第百四十一話 本当の名は──
俺はどうして自身がラトスの名を叫んだのか、よくわからなかった。応援をしたかったのか、叱咤激励をしたかったのか。
ただ必死に、彼女の名を呼んでいた。
──そして『夢幻の結界』が解除された時、最後に立っていたのは……ラトスだった。
「勝者、ラトス・ガノアルク!!」
ゼストの高らかな宣言とともに、観客席が爆発したかのように沸いた。最初から最後まで手に汗握る闘いであり、その末の決着に誰もが興奮していた。
「勝ちました! 勝ちましたよ、ウッドロウさん!」
「分かった。嬉しいのはわかったからちょっと手加減ををををを……」
飛び上がらんばかりの友人の勝利を喜ぶカディナと、その興奮に巻き込まれ躰を揺すられるミュリエル。こちらは決着がついたことでいつもの調子に戻っていた。
一方、アルフィはラトスの勝利に拍手を送ってはいたがその表情は思案するような顔になっている。
「リース、最後のあれは……テリアの魔法を『支配』して、その魔力を根こそぎ奪いとったって認識でいいのか?」
「多分な。……ったく、なんつー無茶しやがる。『発動している最中の魔法』を構成してる魔力を取り込むなんて芸当、今の俺には無理だぞ」
やってやれないこともないだろうが、リスクが大きすぎる。荒れ狂う激流をそのままの勢いで別の水路に流し込むようなものだ。下手をすれば跳ね上がった魔力量に制御が追いつかず、暴発して最悪の結果になる。
「あの娘の特性と相性が幸いした形じゃ」
婆さんが目を細めてラトスを眺めている。俺もばあさんと同じ結論だった。
ラトスの特性『支配』は、魔力の制御に関して強い適性を有している。この決闘を見た限りでは一学年でトップクラス。もしかしたら三指に入るほどのものに達しているだろう。
それに加えて、対象の魔法が『水属性』を強く帯びていた。同じ水属性魔法使いのラトスにとっては慣れ親しんだ魔力。干渉もしやすく、一時的になら操ることも無理ではない。
「かっかっか!」
「婆さん?」
唐突にばあさんが笑い出して、俺は首を傾げた。
「よく聞けリース。あの娘、この先の成長次第で相手が水属性魔法使いに限れば相当なものになるぞ」
「あんたにしちゃ随分と褒めたな」
婆さんの評価を聞いて、俺は驚く。
ことが魔法に関すれば、彼女はどこまでもドライ。決して世辞は言わずにどこまでも客観的に評価をする。それだけに大賢者の言葉となれば相応の重みがあった。
「けど確かに……あんたの言う通りだ」
今回ラトスが最後に見せた『相手魔法の支配及びに魔力略奪』は、確かに土壇場の奇襲だ。そう何度も使えるような手ではない。
──だがもし、何度も使えるようになったとしたら?
己の魔法に触れる相手の魔法を片っ端から支配し、魔力を取り込むことが出来たとすれば。
相手が水属性限定という縛りはつくが、とてつもなく強力な手札となり得る。
「儂が睨んだ通り……否、それ以上の逸材じゃ。将来が楽しみじゃて」
「……まさか弟子にとろうとか考えてねぇよな」
「お? なんじゃ、師匠が取られると思って嫉妬しとるのか? 可愛い奴め」
「いや違うから」
あんたのシゴキは殺人的すぎて、並の感性の持ち主じゃ一週間も保たずに潰れるから、犠牲者を増やしたくないだけです。
そうツッコミを入れようとした時だ。
決闘場に立っていたラトスの躰がグラリと傾いた。
『夢幻』の結界内で起こったすべての出来事は夢幻。結界が解除されればすべてがなかったことになるが、結界内で体験した記憶や精神的疲労は残ってしまう。
「────ッッ!? ラトス!!」
俺は反射的に跳躍を使ってその場を飛び出していた。今のラトスは、身体的な損傷はなくとも、精神的には限界を超えているはずなのだ。
ラトスが力なく前のめりになり、地面に激突する寸前。俺は彼女を受け止めることに成功した。驚くほど軽いその躰にドキリとしつつ彼女に声をかけた。
「おいラトス。大丈夫か?」
「…………ローヴィス?」
「そうだ、ローヴィスさん家のリースくんですよ」
やはり疲弊が限界に達しているようで、躰にまるで力が入っていない。俺はラトスを床に座らせてやった。時間が来れば救護係が来てくれるだろう。
「僕のこと……見ていてくれた?」
「ああ。最初から最後まで見てたよ」
「そっか」
ラトスの浮かべた笑顔は、疲労を含んではいつつも晴れやかであった。思わず俺も笑みを作っていた。
「最後の最後までドキドキハラハラさせやがって」
性別の暴露から始まり、驚異的な特性の発覚や最後は魔力の強奪とくる。驚きの連続で息の休まる暇もなかった。
「君にだけは言われたくないかな」
案外受け答えははっきりしている。これなら一日しっかり休めば問題なく回復するだろう。
「さ、いい加減に黙ってろや。怪我はなくとも精神的には辛いだろ。最後には派手に無茶やらかしてんだしよ」
「うん……実は今にも意識が飛びそう。でも……もうちょっとだけ頑張らせて」
「いやいや、十分すぎるくらいに頑張ったって。もう寝てろ」
「そういうわけには……いかないんだ」
その声には、疲れ切った中であっても強い力を感じさせた。
「ローヴィス。さっき、僕の名前を呼んでくれた?」
「あ、ああ。こう……なんとなく呼んでたわ」
決闘の最中に叫んだことだろう。まさか、あの状況でラトスの耳に届いているとは思っていなかった。少しばかり照れが混じり、俺はそっぽを向いてしまう。それがおかしかったのかラトスはクスリと笑った。
「ありがとう。あの声があったから僕は勝てたんだ」
「んな大袈裟な」
「ううん、大袈裟でもなんでもないよ」
ラトスは首を横に振った。
「あの時、僕の心は折れかけていたんだ。でも、あの声を聞いたからこそ、改めて思い出したんだ」
己の胸元に手を置くラトス。
「僕がどうしてこの闘いに臨んだのかを。そして強く自覚したんだ。己の気持ちを」
「……ラトス?」
「ラピス」
「え?」
「『ラトス』は兄さんの名前」
『彼女』は死んだ兄の代わりになるため、男として生きるために兄の名前を名乗っていたのだ。
「僕の本当の名前は『ラピス』」
「……いいのかよ、それを教えて」
「君になら……いや、君には知っていてほしいんだ」
決意を固めるように一拍を置き、彼女は言った。
「僕──ラピス・ガノアルクは、リース・ローヴィスに恋をしています」
──頭の中が真っ白になった。
思考が半ば停止しかけている中で、心臓の鼓動だけが痛いほどに早まるのは感じることができた。
呆然として硬直している俺の頬に『彼女』が手を添え、疲労しているとは思えない力強さで引き寄せられる。
そして──。
「君が好きだ、ローヴィス」
俺とラピスの唇が、重なり合った。