第百十一話 ちょっと憧れるようですが──ぶつかってしまいました
──リースがガノアルク家に突撃している頃。
己の実家に友人がお邪魔しているともつゆ知らず、ラトスは休日の街中を歩いていた。身にまとっているのは私服ではあったが、その下には豊満な胸がサラシでぐるぐる巻きにされて、窮屈に収まっていた。
特にこれといった用事があるわけでもなかったが、部屋の中に篭っていると鬱屈した気持ちが頭の中でぐるぐると渦巻き、ひたすら気が滅入ってくる。
実家のこと、父親とのこと、テリアとのこと
そしてここにきてリースへの想いをつく自覚してしまった。考えることが多すぎてまともに思考が定まらないほどだ。
気分転換も兼ねての外出であったが、多少の域は超えていなかった。ただ、躯を動かしていると僅かばかりだが余計なことを考えずに済むだけマシだった。
平日の昼間というだけあり、街は活気に満ちている。多くの人々が道を行き交う中を、ラトスは当てもなく歩を進めていく。
そんな中、ふとすれ違った男女の組み合わせに目を引き寄せられる。仲睦まじく手を繋ぎ、楽しそうに会話をするその二人は、やはり恋人同士なのだろうか。
彼らの姿を別の者に置き換えた。
──リースと手をつないでいる自分。
「…………はっ!?」
そこまで思い浮かべた時点で、ラトスは我に返った。
次期当主であった自分が、リースを想うことは間違いだ。しかし、今の自分は次期当主の座から落とされ、他家から婿を迎え入れる立場。あるいは女になった自分であるならリースへの想いも筋が通るが、自分には親が決めた婚約者がいる。しかもそれは自分の十年を無駄にする行為で──。
結局、外に出ようが出まいが思考は同じところをぐるぐると回っている。いつの間にか仲睦まじい男女も人混みの奥へと消えてしまった。
ここのところ頻繁に増えている溜息の回数を一つ増やし、ラトスはいつの間にか止まっていた足を再び進めた。
だが、直前まで男女の後ろ姿を眺めていたために前方への注意が疎かになっていた。
前を向きなおした時には、目前に小柄な少女の姿が迫っていた。
──ドンッ。
「うわぁっ」
「にょわぁっ!?」
片方はラトスの。そしてもう片方は、彼女に正面からぶつかってしまった小柄な姿からの悲鳴だ。
幸か不幸か、互いに衝撃で倒れるよなことはなかったが、代わりに少女が抱えていたなにかしらが地面へとバラバラと零れ落ちてしまった。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「こちらこそ申し訳ない、菓子の美味さに前方への注意が疎かになっとった」
ラトスは慌ててぶつかってしまった少女へと声をかけた。対して少女は特に慌てる素振りも見せず、むしろ申し訳なさそうに呟いた。よく見ると、地面に零れ落ちたのは、様々な種類の菓子。少女の腕の中には、中身が減ってしまった菓子の袋が満載されていた。
「いやはや、いくら殺気のない相手とはいえこうも無防備にぶつかってしまうとは……儂もちょいと鈍っとるのかもしれんなぁ」
少女の言葉を聞いて、ラトスは記憶を刺激された。最近に、彼女の口調と声を聞いたような覚えがあったのだが、目の前の少女との面識はないはずだった。
「…………ふーむ、もしや」
ラトスが疑問を抱いていると、少女の視線に気がつく。ラトスの顔と胸元をじっくりと見て、顎に手を当てている。と、ラトスの目に気がついた少女はふと我に帰り、こほんと小さく咳払いをした。
「ごほんっ。あー、すまん。お前さんの服、めっちゃ汚しちまったわい」
「へ? ……ああぁっ!?」
指摘されて気がついたが、ラトスが来ている服の胴体部には菓子がべっとりとこびり付いていた。ぶつかった拍子に少女の手の中にあった菓子が付いてしまったのだ。
最初こそ驚いてしまったが、ラトスはすぐに冷静さを取り戻した。自分も少女も怪我はない。服は汚れてしまった程度なら我慢する必要もないほどとりとめもないことだ。むしろラトスが申し訳なさそうな顔になった。
「この程度ならどうってことないよ。それよりもごめんね。ダメにしてしまった君のお菓子は僕が弁償するよ。あ、親御さんはどこにいるのかな?」
「……この成りだと割と普通のことなんじゃろうが、すごくもやっとするのぅ」
「ん、どうかしたの?」
「あ、いや。こっちの話じゃ。それより弁償はせんでもええよ。儂の不注意が原因じゃし、おぬしの被害の方が明らかにデカイじゃろ」
「こちらのことは気にしなくてもいいよ。僕だって不注意だったしね」
こんな小さな子なのにすごい礼儀正しい子だとラトスは思った。同時に、口調がやっぱりおかしいなとも。
微笑ましく感じていたラトスだったが、
「そうはいかん。ほれ、ついてこい。詫びといっちゃぁあれだが代わりの服を見繕ってやろう」
「へ? あ、ちょっと!?」
いつの間にか、少女に手を引かれてラトスは歩き出していた。いつ手を掴まれたのか分からないような自然の動き。ラトスはそれに気がつくことく慌てる。
「僕は大丈夫だから! 寮に戻るのもそんなに時間はかからないし、少し我慢すればいいだけだから!」
「いんや、儂の気が収まらん。つかの、こんな極上の素材を前にして野暮ったい服を着せとくとか人類の損失じゃて。儂はそんなのを許した覚えはないぞ!」
「君って何様なの!?」
「『大賢者』様じゃ!!」
「…………はい?」
少女の意味不明な言葉に目が点になったラトス。
「悪いようにはせんから、とにかくついてくるのじゃ!!」
小柄な体躯からは想像もできないほどの力強さと、少女の勢いに飲み込まれ、ラトスはなすがままに引っ張られていくのであった。




