第百六話 実は意外と野心あるらしい──少しズルめです
「君がどうして彼女の性別を知ったんだ?」
「切っ掛けは……あいつの自業自得と偶然が半々くらいだよ」
ラトスが入学当初は荒れていたこと。
小さな諍いから『決闘』に及んだこと。
その最中にラトスの性別を知ってしまったこと。
そして、そのことをラトス自身が昨日まで知らなかったことを正直に答えた。
ただ一点だけ──ラトスの生乳を正面からバッチリ目撃してしまったことだけはぼかして伝えた。あくまでも『サラシが緩んで豊かな胸元が服の内側から激しく自己主張していた』という形にした。そうしないと確実に話がややこしくなるのは目に見えていたからだ。
「そう……か。そんな経緯があったのか……」
ラトスが荒れていた、という話を聞いたテリアは落ち込んだ風だった。その原因の一端には間違いなく彼が関わっているから。
己とラトスの間に結ばれた婚約関係だ。
「……俺とラトスの関係性は?」
「ラトスの主観ではあるが、ある程度は把握してるつもりだ」
「そう……か。彼女は俺のことをなんと」
俺は答えるか否かに迷ったが、素直に口にした。
「お前自身のことは、さほど嫌ってねぇ。ただ、婚約相手としちゃぁ、受け入れ難いってよ」
「だろうな。俺もガノアルクのご当主から話は聞いている。十年もの間、次期当主として頑張ってきたのに、いきなりそれが無為になるとなれば、彼女の態度も仕方がないか」
ラトスからしてみれば、必死に積み重ねてきたものを横から掻っ攫われた形だ。テリアもそれは分かっていた。
「こいつは興味本位で聞くが、その婚約ってのはどっちから申し出たんだ?」
「ガノアルク家の方からだ」
縁談の申し出がきてから、ウォルアクト家側はかなり驚いたらしい。
ウォルアクト家の子供は年の離れた兄弟が二人で、女性はいない。兄の方はすでに婚約者もおり、縁談の話は自動的に弟であるテリアに来る。
そして、ガノアルク家には世間体的には女はラトスの妹しかいない。まだ十歳を少し超えた頃だ。ただ、貴族の世界では十代の前半で婚約を結ぶことも、また十歳以上も年の離れた相手との縁談が持ち上がることも珍しくはない。
だからてっきり、婚約はテリアとラトスの妹の間で結ばれるものとばかり思っていた。
「実際にガノアルク家の屋敷に赴き、ご当主に会ってからようやく彼から俺の婚約相手を教えられた。手紙では『縁談を結びたい』という旨だけが書かれており、肝心の相手に関しては全く触れていなかったからな」
万が一にもラトスが『女』という事実を第三者の目に届くのを避けるためだ。少なくとも、正式に婚姻するまでは隠す必要があるのだろう。
ラトスが本当は女であるのを知らされたのも。そして、テリアを入り婿とし、彼を次期当主の座に据えるつもりであるのもこの時に初めて当主から告げられた。
ただ、その頃にはすでにラトスはジーニアス魔法学校へ入学してしまい、ガノアルクの屋敷には姿がなく顔をあわせることができなかった。
一応、ラトスにも婚約の話は伝わっていると当主には教えられたが、それだけだった。ラトスがどう思っているかまではついに聞くことができなかった。
それも、テリアがジーニアスに来てからラトスと顔をあわせることができたが、当主の話ぶりから、親子間の仲があまりよろしくないのはなんとなく察していた。それが手紙を渡してから帰ってきた強い拒絶感に、彼女がこの縁談に対して全くと言っていいほど納得していないのがわかった。
「そういえば、どうして途中編入なんかしたんだ? あの実力だったら、最初からジーニアスに入学できるし、ノーブルクラス入りも十分すぎるくらいに射程範囲内だろ」
「兄はジーニアス魔法学校の卒業生だが、俺は次男だからな。元は、国軍に入るつもりだったんだ」
テリアの魔法使いとしての才能は、年の離れた兄に勝るとも劣らないものだった。だが、すでに兄は次期当主としての実力も素養も備えており、テリアとしても彼を無理やりに追い落として当主の座に就こうとは考えていなかった。
将来的に兄を補佐する役も十分に可能だった、テリアはあえてそうせずに、家を出て国軍に入隊するつもりだったのだ。だからジーニアスへの入学は考えていなかったのだ。貴族の次男坊は、当主となる兄の補佐役になることが多いが、家を出て国軍に入るものも珍しくはない。
「だが、俺がガノアルク家に入り婿し、次期当主となるなら話は別だ。魔法使いとしての戦闘力だけではなく、当主としての教養も必要になってくる。だからガノアルクのご当主にジーニアスへの入学を命じられた。そのついでに、婚約が正式に決まった旨を記した手紙をラトスに運ぶ役も仰せつかった次第だ」
ちなみに、入学費用や学費に関してはガノアルク家の援助をされているらしい。それだけ、ガノアルク家当主がこの話に本腰を入れているのがわかった。
おおよその関係は把握できたか。
「──それで、肝心のお前さんはどうなんだよ。ラトスとの婚約には前向きなのか?」
「……水属性魔法使いの名門であるガノアルク家との血縁関係を結べる。ウォルアクト家にとっては非常に益のある話だ。断る理由がない」
お手本のような答えに、俺は顔をしかめてしまった。
「俺はガノアルクのこともウォルアクトのことも聞いてねぇよ。ラトスを嫁さんにもらうつもりが、お前って男にあるかって聞いてんだ」
「……聞いてどうする?」
「聞いてから考える」
「それは少しズルくないか?」
「いいから答えろ」
睨むようにテリアを見据えると、彼はひるむことなく俺を真っ直ぐに見返して言った。
「ラトスには悪いだろうが、俺もこの件に関しては是非にと考えている」
「そりゃまたなんでさ。さっき、家を継ぐことは興味ないって言ってたじゃねぇか」
率直な疑問を述べると、彼は気まずそうに目を逸らした。
「……悪い。さっきは少し格好をつけすぎた」
諦めたように肩をすくめてから、テリアは語り出した。
「俺も実は次期当主の座を夢見たことはある。けれども、俺は生まれるのが遅すぎた。兄とはたった四歳の差だ。だが、その四年間を埋められるほど、俺の才能は優れていなかったんだ」
テリアとその兄の魔法使いとしての素養は甲乙付けがたい素晴らしいもの。だが逆を言えば、甲乙付けがたいが故にその差を埋めるのもまた難しかった。
単純に、彼の兄は魔法使いとしても次期当主としても、テリアの四年先を行っている。この差は非常に大きい。
テリアがこれからの全ての時間を魔法使いとしての研鑽と当主としての教養を高めるために注ぎ込めば、兄に追いつけるかもしれない。
だがおそらく追いついた頃には兄はウォルアクト家の正式な当主となっているに違いなかった。
軍に入るのを選んだのは、次期当主になる夢を忘却するためでもあったのだ。
「けど、ここに来てガノアルク家からの縁談だ。俺がラトスと結婚し入り婿になれば、俺はガノアルク家の当主になることができる」
一度は諦めた夢が、形は違えど手に届く場所にある。 これを拒む道理がテリアにはなかった。
「これまでの努力を踏みにじるような真似をして、ラトスには済まないと思っている。だが、俺もこのチャンスを逃したくない」
己の決意を確かめるように、テリアはグッと拳を握りしめた。
その後、時間を見計らったかのようなタイミングで、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
テリアはここでの話をラトスに話すのは構わないと言い残し、一足先に教室へと戻っていった。ラトスに話したところでテリアの決意が固いのが十二分に伝わるだけだからだ。
話を聞いた正直な気持ちといえば──『やべぇ、どうしよう』というものだった
実はテリアがこの話にはそれほど前向きでない、というのを少し期待していたのだ。だったら交渉次第では婚約を破棄できるのではないかとも思っていた。
思っていたよりも遥かにテリアはラトスとの婚約に前向きだった。しかもなんだか野心めいたものまで抱いている様子。軽い気持ちで聞いたのをかなり後悔している。これはテリアに『諦めろ』といったところで意味がない。淡い期待はもろく崩れ去った。
ただ、それでもテリアの思うところが判明したのはありがたかった。これを聞けたのは素直に収穫だろう。
「さて、これからどうするかな」
次に行おうとしている事は既に定まっていた。
テリアとラトスからは既に話を聞き終えている。
だったらもう一人、話を聞くべき人物がいるのだ。
──しかし、その人物と『渡り』をつける方法がどうにも思いつかない。普通に考えれば俺がいきなり向かったところで話ができるはずがない。
「……しょうがねぇ。駄目元であの人に頼むか」
気は進まないものの、思いつく限りでは唯一の手段がある。
俺は頭をかきながら、次の授業に遅れないよう小走りで教室へと向かった。