第百六十二話 訓練するようです──ラピスの場合
徐々に学内戦に向けて生徒たちの気風が高まっていく中、やはりリースたちもそれに伴い訓練に熱が入っていく。何かと一緒に行動を共にしていた彼らであるが、リースが学校外へと出たこともあり、休日は別れて行動していた。
ラピスも休日の学校に赴き、人気のない訓練場で魔法の特訓を行っていた。手元には魔法で投影された複数の水球だ。授業で行っていた制御の訓練は純粋な魔力だったが、今は属性を付与し表面には水流の流れも形成している。難易度で言えば今の方が圧倒的に上である。
「昨日の今日で付き合ってくれて助かったよ。今はリースたちもいないからさ」
「俺としても、校内戦でいい成績を残しておきたいからな。このくらいならお安い御用だ」
彼女の傍で同じく魔法の訓練を行っているのはテリアであった。ラピスと同じく水球を具現化しているが、こちらの方が明らかに動きが安定していた。
初対面時には剣呑な雰囲気を醸し出していた二人であったが、あの決闘を経てから、最大の原因であった両者の婚約と共に蟠りも解消。今ではこうして肩を並べて訓練をする程度の関係にはなっていた。
先日の決闘ではそれまでウェリアス先生に指導を頼んでいたが、彼にも仕事がありいつまでも拘束しているわけにもいかない。考えた末に行き着いたのがテリアだった。
「でも、やっぱり意外だったよ。僕の申し出をすんなり受けてくれたのはさ」
テリアに訓練の付き合いを頼んだのは、なにも同じ水属性であるからというだけではない。決闘で実際に戦って体感したが、水流──あるいは流体操作においてはやはりテリアの方が一枚も二枚も上手であった。つまりは魔力制御の練度とも言い換えられる。最後の勝利は、自身の特性を用いたゴリ押しで不意打ちに近い。現時点で再戦したら、どちらに勝利が転ぶかわからない。それほどの僅差であった。
「俺だってただの善意じゃない。未来の義姉に少しでも媚を売っておこうと思ってね。妹さんとの接し方のアドバイスでも貰えないかなと」
偽りなく打算を述べるテリアに、ラピスは小さく笑ってしまった。
あれから一度、テリアはラピスの実家──ガノアルクの屋敷に赴き、ラズリと改めて顔を合わせた。未来の義妹としてではなく、今の婚約者として。そこでガノアルク当主からテリアとの婚約を結ぶことを告げられると、ラズリは感激しながら首を縦に振ったらしい。あまりに強い乗り気なので、テリアが少したじろぐほどだったとか。
「ああも喜ばれるとはね。正直、君との婚約は上っ面だけになる覚悟はしてたけど、ラズリとの婚約は気持ちの面も含めて大切にしていきたい」
「当人を目の前にそういうこと言っちゃうの凄いね」
「悪いけど、俺はこういう人間でね。内に溜めておくのは苦手なんだ。編入してた頃は割と隠すので大変だったよ」
「下手に隠されるよりはよっぽどいいさ。だいたい、貴族ってのはそういうもんじゃないか。悪意が混ざってない分遥かにマシだ」
裏も面もあるが、こうして口にはっきり出している時点でテリアは十分すぎるほどに善に傾いている人間だ。むしろ潔さを感じラピスとしては好感が持てた。
「最初からそのくらいのつもりで接してくれたら、違ったかも──あ、ごめん、やっぱり無理。めちゃくちゃ敵視してた」
あくまでも友人枠であればの話だった。打算があったのは最初から分かりきっていたが、もしはっきりと口にされたらもっと仲は拗れていただろう。あれは一応、テリアなりにラピスに気を遣っていたのかもしれない。
「過ぎたことだからもういいんだけどね。ラズリを大切にしてくれるなら僕としても嬉しいよ。身内贔屓だけど、僕と違って素直でいい子だから」
「もちろんそのつもりだ。……ご当主を怒らせたら怖そうだしな」
ガノアルク当主の威厳に満ちた顔が激怒する様を想像し、テリアが若干青ざめる。きっとその想像は間違いではないはずだ。実際にそれでリースが酷い目に合わされた。
「忠告しておくと、ラズリはそのご当主の娘で僕の妹だ。根が結構頑固で、一度臍を曲げるとなかなか機嫌が治らないから気をつけるように」
「それはそれは、肝に銘じておく。このアドバイスだけで、今回付き合った甲斐があったよ」
二人は何気ない会話を続けながら、絶え間なく水球の操作を行っている。最初は乱れが生じていたラピスの水球であったが、時間を経るごとに徐々にであるが落ち着き、動きがスムーズになっていった。
「……知ってはいると思うが、本来なら士官学校に進んで軍に入るつもりだったからな」
「その辺りは一応、リースから聞いてる」
徐に口を開いたテリアに、ラピスが言葉を返す。
「なら話は早い。俺がこの学校に来たのは、君との婚約のためであって、つまりは自分の栄達のためだ」
「別に変じゃないだろう。この学校で自身の立身出世に興味がない者なんて、ごくごく限られた一部の変人だけだよ」
その変人筆頭が身近にいるのを、ラピスはあえて触れなかった。貴族が大半を占めるジーニアス魔法学校において、
「かもしれない。けど、そうであっても皆、魔法に対する取り組み方は真剣だ。誰もが貪欲に学ぼうとしているのが肌から伝わってくる。ノーブルクラスは特にその気持ちが強かった。魔法使いへの純粋な気持ちが、入ったばかりの頃の俺には少し眩しかったよ。今は俺もこうして魔法の訓練に付き合うくらいには真面目になったつもりだけどな」
「……それを言ったら、僕なんて入学当初は酷いものだったよ。先に言っておくけど詳しくは聞かないでくれ。僕の中じゃ本当に恥ずかしい記憶だから」
父親との仲が上手くいかず、入学試験でも失敗してノーブルクラスに入れなかった。鬱屈した気持ちで当たり散らして、まさしく黒歴史以外のなにものでもなかった。
だが、その全てを否定する気にもなれなかった。その過去があったからこそ、今の偽りを捨てた自分になることができたのだから。
「その後に出会うことができた友達のおかげで、僕も入学前に抱いていた気持ちを取り戻せた。みんなと出会えたおかげだ。君だってそれに近いもんだよ」
テリアに笑顔で語るラピスであったが、きっとその頬に朱が混じっているのは自覚がないのだろう。言葉は全て真実であっても、真実の全てを口にしていないと、当人は気がついていなかった。
逆に気がついてしまったテリアは、ついニヤけてしまう。
「……なんだよ、その顔」
「いや、友達のおかげとは確かにその通りだろうが、本当のところはどこかの誰かさんが一番の理由じゃないか?」
「誰かって──ッ」
僅かにムスッとしたラピスだが、テリアに指摘された途端に脳裏に浮かべたのは、一人の少年の顔。普段はおちゃらけているくせに、誰よりも真剣に向き合い、自分自身を取り戻すキッカケを与えてくれた人物。
ボンっと、ラピスの顔全体が赤らんだ。どうやら自覚したようだ。
アワアワし始めたラピスに、テリアはニヤけたまま彼女の手元に眼を向ける。
「おい、危ないぞ」
「へ? ……ってやっばっ!?」
気がつけば魔力の制御が乱れ、水球の動きが荒くなり流れも激しくなっていた。慌てながらも気合いで持ち直すが、後少しで破裂して水浸しになるところだった。
「もう……変な事を言わないでくれよ」
「俺としてはそこまで取り乱すのは予想外だったよ。あの決闘で負けたのも納得だ。思いの丈が違ったらしい」
悪戯っ子のように笑みを漏らすテリアを、赤ら顔のままで睨むラピスであった。




