第百四十六話 手合わせですが──やっぱり強いのです
――俺は今、大きな悩みを抱えていた。
休日に黄泉の森を訪れた俺は、大賢者に申し出た。
「一度、手合わせをしてくれ」と。
婆さんは俺の申し出に少し意外そうな顔をしたが、特に何も言わずに素直に受け入れてくれた。
そして始まったのは――激闘だ。。
「ちょいさぁっ!」
――ゴガンッ!
婆さんの小柄な体躯から繰り出された回し蹴り。その衝撃は、既に超化を経て展開した剛腕手甲で防いだとしても、それごと俺の躯を後方へと吹き飛ばす威力を秘めていた。
「相変わらずデタラメだなクソッ」
ビリビリと痺れる右腕。強固な防壁で覆われているはずなのに、芯まで響くような一撃。
けれども、腕の痺れに意識を向けている余裕は無い。
「要塞防壁!」
腕を覆う防壁を分解し、前方に構える。その直後に光の一筋が防壁の表面を穿った。光が防壁を貫くことは無かったが、構成する魔力の何割かがもっていかれる。
「まぁさすがに閃光単発では抜けんか」
手にしていた杖の先端を俺に向けている大賢者。
「じゃぁこれはどうかの?」
今度は杖を空へと向けて掲げる。
「光雨」
投影された魔法陣から放たれたのは無数の光の筋。それは斜め上にある程度進むと、軌道を一気に変えて俺へと降り注ぐ。
――ガガガガガガガガガガッ!!
文字通り光の雨を要塞防壁で防ぐが、放たれる光の一発一発の威力は、先ほど婆さんが使った閃光と同等だ。防壁の魔力が加速度的に削り取られていく。
このままでは物量に押しつぶされる。それ以前に、距離を取った戦闘では俺が明らかに不利。勝ちに行くなら距離を詰めての接近戦しか無い。
そう判断した俺は、背中に展開してある三枚の銀輝翼、その内の一枚を砕く。
「飛天加速!」
圧縮された魔力の解放。それに伴う衝撃で俺の躯が弾けるように加速。光の雨が躯を掠めていくが、多少の被弾は覚悟の上。直撃しそうなものだけをギリギリで見極めながら、一気に大賢者の下へと突っ込む。
「闇衣」
俺の行動を見計らっていたのか。婆さんの拳に黒い靄が纏わり付くと、超加速から放たれた俺の剛腕手甲に正面から打ち付けた。
瞬間、正面衝突の余波で地が抉れ、草木が薙ぎ払われた。飛天加速からの剛腕手甲の一撃は、己の数倍の大きさを持つ岩石すら打ち砕く。
だというのに、大賢者はその数分の一しか無い体格とそれに見合った小さな拳で岩石砕きの一撃を受けきっていた。
「……ふむ」
大賢者が眉を顰めるが、それに気を止めている余裕は無い。一撃を受け止められることは織り込み済み。拳を即座に引き、手甲を纏った左手の連打を繰り出す。身を逸らすような動作で大賢者は俺の左拳を難なく回避する。これも織り込み済みだ。左手に大賢者の意識が集中したところで、右腕を上から叩き付けるように打ち下ろす。
「ほっほっほ、温い温い」
大賢者は余裕を発しながら、大振りな一発を避ける。けれども、この右腕が避けられるのすら織り込み済みだ。
俺は右腕をそのまま地面に打ち下ろす。すると必然的に俺の躯は大きく前のめりの格好になる。ちょうど、肩の辺りが婆さんの方を向く形だ。
「ぬっ!?」
俺の意図にようやく気が付いた婆さんだったがもう遅い。背中に展開していた銀輝翼の先端を動かし、婆さんに向ける。
「ぶっとべ!!」
銀輝翼を利用しての魔力砲。衝撃波をまともに浴びせられ、小柄な大賢者の躯が大きく吹き飛ぶ。
「重魔力砲!」
一撃を見舞う事に成功したからと言って満足している暇は無い。俺は最後の銀輝翼を変形した剛腕手甲に装填し、弾頭として発射した。
「光刃」
大賢者の持つ杖の先端に光が集まる。それを振り抜けば、俺の放った重魔力砲が真っ二つに両断された。
「やるではないか。今のはちょいと驚いたわい」
空中でクルリと回転し、大賢者はダメージを感じさせない軽やかさで着地。その後方で両断された魔力の弾頭が形を失い爆発を起こした。
いつの間にか、大賢者の両腕は黒い靄に包まれていた。おそらく銀輝翼を使った魔力砲が命中する直前、黒い靄を纏って防御を固めたのだ。あの一瞬で最適解を導き出せるのは驚くしか無い。
かといって感心している場合ではない。
「くそっ」
短く悪態を吐きながら新たに銀輝翼を背中に展開。それに伴い俺の内素魔力が大きく消費される感覚に陥る。これで新たに銀輝翼を作ったのは何度目になるだろうか。
――僅かばかりに生じた、魔力消費の反動。刹那にも満たない集中の途切れ。大賢者はその隙を見逃さなかった。
「閃歩」
気が付いたときには、大賢者は俺の懐深くにまで侵入していた。
「闇衣」
驚く間もなく、黒靄で覆われた左足の上段蹴りが俺の頭部を狙う。殆ど勘任せに構えた右腕が間に合い、どうにか防御に成功。しかしそれで終わりでは無く、婆さんは杖と足技を使い自在に操り俺の躯に猛打を加えていく。
本来なら近接戦闘は俺の望むところであったが、大賢者の勢いに飲み込まれてしまい防戦一方。このままではそのまま打ち倒される。
俺は一度仕切り直そうと、跳躍でその場から飛び退き大賢者との距離を離そうと試みる。
だが、俺の足下に投影された反射の魔法陣はその形を途中で霧散させてしまう。
寸前に構築した銀輝翼で、内素魔力が殆ど失われていた。婆さんの猛攻に晒されそれに気がつけていなかったのだ。
俺は咄嗟に残った銀輝翼を――そこに内包された魔力を体内に取り込む装填を使おうとする。
――それよりも早くに、大賢者の両手が俺の腹部に添えられていた。
刹那、大賢者と視線が交錯。彼女は不敵な笑みを浮かべると、両手に黒い靄――魔力を収束させ、解き放った。
「黒砲!」
次の瞬間、俺の躯は先ほどの大賢者をより上回る凄まじい勢いで吹き飛ばされたのだった。




