第百六十一話 ご機嫌をとりたかったようです──噂の美少女の可能性
帰ることは確定したわけなのだが、入学してからこうも期間を空けずに大賢者のところに帰ることはなかった。今現在がお悩み中期間であることも確かだが、かといって甘えっぱなしと言うのもよろしくない。ここで一つ、甘いものを手土産にでもして日々のお世話に報いようと──。
「──で、本音を言うと?」
「少しでもご機嫌を取って、助言の一つでも引き出せねぇかなって」
「そのご機嫌を取ろうとする本人を前にぶっちゃけるおぬしのそういうところ、結構好きじゃよ」
と、言うわけで。大賢者の元に向かうのは明日の早朝。スイーツ店が開いてる時間帯ではないので、今日の放課後に街で土産を買おうと繰り出したのだが。
適当に思いつく店を何軒か梯子した先で、ガラスケースに収まったケーキの前で涎を垂らしながらへばり付いた大賢者を発見したのである。
「あんた本当に王都に来すぎだろ。人嫌いとかもう完全に嘘じゃん。虚偽申告だろ」
「嘘じゃないぞ。まぁ、昔よりは多少マシになった自覚はあるがな」
俺が注文したホールケーキを、店先のテーブルに座りながら口いっぱいに含む大賢者。頬がリスみたいにパンパンに膨れており、『大賢者』などと言う大層な肩書きの傑物には到底見えない。
「修行の面倒を見るというのは問題ない。前に来た時から期間は確かに短かいが、取っ掛かりの欠片くらいは掴んでおるようじゃしな」
「まだ『修行に付き合ってくれ』くらいしか言ってないんだけど?」
「おぬしの面倒をどのくらい見てきてると思っとるんじゃ。明らかに顔つきが違うぞい」
こういう時は流石に大賢者であり、俺の師匠だと実感させられる。もっきゅもっきゅとケーキを食べている様からは全く想像できない眼力だ。
「……本当は、言うほどに何かを掴めたわけじゃぁねぇんだ、これが」
俺は相変わらずケーキを食べ続ける大賢者に、ここ数日の出来事をかいつまんで説明した。もちろん、カイルス・アルファイアに手玉に取られたこと、その最中に生じた違和感も含めて正直にだ。婆さんのところに行こうとしていたのも、ただ無心に体を動かしたかったからであり、具体的な理由は何もなかったのだ。
「ふむふむ、仔細は後々に聞くとして、おおよそは把握した。おそらく感覚と思考が同期しておらんのじゃ。魔法使いとして培ってきた経験が『勘』として表に出てきておる」
説明の最中にケーキを食べ終わっていた大賢者は、口端についたクリームを指で拭って舐めとった。食うの早すぎだろ、とのツッコミはグッと堪えた。
「違和感を単に『気のせい』で済ませないが実に良い。着実に前に進んでおる証拠じゃな。大変に結構」
「もしかして、婆さんはもう俺の感じた違和感の『答え』が分かってたりするのか?」
婆さんの口ぶりはすでに何かしらの確信を得ているように感じられた。案の定、帰ってきたのは頷きだ。おそらく、話を聞いただけで俺以上に俺の現状を理解したのだろう。
「そのカイルスというやつと戦った状況と、おぬしが直面している問題を考えれば自ずとな。つってもさすがにこいつばかりは教えられんよ」
「やっぱりダメかぁ……」
「カッカッカ、ズルはいかんなぁズルは」
ガックシと肩を落とし首を垂れる俺の頭に、大賢者の笑い声が浴びせられた。ケーキに甘さにつられてあわよくばと目論んでいたが、そこまでは甘くならなかったらしい。
「安心せい。答えはやれんがヒントくらいはくれてやる。なんにせよ明日からじゃがな」
そこまで言って、婆さんは顎に手を当てると、ふとあらぬ方向を見据えた。つられて俺もそちらを向くが、何も見えない。
「……せっかくじゃ、なんもかんもいつも通りというのも味気がない」
「味気って」
なのこっちゃと、俺は眉を顰めた。
「──一体何を話しているのかしら」
リース・ローヴィスと謎の幼女が菓子店の店先で会話しているところを覗き見する人影があった。
言うまでもなくカディナである。
ご丁寧に風魔法で気配を殺し、己の存在を希薄にしてのこと。学生が扱うにはなかなかに高等な魔法であるのだが、そこは学年二位の実力者。何ら問題なく魔法を投影し、周囲からは怪しまれることなく堂々と覗き見している最中であった。
学年第二位の実力者は、己が半ばストーカー行為の最中であることを気がついていなかった。当人としては、至極真面目にリースに打ち勝つための手段を模索しており、この観察もそのための一環なのである。
リースだけでなく、カディナも昨日のことがずっと頭から離れていなかった。
一番に残っているのはやはり兄カイルスからの言葉。
──もし君がリース君を倒す気概が本当にあるのでれば、今から始まる戦いをしっかり見届けることだ。
決闘が終わってから、倒れたリースを保健室に運び、異性と密着したことを思い出して自室のベッドで悶えている最中であっても、カディナはずっと兄とリースの戦いの全てを幾度も反芻していた。
けれども、食事中も授業中も絶えず繰り返して思い出しているが、いまだに答えは出ずにいた。放課後になり、気がつけば街にまで繰り出していたが一向に光明が見出せない。
(……お兄様が意味もなくあのようなことを言うはずがない)
カイルスはきっと、決闘の最中にリースの『弱点』を見出しており、同じものをカディナが見つけられると信じている。ならばその期待に答えたいのだ。
そんな中で偶然に見つけたのが、幼女と話すリースの姿であった。
(くっ……声が上手く拾えない。どうして?)
特定位置の空気振動を耳元に拾う風の魔法を使用しているのに、聞こえてくるのは途切れ途切れの音声。気配殺しの魔法と併用し、投影の難易度が上がっているにしても不自然だ。
(あの子──一体何者なのかしら)
思い返せば、部外者であるにも関わらずジーニアス魔法学校の中で行われる決闘の解説として呼ばれたり、学生に紛れて決闘を観戦していたりと、何かと姿を表している。
声は不鮮明ながらも聞こえる会話やリースの表情を見るに、親しい間柄なのは間違いないようだ。ただ、リースの態度が少しばかり妙だった。
「私やウッドロウさん、ガノアルクさんと話してる時とは違う……」
知り合いにしても、同世代の友人と接するようなものではない。気の置けない仲のはずだろうが、そこに一定の敬意のようなものが含まれているように感じられる。そうなると、今の今まで状況に流されたまま疑問を抱かなかったが、ここにきてあの幼女の異様具合が湧き上がってくる。
学校長から直々に魔法の解説を任される知識量に、リースが敬意──に近しいものを払う相手。ただの可愛い少女とは到底考えられない。
(…………そういえば、風の噂で聞いたことがあります)
ふと思い出したのは、黄泉の森に住むという『大賢者』にまつわる話。
──かつてこの国には『大賢者』と称される一人の魔法使いがいた。
魔法使いの称号における最上の称号である『賢者』をさらに超越したと存在。それがもたらした叡智によりこの国の魔法は多いな発展を遂げた。
しかし、やがて大賢者の知恵と力を利用しようと目論む輩が増え始め、嫌気がさした大賢者は人目を避け魑魅魍魎が跋扈する『黄泉の森』の奥底へと隠れ住んでしまった。
大賢者の力を求めて王族や貴族たちは黄泉の森へと使者を送るが、ほとんどのものが道中で息絶えるか無理を悟って引き返した。中には森を抜けて大賢者と会うこと叶った者も稀にいたが、その叡智の一端を授かることはできなかった。
ただ、大賢者の元に辿り着き、そして生きて帰った者たちは揃って口にしたと言う。
──かの大賢者は美しい少女の姿をしていた、と。
嘘か誠か分からぬ彼らの言葉を信じるものはほとんどおらず、やがて大賢者は人々の記憶から薄れていったという。
「まさか……ね」
聞くところによれば、リースの生まれ故郷は黄泉の森の付近にあるらしい。その繋がりで思い出した大賢者の話ではあるが、カディナは首を横に振った。
まさかあの少女が『大賢者』の筈がない。万が一にそうであったとすれば、あそこで親しげに話しているのは礼儀正しい上に四属性の保有者であるアルフィ・ライトハートのはず。ここでリース・ローヴィスと繋がり設けていたとすれば、大賢者というのはよほどに偏屈者なのであろう。
「──っと、余計なことを考えている場合ではありませんでした」
気を取り直したカディナはリースと少女の会話に意識を向ける。
「────ッ!?」
不意に、少女と目があったような気がした。少なくとも彼女の顔がこちらに向いたのは間違いないが、すぐにリースの方へと向き直った。どうやら偶然にこちらを見たようだ。まさか自分の存在に気づかれるはずはないが、それでも突然のことに胸がどきりとしたが。
「そうじゃな、王都の近場にも魔獣が出没する森があるじゃろ。明日はその近くに街に出向くぞい。環境を変えれば、同じことをしてもまた違ったもんが見えてくるもんじゃしな」
(────? 声が聞こえるようになった?)
それまでは雑音が多分に混じっていた二人の会話が、突然鮮明になって己の耳に入ってくるようになった。魔法の精度がいつの間にか向上したのだろうか。
「じゃぁ、明日の明朝に出発なのはいいとして、婆さんは今日どうすんだ?」
「元々はこっちで一泊する予定じゃったからな。宿は確保済みじゃ」
「……そのナリで、どうやって受付と対応したんだよあんた」
カディナは改めて二人の会話に耳を澄ませるのであった。




