第百十二話 ちぎれ飛びます──『こーでぃねーと』されました
九月十日に第二巻が出ます!
少女に半ば強引に連れてこられ、ラトスがたどり着いたのは一軒の服飾店だった。
「って、これって女性専用のお店じゃないか!」
「ま、女装癖のある男の子も訪れる可能性も否めないが、とりあえずは女物の店じゃの」
ラトスの悲鳴にも近い声に、少女は事もなげに言った。
「え、ちょっと待って。もしかしてこの店に入る気?」
改めて店頭を見渡すラトス。女性の服を専門に取り扱っているのはすぐに分かったが、よく見れば貴族御用達の高級感あふれる店であった。
「値段のことか? これでもそれなりに蓄えはある。この店を百件ほど買い占めても余裕がある程度にはな」
「君って本当に何者なの?」
この少女の言葉にラトスは戦慄する。まだ出会ったばかりだが、態度といい今の台詞といい、単なる可愛らしい少女でないのは間違いない。お金持ちの御息女──と一言で言い表すには得体が知れなさすぎる。
「──いやいやいや、お金の事もそうだけど、ほら僕は男だし、女性物のお店に案内されても困るというかなんというか……」
あからさまにどもっているのを自覚していながら、ラトスはそうとしか言えなかった。今のラトスは『男』であり『女』を相手とした店に入るわけにはいかない。
──この手の店に憧れがないといえば嘘にはなるが。
(あれ? そういえばこの子。どうして真っ直ぐにに女性物の店に連れてきたんだろう)
ラトスの出で立ちは、洒落っ気のない男性ものの服で固めてある。誰もが『女顔の男性』と思ってしまう程度には身なりに気を使っているつもりだった。
「ああもう、面倒くさいのぅ──ていっ!」
ラトスが疑問に思っていると、苛立ちに近い呟きを漏らした少女。そして、空いている方の手で空を一閃した。
そのあまりにも俊敏さに、ラトスは手の動きの辛うじて始まりを捉えるだけが精一杯だった。
フワリと、ラトスの胸元を風が通り抜けた、そして数瞬遅れて『ビリッ』と不吉な音が聞こえてきた。
何事かと胸元に視線を落とした次の瞬間。
ボンっと、胸が膨らんだ。
ついでに、胸元のボタンが一つボンっと弾け飛んだ。
ラトスを『男』として成立させていた『サラシ』が引きちぎられたのだ。
「────────────」
「ほほぅ、話には聞いとったが凄まじいのぅ。破城槌と名付けたあやつの気持ちはわからんでもない」
あまりのことに口をパクパクとさせるラトスに対して、少女は感心したように顎に手を当ててしきりに頷く。なお、少女のつぶやきはラトスの耳には届かなかったようだ。
「──はっ!? あ、わわわわわわわ……」
呆然から立ち直ったラトスは、慌てて自己主張の激しすぎる胸元を抑え、その場にしゃがみ込んだ。ラトスの行動に周囲を歩く通行人達が視線を向け始める。
「ほれ、これで全く問題ないじゃろ?」
「く──このぅ」
顔を上げて少女の顔を見れば、可愛らしい笑みを浮かべていた。だがラトスには、生贄を前にしてほくそ笑む悪魔のそれにも等しく感じられた。
サラシは新しいものに変えたばかりだ。それがこんな短い時間で自然に千切れるはずがない。タイミングからして、間違いなくこの少女が何かをしたのだ。
けれども、実際に何がされたのか、ラトスにはついぞわからなかった。
「悪いようにはせんから、ほれ」
「すでに十分悪いようにされてるのは僕の気のせいかな?」
「間違いなく気のせいじゃ」
欠片も悪怯れなく言ってのける少女を睨みつけるラトス。しかし、ふと今のやり取りに不思議と既視感を覚えた。
似たようなやり取りをつい最近──どころか日常的に誰かとしていなかっただろうか。
あれよあれよという間に店内に連れ込まれ、およそ一時間ほどが経過した。
「さすが儂。見事なまでの『こーでぃねーと』じゃて」
「うぅぅぅ、どうしてこんなことに」
腕を組み至極満足げな少女とは対照的に、ラトスは顔を真っ赤にして俯いていた。
ラトスの姿は店に入る前とは対照的に、まさに『女性』であることを全面的に押し出したものになっていた。
豊かな胸元を強調し、それでいて下品にならない程度に飾られた上半身。同じく、女性的な柔らかさを持った足を見せつけながらも慎ましさを兼ね揃えたスカート姿の下半身。
高級服飾店が扱う高品質な品と、少女の素晴らしい見立てが噛み合った、芸術品と称しても万人が納得させられるような仕上がりだった。その証拠に、道を行く人々は男女問わず着飾ったラトスを振り向いてしまうほどだ。
店に入った当初、店員は少女を相手にすることに苦笑していたが、彼女がどこからか取り出した金貨のつまった袋を取り出すと対応をガラリと変えた。良くも悪くも現金な対応だったが、逆に金さえ貰えればどんな相手とも等しく接するという点であればまさにプロであった。
「よかったのう。汚れた服は店が預かって洗濯してくれるようじゃ。夕暮れ頃になったら戻って来れば返してくれるぞ」
「……逆を言えば、夕暮れまではこの格好でいろってことでしょ?」
「なんじゃ。不満か? よく似合っとるのに」
「似合ってるとかそんな問題じゃないんだけど……」
これまで『男』として振舞ってきたラトスにとって、『女』そのものの格好をするのはいつぶりだろうか。下半身の風通りの良さは久しく、ひどく頼りなさを感じていた。
それに、こんな格好をしているのを万が一にもジーニアスの生徒に見られでもしたら。
「安心せい。今のおぬしは紛れもない女じゃて。『男』のおぬししか知らんもんが一目見た程度では違和感を覚える程度じゃろう。堂々としてりゃぁバレはせんよ」
「──っ、どうしてそれを」
「ま、それはおいおいの」
全てを見透かされているような感覚にラトスは得体の知れぬものを感じる。まるで自分のことを以前から知っているかのようだ。
「それよりもちょいと歩かんか。もしかして、この後に予定とかあるか?」
「────……」
ラトスは少し考えた後、静かに首を横に振った。
元々、あてのない散策だったのだ。不気味さを覚えはしつつも、この少女からは悪意は感じられなかった
──店に連れ込まれる一連の行動には若干物申したい気もしたが……それは置いておく。
一人で鬱屈した気分を抱えているよりかは、この奇妙で不思議な少女に付き合うのも悪くはないと、ラトスはそう考えた。
「ほうか。じゃ、行くかの。ついでに適当に菓子でもつまみながらな」
満足のいく回答を得られ、少女はニパッと笑みを浮かべたのだった。