワリと、背筋が震えた。
「…………あ?」
声が漏れる。意味をなさない単なる音に過ぎない。
この瞬間の俺は、喉に意識を割く余裕が失われていた。
今、頭の中で過ったのだ。重大な『何か』が。
これまでずっと曖昧だったものが、明確な要素として形を帯び始めていた。
「空気を集める、集める……空気を手元に………空気?」
「リース・ローヴィス?」
俺はいつしかカディナのことも意識の片隅に追いやり、己の裡に没入していく。浮かび上がった言葉が口から勝手に溢れることも構わずに、思考を続ける。
カイルスは、空気を収束し続けることで、風属性魔法に込める大量の空気を確保していた。もしかしたら俺の盛大な勘違いかもしれないが、真偽の程は正直今はどうでもいい。
肝心なのは『集め続ける』という点。
俺は半ば無意識に、自身の左手首を掴んでいた。
「一回一回補充し直すから駄目なんだ」
一の魔力を百に増やす時の制御。この『増やす』という事に固執していた。
そうでは無いのだ。それでは駄目なのだ。
百の魔力を一まで消費してから増やすのでは遅すぎるのだ。
百の魔力が消費し失っていくのだれば。
「魔力を集め続ければ良い」
「────ッ」
やり方は自然と分かっていた。
カイルスとの戦いだけでは無い。俺がこれまで培ってきたもの全てが、この瞬間を導き出す。
俺の左手には防壁が──手甲が生じていた。だがそれは単に相手を打倒するものでは無い。
俺の思い描いた想像を具現化し、体現するための生まれたばかりの新たな魔法だった。




