第百二十七話 こっちも頑固ものでした──綺麗だと思いました
「父さんとは会ったの?」
「会って色々と話したよ」
言葉と魔法を少々交えてな。
「言った通りの頑固親父だっただろ」
「全くもって、厳しい親御さんだった」
さすがに『決闘』紛いのことまでしでかしたとは言いにくいので、肩をすくめ茶化すようにして言葉を濁した。
「それで、結局は君は何しに僕の実家に行ったんだ? ……まさか、父さんに『婚約破棄』を直談判しに行ったわけじゃ」
「その前に一つだけ、はっきりさせておきたいことがある」
俺はラトスに指をつきつけた。
「ラトス。お前は本当にガノアルクの次期当主になりたいのか?」
「────っ」
ラトスが息を飲んだ。どうやら、全く自覚がなかった、というわけではなかったか。
張り詰めるような緊張感があったのも束の間、ラトスは諦めたかのように肩を落とした。
「先を続けてもいいか?」
ラトスが目を伏せながらも頷く。それを受けた俺は続けた。
「お前が迷ってたのは結局、そこなんだろうよ。だからどれだけ悩んでも答えが出てこなかった」
ラトスは父親に『女に戻れ』と一方的に告げられたことに強く憤っていた。自らの意思もあったが、それと同等に父親からの願いがあり『女』を捨ててこの十年間を過ごしてきた。それらが、今日までのラトスを『男』として形作ってきた。
それを、唐突に否定されれば強い反発を抱くのも必然。
しかし、それだけではない。
十年間も掛けて作り出した強い思いは、実際のところはそのままラトス本人すら気づかぬ呪縛にもなっていたのだ。
俺は婆さんの助言を受け、一晩悩み続けた果てにその可能性に行き着いた。
なぜなら──。
「お前が男として生きてきたのは、家族を守るためだ」
ラトスの兄が死んだことによって、父は荒れ果て母は体を壊した。幼い妹もおり、このままでは崩壊してしまいかねない家族の危機に、ラトスは幼い心で自らの兄を『演じる』ことでそれを防ごうとした。
そしてラトスは、家族を助けるためにガノアルク家次期当主となり、男として生きることとなった。
彼女の献身によって、ガノアルク家は息子の死を受け入れ見事に立ち直った。
つまるところ──ラトスの目的は既に果たされていたのだ。
「だが、十年間もの間、男であろうと強く思い続けたからだろうな。いつしか、手段と目的がごっちゃごちゃになってたんだろうさ」
家族の崩壊を防ぐために男として振舞ってきた。
並大抵の努力では済まさないだろう。いくら男としていきようにも、躰は勝手に女性としての成長を続けていく。それがなおさらにラトスが男として振舞おうとすることを強く意識していく。
その強すぎる心がけのせいで、いつしかラトスは家族のために男であろうとするのではなく、男であろうとするために次期当主としての地位に固執するようになっていた。
本人の考えと、彼女自身の根底にある願い。この二つの差異がラトスが答えを出せずに悩み続けてきた最大の原因だと、俺は考えたのだ。
話を黙って聞いていたラトスは、先ほどよりも大きなため息を吐いた。
「……まさか、こんな短期間で似たような指摘を受けるとは思いもしなかったよ」
「────?」
「こっちの話さ」
ラトスは首を横に振ってから、恥ずかしげに頬を書いた。
「うん、そうだね。おそらく君の言う通りなんだろう」
──すると、今日のラトスがここ最近に比べて妙にすっきりしているのは、自分の悩みの原因に行き着いていたからか。
「その結論に行き着いた時、胸の奥が『ストン』と落っこったような気分になったよ」
哀愁を感じさせる小さな笑みを浮かる。
「僕も父さんのことは言えないね。一度自分で言い出したことは、たとえ間違っていたとしても、そう簡単に曲げようとしないんだから。本当に、頑固者だ」
容姿は母親から受け継いだのだとすれば、その性根は間違いなく父親から受け継いだもの。そういうことだろう。
「でも、それを自覚できたところで……」
「お前の親父さんとは話をつけといた」
「え?」
父親──リベアは自分の話など聞いてくれるはずが無い。そう思っていただろうラトスのセリフに被せるように、俺は告げた。
「お前の本当の望みを親父さんに伝えろ。でもって、親父さんの本当の気持ちを聞き出せ。まずはそれからだ」
「……もしかして、その為に父さんと?」
「まぁな」
リベアから約束を取り付ける為になかなか大変な目にあったが、それこそ言わぬが花。こちらにも実りある経験もできたしな。
「一度、心の中に溜まった色々なもんを洗いざらいぶちまけて、本気で親子ゲンカでもしてみろ」
「それは経験談?」
「そんなところだ」
親子間での話ではないが、俺もアルフィも似たような経験がある。最初は互いの立ち位置から始まった諍いが、やがては本気で相手を叩き潰そうとする大喧嘩に発展した。だが、そのおかげで俺とあいつは本心をぶつけ合える仲になったのだ。
ガノアルクさん家は一度、しっかりと親子ゲンカをしてもらいたい。
そして、もし話し合いの結果、ラトスがテリアとの婚約破棄を本気で願った時の為の仕込みは終えている。
俺の出した提案に、リベアが本気で驚いていた様は見ものであった。あの厳しい顔が目を見開くような表情に変貌した時は、悪戯が成功した時のような爽快感があった。その上で、リベアは俺の提案を受け入れてくれた。
とはいえ、俺も決して軽くない代償を支払っている。だがこれもやはりラトスには言うまい。恩着せがましくしたくはないし、何よりも女の子には少しカッコつけておきたいのだ。それが決して伝わらなかったとしてもだ。
「──で、俺がそれなりに苦労して親父さんとの約束を取り付けたってのに、肝心のお前は何してくれてんの」
すんなりと話が進みそうだったところで、ラトスとテリアの決闘。下手するとまた話が拗れるぞ。
「……それは申し訳ないと思ってる。けど、まさか君がここまでお節介を焼いてくれるとは思っていなかったんだから仕方がないだろ。ライトハートからの伝言も『僕の実家に行く』って要件しか聞かされてなかったんだから」
「むぅ」と、睥睨していた俺が逆に言葉に詰まってしまう。ラトスの言い分に口を挟む余地がなかった。
「君の気遣いには感謝してる。それは本当だ」
「まさか……合同授業での借りを返すつもりか?」
理由はそれしか考えられない。それ以外の意味を、俺はこの決闘に見つけられなかった。
「違うんだよローヴィス。あの時の悔しさは僕の中にくすぶったままだし、借りを返したいって気持ちが無いと言えば嘘だ。同じ水属性の魔法使いとして対抗意識もある。でもね」
ラトスは己の胸に手を添える。
「父さんと本気で──己の本心を曝け出すんだったら、なおさら僕はこのままじゃいられないんだ。己の本心すら見失い、その上で己を偽り続けてきた僕のままじゃね」
ラトスは、柔らかい笑みを浮かべた。
「────っ」
それを見た俺の心臓の鼓動が、一瞬高鳴る。これまで見てきたラトスの顔の中で、最も美しい笑みがあった。そう思えてしまうほどに、ラトスの笑顔は俺の目にひどく魅力的に映ったのだ。
だから、とラトスは力強く拳を握ると目を閉じ、次にそれを開いた時には確固たる決意を宣言する。
「僕はウォルアクトに決闘を申し込んだ。自分の気持ちに正面から向き合う為に」
もはや、俺がどうこうったところで決闘を取り下げるつもりは無いか。本人も言っていたが、一度言い出したら頑として譲らないのは、まさに親子の遺伝なのだろう。
ここまで決意が固いのなら、とやかく言える筋合いでは無い。ただ、それでもあえて口を挟ませてもらうとすれば。
「……勝ち目はあるのかよ」
「君はどう見てるんだい?」
「質問に質問で返すなよ。……合同授業の時のままだったら『七対三』ってところだろうよ」
「どちらが『三』かは……聞くまでも無いか」
僅かに残念な声色を含ませながらも、ラトスは己の不利を素直に認めた。
「あいつの水城塞は、お前の最大火力を正面からぶつけても耐え切っちまうぞ」
「防御魔法の専門家が言うと、さすがに説得力があるね」
ガノアルク当主の使った、複数の水龍を具現化して放つ『蒼龍衝破・蹂躙』。ラトスがあのうちの一発程度の火力を発揮できれば突破は可能だろう。しかし、ラトスがリベアの領域に一朝一夕でたどり着くのはまず無理だ。
ラトスの話を聞く限り、自暴自棄になって挑んだという風ではなさそうだが。
「安っぽく聞こえるかもしれないけど、僕は前までの僕とは違う。少なくとも、この前のような無様を晒すつもりはないよ」
俺の懸念を払拭するように、ラトスははっきりと言った。
そして歩を進めると、俺の目の前に立った。
間近に迫ったラトスの──男の格好をした女の子の顔に、またも胸が高鳴る。
──やっぱり、綺麗だ。
場違いで的外れな気持ちを胸に抱く俺の目を、ラトスがまっすぐに見据える。
「……勝算はあるって見ていいのか?」
「もちろん。だから君に見ていて欲しい。偽ることをやめた僕の──ラトス・ガノアルクという魔法使いの闘いをね」
そう言って、ラトスは自信に満ちた笑みを浮かべるのであった。