第百五十四話 挑みます──壁にぶち当たり中です
同級生の前ではあれだけ気位が高いカディナも、兄の前では形無しか。不服そうな表女の割に、己の頭に乗せられた手を拒まないあたり仲の良さが伺える。
しかし──アルファイア家の当主か。
ぱっと見は気の良い兄ではあるが、由緒正しき魔法使いの血族。
さらに言えば、魔法騎士団の長を務めるほどの実力者。
「おや、リース君。なにやら思い詰めた顔をしていますね」
学校長の言葉に俺はハッとする。それだけ俺自身が悩んでいるということなのだろう。
「ありがとうリース君。おかげで可愛い妹の顔を見ることができたよ」
「お兄様、もう止めてください」
顔を真っ赤にするカディナの傍、カイルスがこちらに朗らかに笑いかけてくる。
俺は一度、学校長に目を向けると、返ってきたのは頷きだ。おそらく、俺が何を考えているのかすでに察しているのだろう。伊達に魔法学校の長をやってはいない。あるいは長命族としての経験だろう。
どちらにせよ、だ。
学校長に背中を押してもらった俺は、意を決しカイルスに言った。
「カイルスさん。道案内をしてもらった礼──にしてはご大層すぎるだろうけど、俺の願いを聞いてくれないか」
「……ほぅ」
俺の言葉に、カイルスは先ほどまでの柔らかなものとはまた別の色を含んだ笑みを浮かべた。
──少しして。
「今からでも遅くはないわ、リース・ローヴィス。考え直しなさい」
「考え直せるほどに柔な気持ちなら、今この場にいないって」
柔軟運動をする俺にカディナが険しい表情で語りかけてくる。
俺たちが今いるのは。決闘場の入り口エリア。いつもはアルフィがいる場所にカディナがいるので少しばかり新鮮な気分だ。
学校長室で俺がカイルスに頼んだのは一つ。
『俺と戦って欲しい』というものだ。
学校長が認めるほどの魔法使いだ。是非ともその実力を体感してみたいと願い出たのだ。
これを、カイルスは二つ返事で承諾してしまった。あまりにあっさりと受け入れられたのでこちらが呆気に取られるほどであった。あの時はカディナも全く同じ顔をしていた。
曰く、カイルスとしても今現在の学年首席の実力を確かめてみたいとのこと。
それから今に至るわけなのだが。
「相手が誰なのか、本当にわかっているの?」
「残念ながら、本日初めて出会った相手なんだなこれが」
「そういうことを言っているのではないわ」
いつになくカディナの語気が強めだ。
「あなたの実力は──悔しいけれど疑う余地はないわ。でも、それはあくまでも学生の範疇よ。お兄様は現役の魔法騎士団長。国内における魔法使いの精鋭中の精鋭。あなたが敵う通りはないわ」
分かっている。これはいつもの苦言ではない。カディナなりの気遣いであると。
「あなたは恥知らずで野蛮で常識破りの田舎者かもしれないが、考えなしの愚か者ではないはずよ」
「……え、貶されてる?」
「軽口を言ったところで、本当のところは分かっているのでしょう。これが勝てる見込みのない戦いであると。なのにどうして」
俺だって馬鹿じゃない。すでにカイルスの実力の片鱗は身をもって味わっている。今の俺じゃぁ正直、逆立ちしたって勝てる道理はない。物腰が柔らかそうに見えて、歴戦の勇であるのは疑いようもない。
だからこそ、戦う意味があるのだ。
「カディナ。お前を納得させられるような気の利いた台詞や気取った言葉とか思いつかないから、もうぶっちゃけて言っちまうぞ」
これがアルフィ相手であれば絶対に口が裂けても出てこないだろうな、と心の中で呟き、俺はカディナをまっすぐに見据えた。
「今の俺は──所謂『壁』ってやつにぶち当たってる最中なんだよ」
「……壁?」
カディナの様子は、俺の口から出てくるとは思ってもみなかったといった具合だ。
「行き詰まっている……という意味でいいのかしら。え、でもあなたが?」
「もの凄く意外そうな顔をしてるなおい。忘れちゃいないか、俺は無属性だぞ」
無属性、という単語でカディナはハッとした。
徐々にではあるが、この学校における無属性魔法への概念が変わりつつある。だがそれは俺が何年もかけて試行錯誤を繰り返してきた結果に過ぎない。
今でこそ学年でトップを張っている俺ではあるが、それまでの過程はとてもではないが順風満帆と言えるものではない。自分で言うのもアレだが、これでも死ぬほど努力したのである。どこぞの大賢者に、文字通り死ぬような目に遭わされながら鍛えたのだ。
それは全て、俺が望んできたことだ。大賢者は、俺の導き出した答えを叶えるための道筋を教えてくれるだけだ。
「これまでも、そしてこれからも。魔法使いをやってくなら何度だって壁にぶつかる。その度に知恵を振り絞って体を鍛えまくって思いつく限りの手段を尽くして、一つ一つ乗り越えてきた。これもその一つだ」
「……負けると分かっている戦いに挑むことが、ですか?」
「具体的に何が得られるかは分からねぇけどな。でも、がむしゃらでぶち当たってみりゃぁ取っ掛かりくらいは見つかるかもな」
これ以上、長々と反しているのもよろしくないだろう。カイルスの方はとっくに決闘場にのぼっているはずだ。こちらからお願いしている以上、待たせるのは失礼だ。
「んじゃぁ、いってくる。余裕があれば応援よろしく」
自身の手の平を拳で叩き、気合を入れながら俺は決闘場へと向かった。
リースを見送ったカディナは歯を噛み締めていた。
彼を愚かと口にしたが、本当に愚かなのは果たして誰だったのか。
己は本当に、リースに勝つための手を尽くしてきたのか。ただ漠然と日々を過ごしていただけなのではないのだろうか。怠惰な時間は一切なかったと信じたいが、あの背中ほどに自らを高めようとしてきたのか。
「私は……」
今のままでは、どうあってもリース・ローヴィスという魔法使いに勝つことはできない。
魔法使いとしての心の差を、見せつけられたような気分だ。
『……カディナ』
「──っ、お兄様っ!?」
深い沼に沈むような思考からカディナを引き上げたのは、どこからか聞こえてくる兄の声であった。どうして聞こえるか、など考えるまでもない。声を風に乗せて遠方に運ぶ魔法だ。
『本当にリース君を倒す気概があるのでれば、今から始まる戦いをしっかり見届けることだ』




