第百四十二話 揉まれるようです──激おこらしい
気がつくと、ラピス(とテリア)は救護班の担架に乗せられて決闘場を去っていた。その様子を惚けたまま見送る。
夢心地というか現実感がないというか。心臓の鼓動は激しいのに頭の中はボヤけている。
俺は己の口元に手をやる。
手を触れれば、ラピスと唇が重なった感触が蘇った。
先ほどのあれは──紛れもなく現実だった。
改めて恥ずかしさやら照れやらがこみ上げてきて、俺は頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
ラピスと最近のやり取りを思い出す。ここに来てようやく、彼女が何を考えていたのかが分かった。
本当の己を曝け出し、その上で俺に告白するために闘ってたというわけだ。
「ああぁぁぁぁ……」
顔を手で覆うと、絞り出すような呻きが喉から絞り出された。
嬉しいか嬉しくないかで言えば、もちろん嬉しい。あんな綺麗で胸が大きくて、可愛くて──胸の大きな子に告白されて嬉しくない男がいるはずもない。嬉しくなかったら男じゃない。
だが万歳を上げて喜ぶのは難しかった。
恋愛経験ゼロの俺にとって、ラピスの告白は完全に不意打ちだ。許容範囲を楽に越えてしまっている。
本音を言えば、俺だってラピスのことは憎からず思っている。ここまで来てしまったら認めるしかない。今まではラピスが『男』であろうとし、その意思を尊重するために目を向けないようにしていた。
それがまさかまさかの展開だ。
ラトスが『女』であることを大々的に明かし、その上で告白。果ては──キスまでされた。
今の俺は自分の中に渦巻く感情を処理できず、とりあえずその場で転がりまわりたい心境にかられる。
「つか、あいつももうちょいと時と場合を考えてくれよ」
俺は周囲を──観客席を見渡した。
未だ決闘の興奮冷めやらぬ様子だが、一部から発せられる殺気を含んだ視線が突き刺さってくる。その大半が男子生徒で──何割かは女子だ。
ラピスは元々『男子生徒』として女子からの人気が高かった。そして女であることを明かしたことで男子のファンも獲得した。そんな彼女が衆人環視の眼の前で告白をし口づけまでしたのだ。
そりゃあ嫉妬も買うだろうさ。俺だって逆の立場だったらぶっ殺してやりたくなる。
「……明日から背中は気をつけなあかんわこれ」
下手すると、凶行に走ったラピスのファンから刺されかねない。半分冗談だが、もう半分は割と本気に危機感を抱いていた。
──ところが、もっと直近で本当な危険が迫っていることに俺は気づいていなかった。
このまま決闘場の真ん中でうずくまっているわけにもいかない。そろそろ立ち去ろうとしたその時だった。
「随分なことをしてくれたな、小僧」
「……………………」
ぶわりと、背中から汗が噴き出した。
蛇に睨まれたカエルとは、今まさに俺のことを言うのだろうか。声を聞いた途端、視線を浴びせられた瞬間に躰が硬直した。黄泉の森で超危険な魔獣に運悪く出くわした時のような寒気が襲い来る。
経験で知っている。ここで振り向かなかったら死ぬ。
『ギリギリ』と、軋み音を上げそうな程にゆっくりと、俺は声がした方向を振り向けば。
ラピスの父親──ガノアルク家当主、リベア・ガノアルクが腕組みをして佇んでいた。
「……なんでここにいるんで?」
「学校長殿に招待されてな。先ほどまで貴賓室で決闘の一部始終を見物させてもらっていた」
おそらくは、学校長も良かれと思ってリベアを呼んだのだろうが……今だけはさすがに文句を言いたい。何てことをしてくれたんだと。
「見物と言いますと、最初から最後まで?」
「ああ。ラトスが担架で運び出されるまでの一部始終をな」
つまりそれは……大事な娘さんがどこぞの馬の骨とも知れぬ小童にキスをした瞬間もバッチリ目撃していたわけで。
「いや、ラトスが仕出かしたことの責任はすべてあれが負うべきだ。貴様を責めるのは御門が違う」
口調こそ前に会話した時と同じだが、嵐の前の静けさにも近しい威圧感が伝わって来る。指で軽く突くだけで大爆発を起こしてしまいそうな気配だ。
「……それにしては、随分とご立腹な様子に見えるんですけど」
「そうか、私にはそんなつもりはないのだがな。もしくは、私が貴様を殺したくなるほどに腹を立てるような何かしらに心当たりがあるのか?」
俺とラトスの『仕出かし』について、リベアは一言も言及しない。けれど、確実に怒っているのは間違いない。だって目が完全に据わってるし。殺したくなるって言ってるし。
「未熟ではあれど中々に良い決闘を見させてもらった。その代わりと言ってはなんだが、ジーニアスの卒業生として後輩に胸を貸してやろう」
リベアは組んでいた腕を解くと、ゆっくりと魔力を練り上げていく。
その静かながらも確実に増していく魔力は、大きな津波が押し寄せる前触れ。潮が引いて目の前から消えていくような感覚だ。
「えっと……何をなさるおつもりで?」
「決闘場で魔法使いが二人、向かい合えばすることなど決まっていよう」
ですよねー、聞かなくても分かってました。
……これは本当にやばい。
ガノアルクの屋敷でやりあった時よりも、格段に本気だ。
「構えろ、小僧。相手になってやる」
「いえ、結構です」
普段なら嬉々として挑むところだが、今回ばかりは辞退したい。明らかに怒っている格上を相手と闘うなんて御免だ。
右手に反射を展開し、圧縮魔力を精製。超化を使って一気に離脱しよう。そう思い立った俺の視界に、ふよふよと宙を浮かぶ水球が映った。
ハッとなり、気がついたときには、時すでに遅し。俺とリベアの周りには無数の水球が漂っていた。それらを生み出したのが誰か、もはや問うまでもない。
おそらく、リベアが決闘場に来た時点で仕込みは完了していたのだろう。俺が気づかぬうちに、決闘場が『支配』されている。ガノアルクの血に宿る特性の本領を体感し、感心する一方で冷や汗が止まらない。服がすでに汗を含みすぎてびっしょりだ。
「そう遠慮をするな。先輩として少々揉んでやる」
揉むどころか、バッキバキに握り潰されて跡形も無くなりそうなんですけど。
『はい! ここで学校長より新たなるイベントが告知されました!』
実況席から興奮気味に放送が流れる。
『今決闘場にいらっしゃるのは、先ほどまで熱戦を繰り広げていたラトス選手のお父上、ガノアルク家当主のリベア様! 何を隠そう彼もジーニアスの卒業生であります。今日は何と、ジーニアスの先輩として一学年主席であるリースさんとのエキシビションマッチを行ってくれるとのことです!』
学校長ぉぉぉぉぉぉぉ! 何てことしてくれてんだぁぁぁぁぁ!!
『ちなみに、『夢幻の結界』の再起動には時間を要します。なので、くれぐれも怪我をしないように気をつけて下さい』
ふざけんな! 今のリベアを相手に『夢幻の結界』無しでしのげってのか!? 無茶振りにも程があんだろ!!
色々な意味で退路を塞がれ、もう腹を括るしか無くなった。
「ああもう、やってやるよ畜生!」
若干泣きが入りつつ、俺は己の胸に圧縮魔力を叩き込む。出し惜しみなんてしてる余裕なんぞ欠片もない。
こうなったら、リベアに最低限の理性が残っていることを祈る──望み薄かもしれませんけど。
「始める前に一つ、貴様に言っておこう」
「何だってんだ!?」
ヤケクソ気味に聞き返すと、リベアは僅かにだが殺気を収めた。
「貴様のお陰で、ラトスは我々が背負わせていた重荷から解放された。そのことに関してだけは感謝する」
──まったく、親子揃って不意打ちとは。
予想外の言葉に、呆れと驚きが入り混じった感情を抱いた。
それが悪かった。
「では、行くぞ」
「……いやちょっと!? それは流石に酷くねぇかって、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!?」
完全に反応が遅れた俺は、圧倒的物量魔法の洗礼にさらされたのであった。
 





