第百七話 まだ何も起こしていません──紹介してもらいます
放課後、俺は早速唯一の取っ掛かり──つまりは学校長の元へと向かった。
何かと忙しく学校長室にいないことも多い彼だが、今日は運がいいことに部屋にいた。すでに顔見知りなのでノックの後に返事があれば、気兼ねなく中に入ることができる。
「君の方からこの部屋に来るのは珍しいですね。だいたいはこちらから呼び寄せることが多いのですが……もしかして、罪の告白ですか?」
「俺が常日頃から騒動を起こしてるように言わないでくださいよ。つか、まだ何もしてませんから」
「冗談です……〝まだ〟という響きにそこはかとなく不安を覚えますが」
部屋に入って早々にこんな会話がされたが、俺は無駄話を避けて早速本題に入った。
執務机の椅子に座ったまま黙って話を聞く学校長は、こちらの言い分を終えるとにこりと笑った。
「君のお願いはわかりました。よろしい、私の名前で紹介状を書きましょう」
「って軽っ!? ちょっと軽すぎやしませんかね!!」
駄目元で学校長に頼み込んでみたら、驚くほどすんなりと話が通ってしまった。
学校長は親しみやすい人柄ではあったが、かといって頼めばなんでも聞いてくれるようなお人好しでもなかった。俺が学校長の恩師である大賢者の弟子であろうとも、一線はしっかり引いていたはずだが。
「……私も、ラトスさんのことはずっと気がかりでした。ガノアルク家からは『一学期が終了した時点で彼女を中途退学させる』という話は来ていますし」
「やっぱり、その話は本当だったんですか」
「実のところ、リース君の話を聞くまであの子の今現在の状況を把握しきれていなかったのです。ですから助かりました」
「そりゃどうも」
あれ? ってことは俺って、貴族様のお家事情をペラペラと喋っちまったわけか?
でも学校長はラトスが女だと知っている数少ない人物の一人。彼に伝えたところで、そこから他に広まる心配はないか。
「ただ、私を頼る以上は、私にも君の意図を知る権利があります」
学校長は手を執務机の上で組むと、一切の偽りを許さない真剣な眼差しで俺を見据えた。
「リース君。君は、ラトスさんの父君──つまりガノアルク家現当主『リベア・ガノアルク』と会ってどうするつもりなのですか」
そう──俺が話をしなければならない最後の一人は、ほかならぬラトスの父親であった。
「先に言っておきますが、リベア君に私からラトスさんの結婚を破棄するように頼む、というのは無しです」
「そりゃさすがに頼むつもりは……リベア君?」
恥ずかしい話だが、俺はラトス父の名前をこの時点で初めて知った。ただそれよりも猛烈に気になるのが学校長のラトス父への呼び方だ。『君』っておい。
「あ、つい昔の癖で──まぁいいでしょう、本人もいないしこのままで」
茶目っ気に言いながら、学校長が頬を掻いた。
「何を隠そう、リベア君もこのジーニアス魔法学校の卒業生です。私も実際に彼に色々と教える立場でしたから」
「あー、学校長って長寿族ですもんねぇ」
「それはともかく。本来なら部外者の私がこの問題に口を出すのはお門違いです。そもそも、君のために紹介状を書く行為そのものがかなり曖昧なラインですからね」
「にしては、あっさり承諾してくれましたよね」
本当に、拍子抜けするほどあっさりだった。
「君にはミュリエルの一件があります。あの子に必要だったのは、対等な立場で競い合える友人。君との戦いを得て、この学校にはそれがいるのだとわかってもらえましたから」
学校長はミュリエルの師匠だ。彼なりにミュリエルのコミュ障には思うところがあったのか。
「どうでしょうか。ノーブルクラスに入った後のミュリエルの様子は」
「積極的、とまではいかずとも、周囲の人間と話すようにはなったと思いますよ」
ノーブルクラスには俺を含めてアルフィやカディナがいる。この面子ではよく一緒になるし、他の生徒たちとも魔法の話に関して花を咲かせることもしばしある。間違いなく、ミュリエルにとっては良い傾向だろう。
「……授業とか、受ける気皆無ですが。教師に指名されたらちゃんと受け答えするし、出された課題とかは水準以上の結果を出してるから、もう教師たちも受け入れてましたけど」
「ああ、その報告は他の教師たちからも受けています。……調子に乗って、色々と教え込んだ弊害でしょうか」
ミュリエルのマイペースっぷりには学校長も悩みどころなのだろう。眉間に手を当てて嘆くようにつぶやいた。
「話を戻しましょうか。──仮に私が口を出したところで、ラトスさんの婚約破棄には至らないでしょ。できてせいぜい、退学までの時間を引き延ばす程度。根本的な解決にはならない」
「俺もそこまでは期待しちゃいない」
学校長には渡りをつけてもらうだけ。むしろ、それだけでも十分すぎるほどありがたいのだ。これ以上の贅沢を言うわけにはいかない。
「現段階で俺が知りたいのか──ラトスの親が何を考えているか。まずはそれからです」
──と、言うわけで翌日。タイミングよく、学校が毎週ある休暇日に突入。早速俺はその一日目に長距離用跳躍を使い、ラトスの実家へと飛び跳ねながら向かった。
当事者に黙って行くのもどうかと思い、一言告げてからにしようとしたが、肝心のラトスに会えなかった。そもそもあいつの部屋を知らない。
仕方が無しに、寝ているアルフィを叩き起こし、ラトスに会ったら伝えてもらうように頼んだ。気持ちよく寝ているところを起こしたからか、ちょっとした『朝の運動』に発展したが、些細なことだ。
幸いにも、ラトスの実家──つまりはガノアルク領地は俺の故郷ほど離れてはおらず、昼前までには到着することができた。
上空から見た感じだと、水属性の魔法使いが治める町なだけあって、水路がいたるところに張り巡らされおり、小舟が多く浮かんでいる。移動手段の一部として船が活用されている町なのだろう。
ちょっと観光してみたい気持ちもあったが俺は早々に町の中に入り、通行人に道を訊ねてラトスの実家──ガノアルクのお屋敷へと向かった。