第百二十一話 先達から助言されました──無理はダメです
少女と共に街を巡り、出店で買った菓子をつまみ、他愛もない話をしながら歩き回る。奥底では未だに鬱屈した気持ちはこびり付いていたが、それでも寮を出た時よりもはるかにマシになった。
加えて……実は認めたくはないのだが、
いつも僕の胸を締め付けていたサラシは胸元にはなく、代わりに大きすぎる胸を吊り上げてくれるものを着けているおかげか、心だけではなく躰までも軽くなったように思える。重いことは重いけれども、ただ単にサラシを巻いた時よりもずっと楽だった。
最初は少女の得体の知れなさ思うところはあった。強引になれない女ものの服に着替えさせられたことにも物申したかった。それも、時間が経つにつれてだんだんと気にならなくなっていた。
少女は見た目こそ幼いが、まるで自分よりも一回り以上の人生経験を重ねた老人と接しているような感覚。少女の意図は読めなくとも、彼女の行為には多分の善意が含まれているのを、僕はもう疑ってはいなかった。
そうして、身も心も少し軽くなったまま、少女と歩き回っていると、いつの間にか僕らは街中の公園に辿り着いていた。
この場所には見覚えがあった。
ローヴィスに物凄く苦い丸薬を飲まされたあの公園だ。
「どれ、ちょいと休んで行くかのぅ」
口の中に思い出した苦味に顔をしかめていると、少女は先を行き公園のベンチに座った。付き合う義理はなくとも、ここできて黙って帰る選択肢もまたなく、僕も彼女に習いその隣に腰を下ろした。
「やれやれ、やはり人混みは気が疲れてかなわんな」
「そんな、お年寄りみたいな……」
「これでもおぬしの十倍以上は生きておるからな。さて、疲れた時は糖分摂取じゃ」
「は? 十倍以上って……いやちょっと待って、まだ食べる気なの? ここに来るまでも僕より相当食べてたよね?」
「ほれ、女子にとって甘いもんは別腹というじゃろうて」
「お菓子しか食べてないでしょ! 別腹どころか本腹も一杯一杯じゃないかな!?」
「おぉぉ……なかなかに冴えのあるツッコミじゃ。花マルいるか?」
「いらないから!!」
とある問題児のせいで不本意ながらに鍛えられたツッコミのキレに、少女が本気で感心する。というかこのやり取りは本当にあの問題児との会話を彷彿させるな。
「……お、なんじゃ。花マルじゃなくて菓子が欲しいのか?」
「どうぞお一人でお楽しみください」
もしかしたら関係者か?と勘ぐってしまい少女の顔をまじまじと見つめていると、彼女は菓子を差し出してきた。好意であろうが、僕は首を振って断った。少女ほどでないにしろ僕もそれなりに量をこの公園に来るまでに食べている。食べ過ぎると晩御飯も入らなくなりそうだ。
「ふむ……多少なりともマシな面になったのぅ」
最初僕は唐突に漏らした少女の言葉を理解できなかった。
菓子の一欠片を口に放り込んだ少女は、顎に手を当ててこちらを見据える。
「最初に会った時はまぁ辛気臭い顔じゃったからなぁ」
「……どういうこと、ですか?」
自然と敬語を使ってしまう自分を不思議に思う。けれども、そうすべきなのだと本能的に判断していた。
「ま、年寄りのお節介っちゅぅところか。話には聞いておったしな。進んで干渉するつもりはなかったが、こうして縁もできたわけじゃし、師としては軽い手助けをするものやぶさかではない」
少女が何を言っているのか、僕には全く理解ができなかった。間違いなく、僕とこの目の前の少女は初対面であり今日知り合ったばかりだ。
でも、『完全な赤の他人』でないことだけはなんとなくわかった。
「あなたは……いったい何なのですか?」
「そうさな……機会があれば儂以外の口から語られるじゃろ。……それよりもどうじゃ。久しぶりに『女』に戻った気分は」
普通なら質問に質問で返されれば苛立ちを覚えたかもしれない。しかし、その苛立ちを軽く飛び越える少女の問いかけに、僕は自分の姿を省みた。
──誰がどう見ても、女性にしか見えない己。
「……よく、わからないです。悪くないとは思いますけど」
あれほどまでに頑なに『男』であることに拘っていたはずなのに、今は『女』であることに落ち着いている。
「こんなにご立派なたわわをサラシで真っ平らになるまで締め付けてりゃ窮屈なんてもんじゃないじゃろ。つか、むしろよく今まで呼吸できとったな。それはそれで凄い」
少女の両手がなにかを鷲掴みにしようと怪しく動くので、僕は慌てて自身の胸を腕で守護する。
「ぬははは。ま、要するにどれだけ隠そうとも隠しきれないものってのはあるもんじゃ。それを無理に隠そうとすればどこかに無理が回ってくる。身も──そして心にもな」
「…………」
「少なくとも、今この瞬間の自身を否定できておらんおぬしは、心の底から『男』になんぞなれはせんよ。どこまでも『男』を無理やり演じている『女』にすぎん。役者としては大根以下じゃな」
少し前までの僕だったら、少女の言い分に激怒していたかもしれない。でも『今の僕』にはできなかった。
彼女の言っていることは、他らなぬ僕が薄々と自覚していたことだ。あえて考えないようにしていても、根っこのところではわかっていた。
だって、僕はリース・ローヴィスに恋をしているのだから。
「だったら……どうすれば良いんですか」
胸が締め付けられるような痛みを感じながら、僕は搾り出すように言った。
僕が本当に男であろうと望んでいるのならば、街中ですれ違う恋人たちを目にして、羨望の念を抱くはずがない。本当は自分でもわかりきっていた。
でも、そんな自分を受け入れるには、僕が重ねてきた『十年』は重すぎる。簡単に捨てるには時間が掛かりすぎたのだ。
「先達があれやこれやと余計なちょっかいを出しすぎるのも野暮じゃ。かといって、ここでハイさよならするほど儂も人格破綻はしとらんつもりじゃ。ゆえに、ちょっとだけ助言をしてやろう」
少女はベンチから立ち上がると僕の正面に来た。
座っている僕と立っている少女の目線が同じ位置で絡み合う。そして、彼女は笑みを浮かべながら僕の肩に手を置いた。
「一つの事柄を長い時間続けとるとな、『手段』と『目的』があやふやになるのはよくあることじゃ。思い入れが強ければ強いほどにな」
「手段と……目的?」
僕の聞き返しに少女は再度笑うと、何も答えずに僕に背をむけて歩き出した。「あとは自分で考えろ」ということなのだろか。
「あ、そうそう。もう一点だけ」
不意に足を止めた少女が、一度だけ振り向いた。
「魔法というのはな、心だけでなく躰も健在であって、初めて万全の力を発揮するんじゃ」
「え?」
「深呼吸でもしてみぃ。色々と考えるのはそれからじゃて」
「じゃぁの」と少女は後手を振りながら、今度こそ振り返らずに歩き出した。
いつの間にかあれだけ高かった日が傾き、夕暮れ時だ。
──去りゆく少女の後ろ姿が、どうしてかローヴィスと重なって見えた。
まだ人通りの多い時間帯。雑踏の中に消えゆく少女の姿を見送った後、僕は彼女の語った言葉を反芻した。
「一つの事柄…………か」
それが何を指しているかは瞭然。何を今更に──と思う一方で、だったらどうしてあの少女は『それ』をあえて口にしたのかが気になった。
それに、最後の言葉。
「深呼吸……ねぇ」
そういえば、深いため息は数え切れないほど零したが、深く息を吸い込むことはあまりしていないきがする。というのも、胸に巻いていたサラシがキツすぎて息を吸うのも大変だったのだ。
とりあえず、騙されたように思いっきり深く息を吸い込んでみた。
──ドクン。
「──っ!?」
一度、大きく息を吸い込んだだけだ。
ただのそれだけで、全身のありとあらゆる部位に『熱』が伝わっていくのが分かった。手の指から足先。頭の頂点に至るまで、これまで感じたことのない『奔流』が走る。
「なん……なんだ、これは」
まるで、川の流れが急激に増したかのような感覚が全身を支配する。
それが『魔力』であると気がつくのに、そう時間は掛からなかった。
──やがて、僕は理解することになる。
少女が口にした言葉の意味を、その全てを。