百六十話 広まっていました──もう一回帰ります
翌日には、既にカイルスとの決闘が噂になり始めていた。
決闘の実態はさほど広まってはいない。けれども、入学して以降常勝無敗を続けていた俺が勝てなかったとあっては話題にならないほうが無理という話だ。もっとも、相手が誰であったかというのまで正確には伝わっていない様である。
あの日の決闘を目撃した人間の数は限られている。時間帯的にはもう放課後になってしばらくが経過していた。決闘場に残っていたのは勤勉な学生がほとんどであり、殊更に話を広める生徒は少なかったのだろう。
表面的な引き分けであり実質的な敗北。だが、相手は明らかに学生ではない。素性は分からずとも、学生の範疇に収まる人間でないと誰の目から見ても明らか。目撃した生徒からすればむしろ、俺は大健闘したというのが評価だ。
「で、お前をボッコボコにしたのが、カディナのお兄さんだと」
「すごく嬉しそうだよな、お前」
授業の合間の休憩時間。噂を聞きつけたアルフィ。どうしようもなく口の端が釣り上がるのを抑えきれないといったところか。
「そんなに俺が苦しむ姿を想像するのが楽しいか?」
「お前を正面から打ち倒して勝ち越すのが目下最大の目標だけど、それはそれとしてお前が苦しむ姿は俺にとって最大の喜びでもある」
「……お前って俺の親友だよね?」
「こっちは普段から散々お前に引っ掻き回されてるんだ。おあいこだよ」
まぁ俺も、こいつのイケメン顔が苦渋に歪むのを楽しみにしていたりもする。人のことはあまり言えないのかもしれない。
「……なぜ呼んでくれなかったし」
珍しく感情的に呟くミュリエル。握り拳を作り、俺の机の上で項垂れている。俺とカイルスの決闘を直接目にできなかったのが本当に悔しかったのだろう。
「是非とも……是非ともアルファイア家当主の魔法を見てみたかった」
「あの決闘自体が突発的だったしな。運が悪かったとしか──」
「超人気店のゲリラ販売スペシャルスイーツに釣られてしまったのが仇となったか……」
「──ねぇちょっと待って」
初耳なんですけどそれ。
「甘味好きの学生の中でも、ごくごく一部の限られた人間しか掴んでいなかった情報。私は奇跡的にも情報の入手に成功していた。リースが知らないのも無理はない」
「無理なくても、情報を入試した時点でお前が俺も誘ってくれたら良かったんじゃねぇかなそれ!? あるいはお土産!!」
「残念。数量限定。競争相手は少ない方が良い。悪く思わないでほしい。大変に美味でした」
「その感想が余計に腹立つわぁ……」
いや、スイーツに釣られて街に行ってたら、カイルスに遭遇もせず手合わせを申し出る機会もなかったわけで、しかしものすごく釈然としない。同日にもう一つの敗北を重ねた気がしてならない。
ラピスはアハハと苦笑する。
「君たち相変わらず甘味狂いだね。それで、アルファイアさんのお兄さんと闘った感想は?」
「マジで強過ぎ。今のところ勝てる光景が皆無」
「まぁ、名のある貴族の御当主だしね。学生の僕達でどうにかなる道理はないか」
俺の答えは予想できていたのか、どことなくホッとした風のラピスだ。ここで俺が当主相手に善戦、あるいは勝利していたらまたもや距離が離されると感じていたのだろうが。
「言っておくけど、お前の親父さんにもケチョンケチョンにされてるからね、俺。むしろ、気持ち強めで」
「あ、あはははは。……その件ではどうもご迷惑をおかけしました」
ラピスの頬がちょっと赤くなっているのは、何でガノアルク当主が俺をケチョンケチョンにしたのか、心当たりがあるからだ。あの時の事を思い出したのだろう。
やめろよ、ラピスがそんな反応すると俺も顔が熱くなってきそうだから。
「…………なぁ、それはそうとしてあっちはどうなってんだ?」
にやけ面を引っ込めたアルフィが指差す先はカディナだ。
いつもならそろそろ何かしらのツッコミやら挟んでくるところなのに、今は自身の席に座ったまま顎に手を当て考えに耽っている。
朝に登校し教室に来てから、授業中もずっとあの状態だ。教師に呼ばれても受け答えが完璧なあたり流石ではあるが、思考の大半が別に向けられているのは明らかだった。
「カディナに関しては、よく分からん」
間違いないのは、やはり俺とカイルスの一戦だろう。ただそこからは分からない。俺を倒す算段を改めて組み立てているのか。己と兄との実力差を思い知ったからか。カイルスとの決闘で体力を使い果たし決闘場に倒れたわけなのだが、そんな俺を保健室に運んでいる最中も、あんな顔をしていた。
「俺にしても、人のことは言えない……か」
「あん?」
「いや、こっちの話だ」
アルフィが俺の呟きに反応したが、首を横に振って当たり障りなく返す。
カイルスと手合わせをし、実力差を思い知らされた。人からは見えないだろうが、これでも多少なりとも落ち込んでいるのだ。これに関しては最初から覚悟していた。
ただ、それとは別に、どうにも頭の中で引っ掛かりがあった。そいつが俺の中にこびりついている。くしゃみが出そうで出ない感覚だろうか。
もう少しでしっくりきそうなのに、大事なところでスッキリしない。
「といっても、考えたところでどうしようもねぇんだよなぁ、これ」
あれこれと頭を悩ませたところで仕方がない。
──こういう時は無心に身体を動かすに限る。
ちょうど明日からは週末休みだ。
「話はちょっと変わるけど、リースは週末休みどうするの? 校内戦も近いことだし、一緒に特訓しようかなって思ったんだけど」
「悪いなラピス。たった今、予定が固まっちまった。俺は今日の晩から週明けまでちょっと実家に帰るわ」
「えぇ──って。君の実家、ここからかなり離れたど田舎じゃなかったっけ? そんなに気軽に帰れるものなの?」
「ど田舎って……。こいつは飛距離に極端に振った跳躍使って空中をほとんど一直線に飛ぶからな」
「ああ、この前、僕の実家に一日もかからずに行ったって話だもんね」
アルフィがラピスの悪気のない物言いに、ツッコミを入れつつ補足を加えた。
「とすると、また外泊許可をゼストのとっつぁんに貰わないといけないのか。そろそろあの小言が面倒になってきたな」
「ゼスト先生の方も、お前の奔放さに振り回されて大変だろうさ。……しかしお前、この前も帰ったばかりだろう」
先生だって、生徒の成長に貢献できるのならば嬉しい限りのはずだ。アルフィの心配は杞憂に違いない。
先日に帰ったばかりだが、今回は事情が違う。まだ分からないことづくしではあるが、前の時よりも確実に前進しているはずだ。だからこそ見えてくるものもあるはずだ。




