第百六十四話 訓練するようです──アルフィの場合(後編)
少しして、改めて訓練場にやってきたアルフィの隣に学校長の姿はなく、代わりに白衣の教師があった。猫背気味の肩を揺らしながらため息を漏らす。
「面倒くせぇな……」
「いやそれって教師のセリフなんで?」
「教師だって人間だっつの。面倒なもんは偽りなく面倒なんだよ。学校長直々の命令じゃなきゃ断ってたっつの」
「本当にあんた教師なのかよ……」
全く気だるげを隠さずにぼやくのは、アルフィたちが所属するノーブルクラスの担任であるゼストであった。メガネの奥にある目からやる気のカケラも感じられず、くたびれた白衣がより一層に雰囲気を増長させていた。あまりの物言いに、アルフィも普段の敬語が抜け落ちてしまう程だ。
「雇われの辛ぇところよほんと。本当なら一般クラスの担任やって、研究に没頭できるかと思ってたのに、ヒュリアの嬢ちゃんが情緒不安定になっちまうから……」
なんかぶつぶつと文句を垂れ流し始めた。
学校長が「一緒にお願いしましょう」と件の教師がいる部屋に連れて行かれたのだが、見覚えのある道順に一抹の不安を覚え、到着したらやはりゼストの研究室だった。課題の提出や申請諸々のため放課後に赴くと、いつも面倒臭そうな顔で出迎えられた。
アルフィと共に部屋に入ってきた学校長を目にした時のゼストの顔は、面白いぐらいに顰めっ面であった。かなり笑える光景だったが、訪問の理由を考えると不安材料にしかならなかった。
一通りの愚痴を垂れ流すと、観念したように頭を掻く。
「しょーがねぇか。研究の自由と引き換えに教師になるって契約だしな。……なぁ、これって残業代って出ると思うか?」
「知りませんよ。学校長に掛け合ってください」
一縷の望みを懸けるゼストについ投げやりで答えるアルフィ。
教師とは思えない態度に心配になるが、研究室に向かう最中の学校長の言葉を思い出す。
『今から紹介するのは、魔法使いとしてはともかく、研究者であり教師としての能力は学内で有数』だと。
含みのある言い方であったが、少なくとも学校長はゼストを見込んでいるようだ。今の残業代を気にする姿を見るとやはり疑問しか出てこない。
「最初に確認しておくがライトハート。お前さん、小僧に負け越してるってのは本当か?」
「んぐっ……勝率ギリギリで三割かってぐらいですよ」
いきなり嫌なところを突かれて吃りながらも、素直にアルフィは認めた。曲がりなりにも指導を受ける身だ。嘘偽りを述べては意味がない。
「あの超化って魔法か。ありゃぁやべぇな。一年の時点であんだけ戦えるやつなんぞ、俺はこの学校に来てから初めてだ。そこ行くと四属性のお前さんもレア度で言えばどっこいどっこいだが、とりあえず勝ちは拾えてるわけだ」
「あいつの弱点とか突いたりしてどうにかってところですけど。次に戦うときにはその辺りをすぐにカバーするんで」
「普段のやらかしっぷりからは想像できねぇくらいに勤勉だな。小僧の弱点ってのには大いに興味は湧くが、今はいいだろう」
ゼストは徐に足を踏み出すと、えっちらおっちら歩を進めてアルフィから離れ、ある程度の距離をとったところで向き直る。
「ライトハート。今から俺が魔法を撃つから相殺してみろ。間違っても全力出された日にゃ俺が死んじまうんで、そこだけは気をつけてくれ。そのくらいは朝飯前だろ」
「わ、わかりました」
いきなりの撃ち合いを告げられ、少しだけアルフィは緊張する。果たしてどんな指導が待っているのか、期待が二割で不安が八割と言ったところだ。
「そう肩に力を入れなくていい。撃つのは初級だ。当たったところで軽い打ち身程度ですむ。くれぐれも俺に当てないように」
いまいち要領を得ないが、頷いたアルフィは身構える。
そういえば、入学してからしばらく経つが、ゼストが魔法を使っている場面は一度も見たことがなかった。魔法の実習授業での担当はあったが、全てが口頭説明だ。
「ほれっ」
ゼストが指をパチンと鳴らすと初級魔法の岩弾が放たれる。投影の速度は早くもなく遅くも無いか。アルフィは指示に従い、同じく岩弾を衝突させて打ち消す。
「後出しでも十分に対応できるか。投影速度そのものは問題ないな。むしろ早い部類だ」
ただ簡単な魔法を打ち合っただけなのに、ゼストの中では考えがあった様だ。顎に手を当てて考えるとしきりに頷く。
「んじゃ、もう一回行くぞ。次は二発続けて撃つからな」
宣言の直後に、ゼストは再度指を鳴らし岩弾を放つ。先ほどと同じ様に同じ魔法で相殺する。続けて放たれる魔法を迎え撃とうと投影を始めるが。
ゼストの投影した魔法は水弾。水属性の魔法だ。
「────ッ」
喉を小さくひくつかせながらも、アルフィは半ば途中まで投影していた土属性魔法の投影を中断。代わりに水弾の魔法陣を投影して操作する。
だが、相殺した位置は、岩弾の時よりも明らかに手前側──アルフィ寄りの位置であった。
ほのかに早まった動悸を落ち着けながら、アルフィは口を開く。
「先生……あんたも二属性持ちだったのか」
「驚いてくれて実に光栄だが、ウッドロウほどに期待はすんなよ。一応は複合属性も扱えるが、こっちは実戦で使える様な器用なことはできんからな」
ゼストは特に誇るでもなく平然と言いながら二つの魔法陣を投影し、空中で融合させる。出来上がった魔法陣から現れたのは木の枝だ。
土と水の属性を掛け合わせた『複合属性・樹木』だ。枝を手に取ると、肩をトントンと叩く。
「正直、四属性の異才に口出しできるほどまだお前さんの事をしってるわけじゃぁないが、とりあえず手近で直せる欠点はわかった」
「…………え? 今ので?」
たった三度の魔法で、アルフィ当人ですら把握していなかった欠点がゼストにわかるものなのか。
「この話が来た時点でおおよそのあたりは付いてたからな。おまえさんみたいな魔法使いが陥るパターンで、多分おまえさんが最もその傾向が強い。折りを見て指摘するつもりだったからな。今のはそいつの確認作業みたいなもんだ」
「…………」
最初から変わらぬゼストの淡々とした口ぶりが、出まかせの類でないと証明している。
今更ではあるが、アルフィは思い出す。
ここは国内最高峰のジーニアス魔法学校なのだ。所属している教師が並の魔法使いのはずがない。どれほどにやる気の欠片もなく覇気を感じられなくとも、ゼストはその魔法学校の学校長から、学年でトップクラスの成績を誇る生徒が集まる『ノーブルクラス』を任されているのだ。入学式の直前で担任の配置が変わったようだが、だからといって間に合わせの教師に務まる役割では無い。
事実、ゼストの授業はどれもが非常にわかりやすい内容だ。質問に対する絶妙な例えを交えた説明は生徒たちからも好評だ。ついでに、口も上手く人をやる気にさせるのも得意なようで、彼の授業は生徒たちの間でも人気であった。当人があまりにもやる気がないのですっかり忘れていた。
「……って、元から教えるつもりだったらなんで面倒だって」
「俺は昼間の授業以外は、研究室で自分の研究をしてぇんだ。自主的な残業はともかく、誰かに言われての残業は金払ってでも辞退する派なんだよ。指摘するにしても授業中にきまってんだろ」
教師としては実に優秀であっても、当人の気質がまるで教師向きではないのだなと、気だるげなゼストを見て思い知ったアルフィであった。