第百六十八話 鍛錬開始──手伝ってくれるようです
分かってはいたが、婆さんの課題というのはなかなかに面倒なものであった。
早速、受けた依頼の一つ目の魔物を仕留めにかかったのだが、思っていた以上の苦戦具合に顔を顰めざるをえなかった。普段の俺であれば余裕で数分もせずに終わっていただろうに。
俺は元から内素が少ないが、それでも防壁数回分の魔力は有している。けれども今は婆さんの魔法具のせいでそのなけなしの魔力も失われていく。一瞬で全てが失われるわけではないが、呼吸で外素を取り込んだ側からダダ漏れ状態。桶の底に穴が開いているのと同じ状態だ。水を注げば一時は満たされるが、穴から流れ出し失われていく。
いつもの調子で魔法を使おうとすると、肝心な時に魔力が空……という感覚が非常に面倒なのだ。瞬時に魔力を回復できるとはいえ、回数が増えるのは手間以外の何物でもない。
「……とりあえず考えるのは後だ」
慣れない感覚に四苦八苦しながら、どうにか手甲で魔物を気絶させた。懐から狩猟に使う大ぶりの短剣を取り出し、魔物の急所に滑らせる。深い切り口から夥しい量の血が流れ出していく。
と、いつもの流れで作業をしていた俺だったが、思い出し背後に目を向けた。
「お嬢様にはちょっと刺激が強いかった、これは」
木立に肩を預け、こちらを見据えているのはカディナだ。俺の戦う様を遠目から観察していたのだ。手を出さないようには言ってあった。
彼女は腕を組んだまま、案外と落ち着いた様子で首を横に振った。
「女子とは言え私も戦場を馳せるアルファイア家の一員。教養の一環として、父やお兄様と共に狩猟に赴いたことも幾度かはあります。その過程で魔物を討ち取ることも」
今は平和なご時世で、各国との関係も良好。情勢は安定しているが、一度戦が起きればアルファイア家は最前線に赴くことになる。この程度で動じるようなやわな教育はされてないようだ。肝が据わっている。
「……まぁ、仕留めた後の処理は家人に任せてはいましたが」
「そりゃそうだ。お嬢様にこんな血生臭いことはさせねぇだろうよ」
綺麗なお嬢様がナイフ片手に血まみれになっている場面とか強烈すぎる。
「……ところで、その魔物はどうするつもりなの? まさかこの場で解体するつもり?」
「できなくはねぇが、その辺りは専門家に任せるさ。この場では血抜きだけにとどめておいて、後は収納箱に放り込んでおく」
狩人は仕留めたその場で血抜きを行い痛みやすい内臓を抜き取り、重量を軽くするのが通常だ。血には大量の栄養が含まれているがそれだけに腐敗しやすく、これを行わないと組合に持ち込んだ際の買取価格に大きな影響が出る。
また新鮮な魔物の内臓は珍味であり、部位によっては薬の原料にもなるり魔法の触媒にも活用できる。適切な処理ができれば保存もできるが、これがまた面倒で専門知識も必要になってくる。
熟練の狩人ともなるとこれらもできるようで、この辺りがいわゆる『稼げる狩人』の差だろう。
ちなみに俺には収納箱があるので関係ない。容量もデカく内容物の時間も停止するので腐敗の心配もない。本職であればまさしく垂涎の一品だな。
もっとも、収納箱には『意思を持った生物』は入れられないという明確な決まり事が存在している。つまり生け捕りには使えない。
血抜きが終わった魔物を収納箱に収めるのを見て、カディナが呆れ果てた顔になる。
「どうしてあなたのような一平民が収納箱などという希少な魔法具を持っているのか、不思議で仕方がないわ」
「俺も何気なく使ってたけど、前の持ち主から実際の価値を聞かされた時は本気でビビったからな」
婆さんに譲り受けた物であるが、果たしてどういった経緯でこれを入手したのやら。長い付き合いだが、やはり知っていることよりも謎の方が圧倒的に多いだろうな。
「あまり他人には見せびらかさない事ね。見たところ、ただでさえ珍しい収納箱の中でも、かなりの上物でしょう。良からぬことを企む者が出てこないとも限らないわ」
「なんだ、心配してくれるのか?」
「べっ、別にそんなわけでは。……ただ、貴族にあるまじき下賎な輩はどこにもいるという話をしただけです」
なんだかんだで、いいやつだよなカディナって。素直じゃないところもあるが、慣れてくるとこれはこれで可愛げを感じてくる。気位は高いが、貴族としての義務感からくるものだ。父親や兄であるカイルスの教育の賜物だろうな。
「……こちらを見ながらニヤニヤしないで欲しいわ」
「さて、こっからどうするか」
眉を顰めるカディナから視線を切って、俺は辺りを見渡した。
受注した魔物はまだまだ残っているが、最初の一頭目を見つけるのにもそこそこの時間がかかった。いつもなら森の上空でも飛び回って獲物を探すところなのだが、今は魔法具による枷がある。普段の感じで跳躍を使うと誤って墜落しそうなのだ。今回は地道に足で探す形になるだけ、移動も探索もいつも以上に掛かる。
この調子だと、明日の夕方までに全て仕留められるか微妙なところだ。 外泊許可は休日分しか取っていないのだ。悠長にしてもいられない。
「まぁ、結局は地道に探すしかねぇんだけど──」
「リース・ローヴィス。一つよろしいかしら」
森の奥へと歩き出そうとしたところで、カディナが手を挙げた。
「魔物の探索……この私が手伝うのもやぶさかではありません」
意外な申し出に、俺は思わず眉を吊り上げてしまった。カディナは口元に手を当てて一度咳払いをしてから声を発する。
「知っているとは思いますが風属性の魔法は投影や魔法そのもの速さが強み。ですが、それと同時に、風属性は戦場における斥候を担う役割もあります」
斥候──つまりは偵察兵のような者だ。風の流れを読み取ることで、周囲の地形や構造物の把握。加えて、生物の反応を捉えることもできる。
「つまり、お前が魔法で魔物を探知してくれるってことか?」
「端的に言えば。もちろん、あなたが良ければの話ですが」
別に婆さんは、カディナに対して何かしらを禁じるようなことを言っていなかったはずだ。俺に対しても、魔法具を外さないことと超化を使わないことだけ。今回の鍛錬は俺が魔物と戦うことが大事であって、魔物を探す過程はなんでも良いということだ。
「俺としちゃぁありがたいが、どんな風の吹き回しだ?」
風属性だけに──と口にしそうになったがどうにか押し留めた。
「付き合ってあげている以上、ただ見ているだけというのも退屈なだけです。安心なさい、魔物を見つけてからはあなたに任せます。鍛錬とやらの邪魔をする気はありませんので」
なんて口にはしているが、彼女の内心はちょっと見えていた。
今頃、ミュリエルは婆さんと一緒に野営の準備を行なっているのだろう。で、俺は鍛錬のついでに食料の調達も任されている。こんな中で手持ち無沙汰なのはカディナだけなのだ。
きっと、自分だけ何もやることがないのは嫌だったんだろうな。
「だからこっちを見ながらニヤニヤしないでください!」
「うんうん、わかったわかった。頼りにしてる」
「その顔で言われてもあまり嬉しくないんですけど!?」
 





