第百二十九話 緊張しているようですが──なぜかいました
正直、他人の闘いにここまで緊張するというのは初めての経験だった。俺が実際に闘うわけでもないのに、決闘の開始を目前に先ほどからどうにも落ち着かない。
周囲に座るのはいつもの面子。
普段ならここで決闘の趨勢を各自で予想立てていくのだが、今日は俺を気遣ってか言葉が少ない。少し申し訳ない気持ちになるが、ありがたさもあった。
ラトスの決意に満ちた宣言がずっと頭の中に残っていた。
──だから君に見ていて欲しい。偽ることをやめた僕の──ラトス・ガノアルクという魔法使いの闘いをね。
あれはどういう意味だったのだろうか。
それに、ラトスはテリアの水城塞にどう対抗するのか。無謀に挑んだわけでないのは間違いないのだが。
「ああもう、わけがわかんねぇよ」
ガシガシと頭を掻き、俺は項垂れた。
すると。
「ほっほっほ。随分と悩んでおるようじゃのぅ」
頭の上から掛けられた声に、俺は硬直した。
目を見開きながらガバッと顔を上げれば、よく知った姿が俺の目の前に立っていた。
「……なんでここにいらっしゃるんですかねぇ、あんたは」
「遊びに来たのじゃ」
俺が顔を引きつらせながら問いかけると、大賢者が「にぱっ」と可愛らしい笑みを浮かべ、手を振っていた。できることなら、その笑顔に張り手をかましてやりたくなった。やったら十倍返しの返し技が飛んでくるのでしないが。
少し遅れて、アルフィたちが大賢者の存在に気がつき、息を飲んだ。おそらく、なんの前触れもなく唐突に彼女が出現したように感じられたのだろう。慣れている俺だって、殺気もなくこうやって不意に近づかれると、今みたいに全く察知できないのだから。
ミュリエルの反応が一番劇的だ。彼女は俺を除けば唯一、この少女が大賢者である事実を知っている。ある意味では憧れの存在がいきなり現れれば驚愕も一押しだろう。
「ちょっと、そこなイケメン。少し失礼するぞい」
「へ? あ、ちょっ」
アルフィが意味のある言葉を口にする前に、大賢者は俺とアルフィの間に割り込み、観客席に腰を下ろした。
「えっと……リース・ローヴィス。そのお嬢さんはあなたの知り合いなのですか?」
「あー…………とりあえず、昔馴染みなのは確かだ」
カディナの疑問に、俺は曖昧に答えるしかなかった。
馬鹿正直にこの年齢詐称少女の正体を口にしたところで素直に信じられるはずもない。かといって、他に満足のいく説明をできる自信など俺にはない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、大賢者はどこからか──おそらくは収納箱──取り出した袋を開き、中の菓子を口に頬張り始めた。
「ん、どうした。おぬしも食うか?」
「いらないよ!? 物欲しそうな目もしてねぇよ!」
自由すぎんだろこのババァ!
「……なるほど、確かにリースの師匠なだけはある」
おいミュリエル。どうしてそこで納得しちゃうわけよ。
今のつぶやきは俺以外には聞こえていなかったようで、相変わらずアルフィとカディナは奇異の目を少女(大賢者)に向けていた。
身内の恥ずかしい一面を友人に見られたような気持ちになってくる。どうにもいたたまれなくなった俺は、声を潜めて大賢者に問いかけた。
「で、実際のところは何しに来たんだよ。つか、学校長のところにいきゃぁいいだろうさ。なんでわざわざ俺のところに来てんだよ。ビックリしただろ」
「弟子の友好関係にちと興味があったのが一点。……まぁ随分とご立派な女子を引っ掛けたのぅ。正直びっくりじゃよ。間近で見たら迫力ありすぎじゃろうて」
引っ掛けたって──人聞きが悪すぎるだろう。あ、いや。……迫力がありすぎるのは同意するけど。なにせ学内三大おっぱいの持ち主たちだからな。
──ではなくて。
「わかっとるよ。ま、ちょいと助言をしてやった手前、事の顛末が気になっての」
「助言? 俺……じゃぁないよな」
俺が聞き返すと、大賢者はまるで悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「…………まさか」
少しの間を思考に要し、その笑みの意味に行き着いた。
「あんた……ラトスに会ってたのか!?」
「本当に偶然じゃったがの」
俺の指摘を、大賢者は肯定した。
つまり、俺がガノアルクのと入れ違いになる形で、大賢者が都に来ていたわけか。
「おぬしから話は聞いてたからの。意図せぬ縁ではあったが、老婆心からくるお節介を焼きたくなってな。」
もしかして、ラトスが妙に吹っ切れた様子だったのは、この似非幼女に何かを吹き込まれたから。そう考えると納得できてしまう。
「安心せい。それほど特別な事をは言っておらんよ。わしが与えたのは切っ掛け。後のことはあやつ自身が導き出した結果じゃよ」
大賢者は話を切ると、決闘場に目を向ける。俺もそれにつられて視線を動かすと、ちょうどテリアが決闘場に現れたシーンだった。
既に一部のファンを獲得しているのか、テリアが姿を現した途端に女子生徒たちの黄色い声が響く。
『ここでテリア・ウォルアクト選手の入場です! 試験直後に行われた入替戦では圧倒的な実力を示した彼ですが『決闘』という形でこの場で戦うのは今回が初めて!』
実況はおなじみのサラドナ。今日も最初からハイテンションだ。アルフィの決闘となるとこの二倍くらい喧しいが、それはそれで好評らしい。
『しかも、相手は同じ水属性であるラトス・ガノアルク選手! ラトス選手はこれまでの決闘で好成績を収めていますが、情報によりますと先日の合同授業にて模擬戦を行い、テリア選手相手に敗北を喫したとのこと。これはいわばラトス選手の雪辱戦とも言っても過言ではありません!』
合同授業での話はやはりそれなりに知れ渡っているか。サラドナに悪気は無いかもしれないが、彼女の実況がラトスのプレッシャーにならなければいいが。
『水と水! まさに技と技のぶつかり合い! これはまさに注目の一戦! さぁ、今まさにラトス選手の入場です!』
一斉に、決闘場に存在するすべての視線が、ラトスの入場に集まる。
そして──会場が静寂に包まれた。
ミュリエルもアルフィもカディナも。そして俺すらも、息をするのさえ忘れてしまうほどに。ラトス・ガノアルクが決闘場に現れ、その姿を目にした途端に、この場にいる全ての人間が言葉を失っていた。
「そうじゃ。それで良いのじゃよ」
唯一、大賢者だけは満足げな笑みを浮かべている。
おいおいちょっとまてよ。
「まさか……そういう意味だったのか!? 偽る事をやめたって、これだったのか!」
俺はようやく、理解した。
ユッタリとした足取りで歩を進め、決闘場の中央へと向かうのは、一人の生徒。ジーニアス魔法学校の女子制服を身に纏い、青い髪を三つ編みにしている、その少女。
生徒の中では俺だけが知っていた。だが、その姿は俺も初めて見る、彼女の制服姿。
ラトス・ガノアルクその人だった。




