第百七十話 お礼を言いました──眠れない夜です
陽が地平線に埋もれ始める頃、どうにかこうにかで必要最低限のノルマは達成し、俺とカディナは野営の予定地に赴いた。到着した頃には、野営と呼ぶにはいささか立派すぎる寝床が完成していた。
驚く俺たちに、ミュリエルが無表情のままだが腰に手を当てて豊かな胸を張る。土属性魔法で土で調理台や食卓。幌を支える柱を作った様だ。
「ざっとこんなもん」
「お、おう。ありがとな。おかげで助かった」
俺が家で妹にやっていたよに頭を撫でてやると、ミュリエルは僅かばかりだが頬を綻ばせ、さらに胸を張った。拍子に大鉄球が揺れたが、カディナや婆さんが居たので視線が集中しない様にするのが大変であった。
ただ、ミュリエルに礼を言った気持ちは本当だ。
頻繁に魔力を取り込むというのはかなり気を使う。今の俺は体力以上に精神的な疲労がかなり強かった。集中力が切れる前に予定していた魔物を全て狩猟できたのは幸運だった。
「カディナも助かった。お前が手を貸してくれなかったら夜中まで掛かってた」
「…………礼を言われるほどのことはしていません」
プイッとそっぽを向くカディナであったが、照れ隠しであることは流石に俺でも分かる。夕焼けに照らされてわかりにくいが、頬が少し赤らんでいるいることであろう。
星と月の明かりが空を照らす夜半。カディナは眼を覚ました。
正確にいえば、横になってから今まで眠ることもできずにいたのだ。
野営の広さを見てから覚悟をしていたのだ。男女別々に寝るスペースは無いと。つまりはリースと一緒に寝ることになる。
狭い空間で男女と共に寝食を共にするのは初めての経験だったからだ。一抹の不安はある。
と、不安を抱いているカディナのことなどまるで気にもせず、リースは横になるなり数分も立たないうちに寝息を立て始めた。試しに顔の前で手を揺らしても、全く反応がない。完全に熟睡していた。
至極正しい選択であるしカディナとしては新進できるのだが、一人で勝手に舞い上がって馬鹿みたいでは無いか。腹いせに叩き起こしてやろうかともちらっと考えてしまう。
更に、リースの隣にいるミュリエルもまたスヤスヤと寝ている。こちらも少し警戒心がなさすぎである。あるいはリースを信用しているからだろうが、どことなく腹立たしい。
自分は、ミュリエルほどリースに心を許せない。羨ましいとさえ──。
「って、そんなわけないでしょ」
また横になってもどうせ眠れそうにない。少し夜風に当たろうと、外に出た。
野営地の四方には結界の魔法具が設置してあり、魔物は寄りつかない様になっている。そんな中、一人の少女が照明器具に明かりを灯して食卓に使った席に座り、読書に耽っていた。
「貴族のご令嬢には、ちと寝苦しかったかの」
「お気遣いどうも。……というか、あの二人の寝つきが良すぎなくて?」
疲労はあるだろうが、だとしても呑気なものだ。昼間のリースはままならない現状に珍しいほど思い悩んでいた。内面の鬱憤をカディナにぶつけることは無かったが、苛立ちが胸中に溜まっているのは野営地についてからも感じられた。
「寝られる時にきっちり寝ておかんと、判断力も鈍るでな。そいつを十分に理解しているんじゃよ。無理矢理でも寝るってのは案外と貴重な技術じゃて」
「ま、儂がそうなる様に仕込んだんじゃがな」と少女がくすくすと笑う。
カディナにとっては得体の知れない少女ではあるが、野営地にいる四人の中で序列のトップが彼女であることを、もはや疑っていなかった。ミュリエルが敬意を表し、あの傍若無人な学年主席でさえこの少女の言葉に従っている。
「あなたは何者なのですか」
「儂は世捨て人じゃよ。こうして夜更けに誰かと話すことなぞ、十年前の儂では考えられんくらいにはな」
静かで優しく、けれども明確な拒絶の意がカディナの肌に触れた。
感じる圧は、父や兄から時折に発せられる強者特有のもの。ただ言葉を語り自然とあるだけで滲み出る隠しようの無い凄み。それを感じ取ったカディナは強く食い下がれず、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「ところでお前さん。リースに惚れとんのか?」
「────は、え……はぁっっ!?」
少女の静かな威圧に息を呑んでいたところ、不意打ち気味の言葉。無防備なところに予想外すぎる台詞を受けて、カディナはたじろぐ。
「な、ななななにを仰っているのでしょうか。私はそんなリース・ローヴィスとは……」
「お、違うのか。じゃが、気になる相手という点では違いなかろうに」
「それはまぁ……私から学年主席の座を奪ったんですから、当然です」
偽りのない本音には違いない。
──違いはないのに、どこかスッキリしない。
「綺麗どころのに囲まれて、あやつも贅沢な奴じゃな。青髪の女子然り、ディストの弟子然り。……将来、女誑しにならんか不安じゃよ儂は。デカい乳に目がないしの」
少女はカディナの豊かな巨大弩に眼を向ける。視線に気がついた彼女は慌てて腕で覆うが、勢いの拍子にめり込む。少女はその様をじっくり観察し、次に己の平坦な胸元を触る。
「参考までに聞いておきたいんじゃが、一体何を食えばそこまでたわわになるんじゃ? 栄養という点に限れば不足しとるはずがないんじゃがなぁ」
「……好きでここまで大きくなったわけではありません。肩は凝りますし、動き回るのにも振られて邪魔になりますし」
下着も市販のものでは合うサイズがなかなか見つからず、デザインを優先するのであればわざわざ注文する必要もある。異性からの視線も気になる。最近は特に──。
「持つもの特有の贅沢じゃなぁ。その手の台詞、実際に聞くのは初めてじゃよ」
少女は手元の本を閉じると、席から降りた。
「儂としては、お前さんみたいにキッチリした女子が側にいれば安心できるんじゃがな」
「ですから私はそういうのでは」
「心の迷いは魔法使いにとって最大の枷じゃぞ」
「────ッ」
「特に、お前さんの様な若いもんには特にじゃ」
胸が強く鼓動した。嫌な意味で、だ。
軽薄な態度になったかと思えば、次の瞬間には老獪を匂わせる鋭さを浴びせられ、カディナはますますこの少女のことが分からなくなっていく。
混乱していく彼女の側まで寄ると、横で足を止める。
「今一度、自身を見つめ直すが良い。リースに勝つ方法を模索するのはそこからじゃて」
「……あなたはリース・ローヴィスに勝って欲しいのではないのですか?」
この少女がリース側の人間であることは間違いない。故に、リースにとって不利を歓迎する今の発言は不自然に思えたが。
「勝ちを狙いにいくのは重要じゃが、時には勝利よりも貴重な敗北も存在しておる。勝敗の数など些細な問題よ。大事なのは勝利の質じゃ」
少女の言葉を全ては飲み込めず、けれども深くカディナの胸の奥へと染み込んでいく。
「如何にして勝ち、何を学ぶかじゃ。その為に、目の前の壁はデカけりゃデカいほど良いのじゃよ。お前さんが強敵であるほど、彼奴は魔法使いとして大いに成長する」
「当人を目の前にしてよく言いますね」
「けどお前さん、こう言った方が燃える方じゃろうて」
少女はカディナの側を通り過ぎる。
「儂も眠くなってきたでな。お前さんも若いとはいえ、そろそろ寝んと明日が辛いぞ」
「………………」
寝床に戻っていく少女の姿を眺めながら、カディナはしばらくその場で立ち尽くしていた。