第百十話 コミュニケーション不足のようですが──会話しろと言いたい
いくら俺がおっぱい大好き人間であろうとも、友人の家族のおっぱいをまじまじと見るのはさすがに失礼だと我に帰る。
幸いと言っていいかは迷うが、ガノアルク夫人は俺に挨拶をした後はラズリに目を向けており、ラズリはラズリで母親のことで手一杯なのか、両者ともに俺の視線には気がついていないようだった。
夫人はラズリに退出を命じ、彼女は渋々とだが母親の命令に従って部屋を出て行った。
その後、夫人に少し遅れてやってきた使用人が、押してきたトレーに準備していた茶器や菓子を客間のテーブルに用意し退出する。
部屋に残ったのは、俺とガノアルク夫人だけとなった。
「どうぞ、召し上がって」
「……頂きます」
夫人に勧められ、俺はとりあえず淹れたての茶が注がれた茶器を手に取った。上品な香りが、それが一般市民では手が届きようのない高級茶葉であるのを証明している。十分に香りを楽しんでから口に含むと、上品な味わいが口の中に広がった。
「ガノアルク領の水で淹れたお茶はどう? 自慢になってしまうけれど、このお茶を飲むために他領から貴族の方々が来訪するほどなのよ」
俺の反応を見て夫人は楽しげだった。
「それで、ラトスは学校ではどうなのかしら。あの子ったら学生寮に入ってから一向に手紙をくれないから、全然わからない。『便りがないのは良い便り』なんて言葉も聞きますが、親としては気になって仕方がないわ」
おたくのご主人、その辺りのこと全く触れてませんでしたけどね。
まぁ、ご当主に関してはもしかしたらテリア経由で何かしらの近況報告がなされているかもしれないが。
「リースさんはどのような経緯でラトスと知り合ったの?」
「……まぁ、最初はあんまり良い感じの出会いじゃぁなかったですけど」
俺は『決闘』の辺りをぼかし、夫人にラトスとのこれまでのことを大雑把に伝えた。もちろん『性別』のことには極力触れないようにしてだ。
「あの子、ちょっと人見知りするタイプだから。でも聞いた限りではちゃんと友達ができているようで良かったわ。それについても心配してたのよ」
俺の話を聞いて、胸元に手を置いてホッと息を吐いた。
──すごく失礼だが、胸元っつか胸の『上』だな。
そんな馬鹿なことを考えている俺だったが、重大な問題に気がついた。
ラトスの母親からいろいろと聞き出そうとしていたわけなのだが、話の切っ掛けはどうすればいいんだよ。
ガノアルク当主に直球で問いかけたら、望む答えを得られぬまま部屋から追い出された。
何も考えずにラトスの『性別』に関しのて話を切り出せば、先ほどと同じような結果になる可能性が非常に高かった。
どうしたものかと内心で困り果てていると。
「そろそろ真面目なお話をしましょうかしら」
夫人はそれまでの和やかな様子を引っ込めると、静かでありながら真摯な目をこちらに向けてきた。
向けられる視線に雰囲気が変わったこと悟る。
「リースさん。あなたはいったいどのような意図があって夫に会いに来たのかしら」
「そりゃぁ……」
おたくの長女さんについて、なんて真正直に答えるわけにもいかないが。
「ラトスから一向に便りがない現状、いきなりあの子の友人が訪ねてくるなんて、よっぽどの事情があるはずです。私はそれに気づかないほど、愚かではないつもりです」
ラトスからは、夫人は箱入り娘同然に育ったお嬢様と聞いていたが、案外身近にいる娘からは、親の本質というのは見えないのかもしれない。
ともあれ、本題への切り口は見えたか。
「もしかして、リースさんは我が家の事情を?」
夫人の質問に、俺は無言で頷いた。
それから、俺はラトスの性別を知ってしまった切っ掛けと、テリアの婚約によってラトスが深く悩んでいることを明かした。
「話の経緯は分かりました。なるほど、それで、あなたは夫に婚約の取りやめを頼みに──」
「そいつは違います」
「え? でも話の流れ的には、テリアさんとラトスの婚約に不満を持っているよう聞こえたけれど」
「……まぁ、失礼を承知で言えば、本人の意思を完全に無視して、一方的に婚約を取り付けたところには思うところはありますよ」
生粋の平民なので、お家事情での結婚というのはあまりピンとこない
「けど、俺が今聞きたいのは別です」
意外そうな顔をする夫人に、俺は己がガノアルクの屋敷に来た本題を伝える。
「俺が知りたいのは、どうして今頃になってラトスを次期当主の座から引きずり下ろしたかってことです」
「それは──」
夫人が言葉詰まらせる中、俺は構わずに先を述べた。
「ラトスはあなた方家族を守るために、この十年間ずっと偽りを続けてきた。そんなラトスの頑張りを、どうして急に否定したのか。俺はその真意を聞きたいんだ」
ラトスがどれほど大変な思いをしてきたか、その本当の気持ちはわからない。他人の気持ちを安易に『分かる』と言ってのけるほど、俺も愚かではないつもりだ。
けれども、気持ちの『強さ』という点にだけ理解出来る。
俺は自身が唯一扱える『防御魔法』が好きだ。その一心で、大賢者の元で修行に明け暮れてきた。だが、修行の全てを『楽しい』の一言で済ませられるほど生易しい日々ではなかった。
辛く投げ出したくなる時は間違いなくあった。それでも踏ん張ってこれたのは、防御魔法の凄さをいつか世に響き渡らせるという『夢』があったからだ。
今のラトスは、俺にとってのその『夢』を否定されたようなものだ。
「……夫はなんと?」
「話を聞く前に追い出されましたよ」
「でしょうね……あの人はあまり人と話すのが得意ではないから」
あれか、つまりは頑固親父か。
我が家の親父はコミュ力の化け物だ。美味い酒さえあれば誰とでも仲良くなれると豪語しているし、実際にそうだったからな。
親父の話はどうでもいい。
「……先ほどの質問。夫の真意に関しては私は答えられないわ。でも、妻としてあの人の考えるところを察することはできるわ。それでもいい?」
「構いませんよ」
「そう……」
夫人は、視線を伏せると語り始めた。
「おそらくだけれども……夫は気付いたのよ。ラトスが『女の子』だっていう事実に」
「────?」
最初、何を言っているかわからなかった。
きっかけはどうあれ、ラトスを『男』として振る舞うように命じたのは当主であり、それはつまりラトスをちゃんと女としてみていたわけなのだが。
「聞いているとは思うけど、我が家は一時期崩壊寸前にまでいったわ。期待を寄せていた跡取り息子を失ってしまったことで、夫は酒に溺れ、私は体を壊した」
もちろん知っている。だからこそ、ラトスは崩壊する家族を必死でつなぎ止めようと『男』のふりをするようになったのだ。
「ラトスが『兄の代わり』として生活するようになって、夫は表面上は持ち直したわ。私も、ラトスの必死で頑張る姿を見て、徐々にだけどラトスの兄を失った事から立ち直り始めた」
ガノアルク夫妻は、ラトスのおかげでラトスの兄の死を受け入れ、悲しみはあれどちゃんと前へと進めるようになったのだ。
そして、ようやく気がついたのだ。
「私たち両親のためにあの子がこの十年間をどれほど犠牲にしてきたのかを」
「けど、それはあいつも望んだ事でしょう」
「そうであっても、私たちのためにあの子が辛い思いをしてきたのは間違いないわ」
そしてこう思ったのだ。
──ラトスがこれ以上、男として振る舞う必要はない、と。
これでようやく俺の知りたい答えが得られた。
「……それが、テリアとの婚約につながると」
「あの子には『女』として幸せを掴むべきなの。おそらく、夫もそう考えてテリアさんとの縁談を組んだんでしょう。あの人は血筋も良く魔法使いとしての才能も優秀。結婚相手としてはこれほど優良物件はないわ」
つまり、あくまでもこの婚約はラトスの幸せを願ってのものであり、ラトスを単なる道具として扱うつもりは毛頭ないと。
「我が夫の名誉のために言っておきます。あの人は決して、ラトスを想っていないわけではないの。あの人もあの人なりにラトスのことをちゃんと考えているわ」
「……おたくの娘さん、あなたたちのそういった気持ちとかこれっぽっちも理解できてませんけど」
「ええ、リースさんの話を聞いている間になんとなくはわかってたわ。おそらく夫も何も言っていないでしょうね」
これって明らかに親子間のコミュニケーション不足じゃねぇかよ。
ラトスの両親は、ラトスの事をちゃんと想っていた。多少の政略的な意図はあるかもしれないが、それでも良い相手と結ばれ『女』としての幸せを掴んで欲しかったのだ。少なくとも、ラトスの母親はそう思っている。
ここで一番の問題なのは、両親の気持ちがほとんど当人に伝わっていない事。それと同時に、ラトスの気持ちも両親に全く伝わっていない事だ。
ただ、この問題は婆さんの家で一晩中悩んだ時点で浮上していた。
ようやくガノアルク家の屋敷に来た本文は果たせた。俺が知りたかったのはその伝わっていないガノアルク夫妻の気持ちだ。
あともう一つ、ラトスの本音を聞ければ──。
「あ、ところでリースさん。私からも質問をしていいかしら」
「……ん? なんでしょう」
考え事をしていた俺は気の無い返事をするが、そこへ夫人がとんでもない事を言い出した。
「もしかして、リースさんはラトスの『恋人』なのかしら」
「…………はいぃぃっ!?」
一間を明けてから素っ頓狂な声が飛び出してしまった。
「あら違うの。てっきり、あの子のために頑張るのだから、そういった関係なのかと思ったのだけれど」
「いやいやいや、俺とラトスは友達ですから」
「あら、ラトスに女としての魅力はないのかしら?」
「……そりゃラトスは女として魅力的ですけど」
たとえ男の姿だったとしても、カディナやミュリエルと並んで全く見劣りしない。それに加えてあんな素晴らしい『たわわ』を秘めていたら──ってこりゃ流石に下品すぎるか。
「つか、あなたはラトスとテリアの婚約を推奨している側で、俺がラトスと恋人同士だったら困るでしょ」
「確かに私は夫の方針には基本的に従うわ。ラトスが良縁を結ぶのは願ったり叶ったり。その点で言えばテリアさんは素晴らしい相手よ」
でも、と夫人は微笑んだ。
「あの子のために、身一つで我が家に乗り込んできたあなたも、テリアさんに負けず劣らず良い相手だと思うわ」
笑みを浮かべる夫人に、俺はどう反応すればいいのかわからなかった。
ただ、頬が少しだけ熱を持ったのだけは自覚できた。




