第百四十話 奪い尽くします──決着しました
あけましておめでとうございます。
そしてようやく、決着です。
水城塞の防御を突破し、僕の魔法がウォルアクトに命中したのを僕の目は確かに捉えていた。
ウォルアクトの水城塞に僕の魔法が命中する度に、僕の魔法に含まれている魔力が彼の魔法に溶け込んでいく。ウォルアクトは僕の魔法を防げば防ぐほど、僕の魔力が彼の魔法に蓄積されていく。
そして僕はその魔力を媒介にして、水城塞の水流操作に強い負荷を与えているのだ。
同じ水属性の使い手であるウォルアクトが相手だからこそ通用する手だ。ほかの属性が相手では、いくら僕の魔法の特性である『侵食』があろうとこうも強い干渉を与えることはできなかっただろう。父さんならあるいは可能かもしれないが、僕には無理なはなし。
そして水城塞の特性である『内包魔力の循環』が完全に仇となっていた。魔法を構成する魔力は魔法が維持される限り、魔法の内部を循環し続ける。
通常ならば利点ではあるが、逆を言えば一度内部に入り込んでしまった魔力を排出できない。つまり、僕の魔力は水城塞を維持し続ける限り留まり続ける。
僕の今の技量では威力のある魔法は投影できない。『侵略』を使って支配領域を形成し、手数を増やしたところで意味はない。
けれど、魔法の威力を上げるだけが突破口ではない。
僕の攻撃力を上げられないなら、ウォルアクトの防御力を下げてしまえばいい。
そして、ウォルアクトの防御力は水城塞の表面を覆う水流走。その流れを弱めてしまえばいいのだ。
ギリギリの綱渡りのようなものではあったが、それでも想定通りに事が進んだ。
そして──想定以上の消耗が僕の全身に伸し掛かっていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
吐き気と眠気と寒気が一度に襲いかかってくるような気分だ。魔力の枯渇に加えて、大量の魔法の投影。さらには他人の魔法の制御を奪うための処理。まさに三重苦。消耗が必至なのは覚悟していたが、ここまで強烈な負荷がのしかかるとは思ってもみなかった。いまだかつてここまで躰を酷使したことはないかもしれない。
なけなしの気力を振り絞り、飛びかける意識を繋ぎ止める。
心身ともに限界に達し、これ以上の引き延しは無理だ。
仕掛けるなら今しかない!
決闘場に散らばった水を全て手元に集める。僕の未熟ゆえに、これらを作るために消費した魔力に比べれば集まった魔力は随分と減ってしまった。それでも大技を一つ投影する分には申し分ない。
「これで決める! 『蒼龍衝破』!!」
僕の持ちうる最強の攻撃力を持つ魔法を投影。水の龍が現れ、大顎を広げてウォルアクトへ襲いかかる。
全方位から攻撃することで水流操作を困難にし、その隙に『侵略』によって水城塞の制御を奪い取り水流防壁の弱体化。
そして最後に僕の最大攻撃力で突破を図る。
これこそが、僕の真の狙いだった。
水龍が貝の殻のようにウォルアクトを守護する水城塞に食らい付く。最初の衝撃で、水流の勢いが相当減衰したのが感じて取れた。
これなら行ける!
「守護蛇神!!」
勝利に手が届いた確信。それを得る直前に水城塞の表面から四本の水鞭が伸びる。いや、あれは単なる鞭ではない。先端がまるで蛇のように牙を持っている。それらが、水城塞を打ち砕かんとする水龍に噛み付いた。
「なっ!?」
「舐めるなよ。切り札を隠し持っているのは君だけでは無い!」
おそらくは、超至近距離にまで接近された場合を想定した魔法だ。
水の蛇に噛みつかれた水龍が急激にその勢いを失っていく。全ての制御を攻撃に振り分けた魔法なのだ。正面からぶつかり合うならまだしも、側面から干渉を受けては脆いのは当然。
水龍の維持に魔力を注ぎ込もうにも、もはや魔力は枯渇している。ならば水蛇の制御に干渉しようとするも、今までに無い圧力で押しのけられた。ウォルアクトもこの攻防を最後の一手と考えているのだろう。あちらも文字通り死に物狂いで魔法の制御に手を加えている。
蒼龍衝破で一気に突破するはずが、僕とウォルアクトの切り札が拮抗してしまった。そうなれば、既に消耗が激しかった僕の方が圧倒的に不利だ。
まずい。これを凌がれたら僕にもう余力は残っていない。 けれども、頭では分かっていても躰がついていかない。
急速に心の芯が冷たくなっていくのが分かった。敗北の予感に背筋が冷たさを帯びていく。諦めがじわりじわりと指先から侵食していくかのようだ。
ここまで来たのに。
もうちょっとで手が届きそうなのに。
そのもうちょっとが果てしなく遠い。
──ああ、でも。
躰から少しずつ力が抜けていく。
──僕にしては。
意識も途切れそうだ。
──結構。
瞼がゆっくりと閉じていく。
──頑張ったよね。
「ねぇ……ローヴィス」
恋した男の子の名を呟きながら、僕は──。
「ラトォォォォォォォォォォォス!!」
歓声渦巻く決闘場の中にあって、全域に広がるほどの大声量が木霊した。
まるで背中を叩かれたかのように、僕はハッとした。
声の主へと振り向いている余裕は無い。
でも、その声が誰なのか、もはや考えるまでもなかった。
冷えていた心の中に火が灯り、躰が燃え上がるように熱くなっていく。
「ああ、そうなんだ」
ここに至って、僕は改めて思い知らされた。
名前を呼ばれただけで、声を聞くだけでも、こんなにも嬉しく思ってしまうものなのだと。
──こんなにも、リース・ローヴィスに強く恋い焦がれているのか。
ここまで来て負けてられるか。
膝をついてなるものか。
僕はまだ、彼に何も伝えちゃいないんだ。
だから──勝って伝えるんだ、この気持ちを!
──脳裏に閃いたのは、ローヴィスの特性。
ローヴィスは自身の内包魔力の少なさを、空気中の外素を無差別に取り込むことによってそれを解決している。
けれどそれは、彼が無属性魔法使いであるのと同時に弛まぬ努力の末に獲得した特性。おいそれと真似できる芸当では無い。
──何も空気中から外素を取り込む必要なんか無い。
あるじゃないか。僕と同じ水属性の魔力がすぐそばに。
魔力が欲しければそこから奪い取ればいいんだ。
ほとんど無意識レベルで僕は叫んでいた。
「蒼龍衝破・暴食!!」
水龍に食いついていた四匹の蛇が全て消滅。そしてそれに伴い水龍が一回り以上に巨大化した。
「なん──っ!? まさか、俺の魔法を『喰った』のか!?」
ウォルアクトは即座に理解したようだ。
水龍に触れる魔法に干渉し、それを構成する魔力を根こそぎ食い尽くし、己の糧とする。ましてや、干渉されることを考えていなかった同じ属性の魔法はまさに格好の餌。四匹の蛇は余さず水龍に取り込まれたのだ。
しかし、特別な鍛錬を積んでいない僕が他人の扱っていた魔力を制御するなど無理な話だ。加えて急激に魔力を増した水龍は今にも破裂寸前。まさに奇策で一発勝負。
でも、この一瞬さえあれば──ウォルアクトの鉄壁を崩すことができる。
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
僕の命に応じ、暴虐の化身となった水龍の顎が、ついに水城塞の水流を噛み砕き、消滅させた!
その直後に、水龍の制御が僕の手を離れ、辺り一面に水飛沫を撒き散らしながら崩壊する。
「お、俺の水城塞が……」
己の手持ちで絶対の自信を持つ手札が破られ、ウォルアクトが自失呆然となる。けれどもまだ、二本の足でしっかりと決闘場の地面を踏みしめている。
まだ、勝負はついていない。
僕にはもう魔法を遠くに撃ち出す為の魔力すら残っていないし、地を駆ける体力も無い。
でも、手元に魔法を投影する魔力と、拳を握り締める体力程度はまだ残っている。
「水流走……ッッ!」
足元に発生させた水流に乗り、僕はウォルアクトに向けて突貫する。
「ローヴィス。君の魔法、ちょっと借りるよ──手甲!」
体内に残った最後の魔力を、握りしめた拳に集める。出来上がったのは六角を形作った防壁だ。
彼ほど立派なものは作れない。
けれども、拳一つを覆う程度なら、今の僕にもできる。
こちらの動きに気がついたウォルアクトがようやく我に帰る。けれども、その反応は余りにも遅すぎた。
「待っ──!?」
「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」
ウォルアクトの顔面に、僕の手甲で覆われた拳が突き刺さった。
水流走の速度に手甲の強固な乗った一撃。彼の躰は地面に投げ出されるとそのまましばらく転がり続け、やがて決闘場の端近くでようやく止まる。
そして──『夢幻の結界』が解かれるまで立ち上がることは無かった。