第百四十四話 親子の語らい
とりとめもない会話を少しだけ続け、僕は遂に父さんに行った。
「その……怒ってないの?」
「何がだ」
「その……僕が女だって、暴露したこと」
今の僕は、制服の上着を脱いだシャツ一枚だ。当然、胸元は大きく盛り上がっており、女であるのは一目瞭然。
ここに運ばれてくる間も、僕を診てくれた教師だって。それ以前に、僕とウォルアクトの決闘を観戦していた全ての生徒にだって目撃されている。
そして当然、決闘を見ていた父さんにだって。
僕の言葉を聞いて父さんは目を瞑る。最初は内心に渦巻く怒りの所為だと思った。
だけど違った。
父さんはやがてゆっくりと息を吐き出すと、まるで項垂れるように視線を下げた。
「怒るはずがない……怒れるはずがないだろう。私に、お前を叱る資格などありはしない」
「え?」
それは、父さんが僕に初めて見せた顔。あの威厳ある人からは考えられないほどの、弱々しい姿だった。
「私はこれまでお前にガノアルクの魔法使いとして多くを教えてきた。だが、今日ほどにお前がのびのびと魔法を使う様を、私は見たことがなかった」
「それはまぁ……そうだろうね」
なにせ、今までは男装するために胸をきつくサラシで締め上げてきたのだ。満足に呼吸が吸えない中では魔力を練り上げるだけでも必死だったのだ。それに比べて、今日は思う存分に力を発揮できた実感はある。
「お前の魔法使いとしての成長を阻んできたのは、他ならぬこの私だ。そんな私にどうしてお前を責める資格があるのだ」
「……父さんばかりのせいじゃないよ」
男でいることを選んだのは、他ならぬ僕自身だ。父さんだけに責任があるわけでもない。僕だって、己が自分の力を制限していただなんて、つい先日まで気がつかなかったんだから。
「だとしても、それを強い続けていたのは私たちだ。私自身の愚かさだ」
父さんは懺悔するように、続ける。
「あの子を──『息子』を失ったあの日から、お前が身を挺して支えてくれたおかげで私も妻も立ち直ることができた。だが、そのお前の献身を当たり前だと思い込んでいた」
「献身だなんてそんな……」
大袈裟な、と口にしようとするも父さんは首を横に振った。
「ある日、唐突に気がついたのだ。私は『娘』に何をさせているのだ、と」
父さんの手に力が篭る。
「私も妻も、お前のおかげで息子の死を正面から受け入れることができた。だが、私たちはお前に何をした。何をしてやれた。──ただ、お前の献身を享受していただけではないか」
絞り出すように吐き出された声には、おそらく己への憤りが込められている。
僕は今、父さんの本心に触れている。
だからこそ、ようやく父さんが何を考えているのかが理解でき始めていた。
「もしかして……ウォルアクトとの婚約も?」
「ああそうだ。男として生きてきたお前に、女としての人生を──喜びを取り戻してやりたかった。だからウォルアクト家との縁談を設けた」
勝手な、とは思えなかった。
僕は父さんという人間をよく知っている。だから、どうして彼がそんな結論に行き着いたのか分かってしまうのだ。
「ああそうだ。私は古い人間だ。貴族の娘は良い縁談に恵まれることこそ幸せだと教え込まれてきた。ウォルアクトはガノアルクと同じ水属性であり、家格も悪くない。テリア・ウォルアクトは優秀な男だ。お前の相手としては申し分ないと」
父さんは僕のことを考えていなかったんじゃない。
むしろ本気で、僕のことを考えてくれていた。
ただ、その方法が僕の望むものではなかっただけだ。
「どうして、その事を話してくれなかったのさ。そうしたらもっと──」
そこまで言って、僕は口を噤んだ。
僕も父さんと同じだ。
むしろ、僕の方がタチが悪い。なにせ、人に言われるまで自分の本当の気持ちに全く気がつかなかったのだから。ただ言われるがままを反発し、拒絶し耳を塞いだ。
これでは、父さんを責めるなんて到底出来ない。
「僕はさ……実際のところは次期当主なんてどうでもよかったんだよ」
だから、まず口にすべきは、己の言葉だった。
「けど、僕が『男』でいる限りは、父さんも母さんも、そしてラズリも。家族が壊れないで済む。だから次期当主として頑張ってきたんだ」
次期当主の座を目指すのは、単なる手段でしかなかった。僕はただ、家族が崩壊する様を見たくなかっただけ。それを僕はいつの間にか見失っていた。手段と目的が気づかないうちに入れ替わっていた。
「父さんに急に婚約の話を聞かされて、僕のこれまでの十年間をすべて否定されたように思った」
だから拒絶した。父さんが何を思っていたのか考えもせずに。
「娘の本当の気持ちを理解しようともせず、自らが考える幸福をさも当然のように押し付けてしまった。それでは拒絶されるのも無理はない」
「父さんの考えは、貴族としては間違ってないよ。むしろ、それを拒絶しようとした僕が間違ってるんだ」
「だとしても、それを含めて話し合うべきだった。だが私は、お前への負い目からか、無意識にその事を避けていた」
拳に込められていた力が緩むと、父さんは力なく息を吐いた。
「今まで本当にすまなかった……これでは父親失格だな」
「いや、それは違うよ。あえて言うなら……お互い様かな」
これはお互いが本心を明かさなかった結果。互いが一方的に気持ちをぶつけ合い、互いを理解しようとしなかった代償だ。
我が事ながら、自分はこの人の子供なんだと知る。
なにせ、僕だって父さんに──リベア・ガノアルクに負けず劣らず頑固者なのだから。
「……『ラピス』。今だけは正直に聞かせてくれないか」
父さんの口から、僕の本当の名前を聞いたのはいつぶりだろうか。
「お前はあのローヴィスという小僧の事をどう思っているのだ?」
──やがて後悔すると知っていても、僕は嘘偽りない気持ちを父さんに伝えた。
「好きだよ。一人の男性として、リース・ローヴィスを愛している」
たとえ、テリア・ウォルアクトの嫁になる未来が待っていたとしても。今、僕の胸にあるこの気持ちは紛れもない真実だ。
「そうか……」
父さんはもう一度目を瞑ると、今までで一番深い溜息を漏らした。どうしてか、その瞬間に父さんが妙に老け込んだように見えた。
「…………ならば、これをあの小僧に返しておいてくれ」
そう言って父さんが取り出したのは細工の施された首飾り。よく見るとそれは、ローヴィスがいつも首から下げているものだった。
「どうしてこれを父さんが?」
「縁談を破棄する際の賠償金としてあの小僧から預かっていたが……必要なくなったからな」
「え?」
いまいち話が見えない僕に、父さんが宣言した。
「お前とウォルアクトの婚約は白紙とする」
「えぇっ!?」
驚く僕をよそに、父さんはさらにとんでもない事を口にした。
「その上で、ラズリとテリア・ウォルアクトの婚約を改めて結ぶこととする」
「えぇぇぇぇぇぇぇっっっっ!?」
叫んだ拍子に凄まじい激痛が全身を襲うが、そんなにかまっている余裕はなかった。
「言ったではないか。『次期当主の座に興味はない』と」
「言ったけども!?」
それがどうして妹とウォルアクトの婚約につながるんだよ!
「というか、ラズリの気持ちはどうなるの!?」
ウォルアクトとの婚約解消は願ったり叶ったりではあるが、そのために妹を犠牲にすることは躊躇われる。
「安心しろ。あの子にはすでに話を通してある。お前と違って、ウォルアクトの次男との婚約には随分と乗り気だ」
「いやいやいやいや、そういうことじゃなくて。え、あの子乗り気なの?」
そういえば、ラズリのやつ。ウォルアクトがガノアルクの屋敷に来た時は随分とはしゃいでいたな。
「お前が次期当主の座を放棄するというのならば、テリア・ウォルアクトを入り婿とし、次期当主に迎え入れることになんら問題はない。違うか?」
確かに、ウォルアクトは僕に固執しはしていなかった。あくまで狙いはガノアルクの家督だ。それに僕が次期当主に興味がない以上、彼がガノアルクの当主になることに異議はない。
無いのだけれど。
「お前の婚約が破棄になったのならば、ジーニアスの退学の話も無しだ。次期当主の座を明け渡したとしても、お前はガノアルク家の一員だ。その名に恥じぬ魔法使いとなるための己の研鑽に励め」
「…………………………」
あまりの展開に、もはや言葉が出なかった。
「それでは、私はそろそろ失礼しよう。休息が必要な者と長々と話すのも悪いからな」
「え? いやちょっと!」
爆弾投下したままさらっと帰ろうとしないでよ!!
「そうだ、帰る前に言っておこう」
まだ何かあるのか? これ以上爆弾を投下するのはやめてほしいんですけど。
「先ほどの言葉、本心からの気持ちであるのならば中途半端は許さんぞ。どのような形で終わるにせよな」
「あ──」
僕が聞き返す前に、父さんはプイッとそっぽを向いた。まるで年甲斐もなく拗ねているように見えてしまった。
「それとだ。母さんとラズリも、お前からの便りがなくて心配していたぞ。たまには手紙でも出せ」
そう言い残して、父さんは部屋を後にした。
──色々と真剣に覚悟を決めていたはずなのに、まとめてぶち壊された気分だ。
でも……心は晴れていた。
ベッドの上には、父さんが残していったペンダントがあった。それを目に僕は笑みを浮かべていた。
父さんは一言も口にしなかったけど、こうして本心を語り合うことができたのはローヴィスのおかげだ。このペンダントだって、僕のために父さんに渡したのだろう。
それがもしかしたら友情ゆえの行動なのかもしれない。
けど、そんなのもはや関係なかった。
「もう。こんなことされたらいよいよ本気になるしかないじゃないか」
僕は痛む躰でありながらも、ペンダントをそっと手にし胸に抱いたのであった。
──そこに、感謝と愛しさを込めて。