第百五十九話 向き合い前へ──悶えた様です
これまで学内で繰り広げられる決闘で激戦を見せつけてきたリース。もはや学年内において、無属性である彼を見誤る者はいない。自他共に学年首席を認めていた。
そのリースをカイルスは一方的に相手取った。互いに有効打は数える程度。けれども終始どちらが優勢であったかはだからでも一目瞭然。この時この瞬間、偶然にも決闘場に居合わせたごく少数の他の生徒たちは強い衝撃を受けていた。
しかし、カイルスの身内であるカディナはこと更に衝撃──否、悔しさを味わっていた。
「あれが……本気のお兄様」
兄の実力を疑っていたわけではない。魔法騎士団は、この国で最も力を持った武の象徴でもあり、魔法使いを志す多くの者にとっての目標だ。それを率いる立場である団長の実力が低いわけではない。
実家で暮らしていた頃は、時折にカイルスと手合わせをお願いしたこともある。忙しい中で作ってもらった貴重な時間であり、今の彼女を作る根幹の一つだ。カイルスも真摯に魔法に取り組む妹のために快く付き合っていた。
けれども、今のカディナが目にしたのは、過去の手合わせで見たどれとも違った姿であった。
これまでの手合わせはあくまでも妹を『育てる』のものであり、目の前で繰り広げられた相手を『倒す』ものではなかったのだと、実感させられた。
いや、今の自分が本気で闘ったとして、兄の本気をあそこまで引き出せるかどうか。
リースが一方的にしてやられた事への驚きと以上のショックであった。
「カディナ」
カイルスがすぐそばにまで来ていたことに気がついたのは、声をかけられてからだった。
「お、お兄様……」
「君の同級生は凄いな。学生相手にここまで手こずるとは思ってもいなかったよ。彼の様な存在と研鑽できるお前が、少しばかり羨ましい」
最も身近な存在である兄からかけられる掛け値なしの賞賛。筋ではないと頭ではわかっていても、鬱屈したものが胸の奥に溜まっていく。
「……なんとなく今のお前の気持ちも分かるよ」
「えっ?」
顔を上げたカディナの目には、恥ずかしげに頬を掻きながら苦笑する兄の顔が映る。
「私も昔、父が本気で戦う姿を目にした時は、似た様な顔をしていただろうからな。父が現役の魔法騎士団長であり、私がまだ一人の騎士団員であった頃だ。並の魔法使いでは相手にできない魔獣を討伐することがあってな。その時に初めて父の『本気』を目にした。あの時は本当にショックを受けたよ。それ以降も、何度も何度も父と己の実力の差を思い知らされたものだ」
カディナにとって兄は絶対的な存在だ。魔法使いとしても一人の人間としても、己のはるか先を行く人間と言う認識だった。だが、彼も今の自分と同じ様な暗い気持ちを抱くことがあったのか。
「この先、魔法使いを続けていくなら、そんな気持ちを抱く機会は幾度でも訪れる。大事なのはそれとどう向き合い、前に進むかだ」
似た様なことをリースに言われたことをカディナは思い出す。
ただただ魔法に対して直向きなだけではない。どれほどに高い壁であろうとも乗り越えるという強い意志が、リースの中にはあるのだ。
「……私にできるのでしょうか」
「できるとも。私程度ができたのだ。お前ができないはずがない」
カディナは己の胸の上に手を置くと、ぐっと握りしめる。握った手の中には、胸中にあった嫉妬や苛立ち、羨望。その全てを握る力に変えた。
「うん、いい表情だ。それでこそ私の自慢の妹」
妹の肩に手をいいたカイルスは力強く頷いた。また一つ、カディナが成長したことが嬉しいのだろう。
「と、カディナ。もしよかったら彼を医務室に連れて行ってくれ」
カイルスが向いた先は、未だ決闘場で一人佇むリース。やはり、学年首席としての実力をカイルスに揺るがされ、また彼もショックを受けているのだろうか。
だが、カディナの見据える先でリースがよろめいたのを見て認識が変わった。
「リース・ローヴィス!?」
カディナが声を上げる中、リースはそのまま決闘場の床に力無く倒れた。咄嗟に駆け寄ろうとする彼女の背中にカイルスが静かながら強い声を投げかけた。
「カディナ。決闘が始まる前に私が伝えた言葉、忘れるんじゃないぞ」
僅かに足を止め振り返った時には、すでにカイルスは背を向けて去っていくところであった。伝えるべきは伝えたということだろう。兄に詳しく問い掛けたい気持ちはあるが、今はリースの元に駆け寄るカディナ。
「リース・ローヴィス、どうしたの!?」
「お……おう、カディナ」
駆け寄り膝を付いた同級生の声に、ゆっくりと顔を傾けるリース。
「お前の兄ちゃん……めちゃくちゃ強ぇな。全然……敵わなかったわ……」
「と、当然です。お兄様は、我がアルファイア家の当主にして魔法騎士団の団長なのですから。たかだか学生が敵う道理はありません」
思わず兄の自慢を口にしたカディナであったが、
「……まぁ、随分と健闘した方ではあると思いますけどね」
「どう……だかな。最初から……本気で来られりゃ、一分も経たずに……ボコボコにされてたかも……しれねぇがな」
リースの言葉を聞いて、カディナは眉を顰めた。
普段の彼にしては否定的な発言もそうだが、声があまりにも細い。呼吸も荒く、途切れ途切れだ。これまで学内では負けなしだっただけに、今回の決闘は実質的にリースの敗北と言っても過言では無い。それだけに彼も強いショックを受けていたのか。
「ところで、いつまで寝転がっているんですか? こんなところで寝ていたら風邪を引きますよ」
「いやぁ……恥ずかしい話なんだが、ぶっちゃけ動けねぇんだこれが」
「はぁ?」
「実は、魔力も体力も……すっからかんなんだよ」
ニヘラっとリースは笑うが、いつもの憎たらしい笑みも今は力が無い。言葉の通りに、本当に力尽きて倒れたようだ。あの体力お化けであるリースがここまで疲弊した事実に、カディナは改めて驚く。それほどまでに兄との闘いは過酷であったのか。
「まぁ……こういうのは慣れてる。師匠と修行の時はしょっちゅうだ。しばらく休んでれば、寮に戻るくらいの体力は回復するさ」
「しばらくって、具体的にはどのくらい──」
「この感じだと……一時間くらいだな。ま、寮のベットで一晩寝りゃぁ、明日には元気になってるから」
話は終わったとばかりにリースは目を瞑ると、大きく息を吐き出した。体力の回復に意識を集中するつもりなのだろう。
ゆっくりと深呼吸を繰り返すリースの様子を、最初は黙って見ていたカディナであったが。
「…………くっ!」
悔しげな声を口から漏らすと、リースの腕を掴む。
「ぉぉおっ!? か、カディナ?」
「勘違いしないでください。ノーブルクラスの首席ともあろう生徒がこんなところで風邪でも拗らせれば、ひいてはノーブルクラス全体の評判にも関わってきますので」
カディナは体に力を込めると、リースに肩を貸す形で立ち上がった。口に出るのは言い訳じみたものであったが、やはり放置はできなかったのだ。
「お前さん……意外と力あるのな」
「女性に対してその言葉は──と、文句を口にしたいところですが。どこかの誰かさんの影響で、肉体強化を図っている生徒が徐々に増えてきているわ」
とは言え、カディナの表情は険しい。筋肉量が多いリースは似た体格の男子よりも重量があるのだ。鍛え始めたばかりの女性が支え続けるのはきついはずだ。彼女の好意に甘えるのはいいが、負担をかけっぱなしにするのも宜しくない。リースはなけなしの体力を使って足に力を込める。
体の負荷が少なくなり、カディナはリースを一瞥する。力無くも相変わらずの憎たらしい笑みを目にすると、ムッとした表情になりながらも二人で歩を進め始める。
「どいつもこいつも殴り合いに持ち込むとすぐに終わっちまうからな。歯応えが出てくるのは臨むところだ」
切磋琢磨する相手が増えてくる事を喜ぶリースに、半ば呆れ気味になるカディナ。
「上から目線ですね」
「実際に首席だからね、俺。学年で一番よ」
「振り落としますよ?」
「悪い悪い。ちょっと医務室まで頼むわ」
やいのやいのと疲れている割には口が軽いリースに、カディナもやはり言葉を返しながら二人で決闘場を後にするのであった。
──ちなみに、リースを医務室に運び込んだ後、自室に戻ったカディナは、直前まで異性と密着していたことにようやく気がつき、ベットの上で羞恥に一人で悶え苦しんだのは余談である。