第百一話 十年は軽くありません──手伝いが欲しいようです
「父さんはジーニアスに通うのはやめて、すぐにでも花嫁修業でもして欲しかったみたいだけど」
だが進学だけはラトスも頑として譲らなかった。
婚約話を先延ばしにするための時間稼ぎの意味もあったが、何よりも『魔法使い』として成長するためにジーニアスに通うことを以前から強く望んでいたのだ。
結局、父親とは平行線のままジーニアスへの入学を迎えた。
「基本的にこの学校は全寮制だからね。実家に帰って父さんの顔を見なくて済むのはありがたかったけど、その反面改めて話をする機会がなくなっちゃって」
それから『お見合い話』は頭の片隅には残りつつも、入学してから始まった日々に忙殺されてそれを考える暇は無くなった。
「無意識のうちに考えたくなかったのかも。けど……ウォルアクトから渡された手紙で、まだなにも終わって無かったって思い知らされたよ」
「話の流れから察するに、親父さんからの手紙ってのはお見合いに関してか」
「それだけじゃない。あの手紙には僕の婚約者が正式に決まったって言う一方的な知らせだったんだ」
「──まさか」
俺はここに来て、ラトスがどうしてあれほどまでにテリアを目の敵にしていたかにようやく気が付いた
「そう。あのテリア・ウォルアクトこそが、父さんが決めた僕の許嫁なんだ」
……つまり、このまま行くと、目の前にある破城槌は将来的にはあのテリアのものになってしまうのか。
「あの……まだ婚姻が結ばれたわけでは無いから。この話を受け容れたわけじゃぁ無いからね?」
「何故考えてたこと分かったし」
「人の胸を見ながら肩を落としてたら誰だって分かるよ! といういい加減にしないと怒るからね!」
冗談はさておいて。
「テリアはこの話、どう思ってんだ?」
「……前向きに受け容れていたよ。両家にとっては非常に有意義な話だってさ」
そうでなきゃぁ、『お見合いの話』に付いて書かれた手紙の運び人なんぞしないか。その辺りの話は既にラトスの父親としているに違いない。
「だいたい、こんなところかな」
──一通りを語り終えたのか、ラトスは肩を落とし、息を吐いた。
「テリアと結婚するのは嫌なのか?」
「ウォルアクト個人に対してはさほど嫌悪感は無いよ……婚約は嫌だけど」
「にしては今日はかなり突っかかってたな」
「それはっ……その」
「すまん。ちょっと意地悪すぎた」
苛立ちや不快感が抜けた今だからこそ冷静になっているが、それまではここ数日間に堪りに堪っていた鬱憤がラトスの内面に渦巻いていたのだ。テリアが悪い奴ではないとしても、親が勝手に決めた許嫁である以上、目の敵にしてしまうのは仕方が無いかもしれない。
「……それで、具体的には今はどんな状況なんだよ。正式な婚約とは言っても、まだ結婚はしてないんだろ?」
「それも……時間の問題かな。このままだと、僕は遠くないうちにジーニアスを去ることになる」
「ど、どういうことだ?」
「僕は一学期が終わった時点でこの学校を退学。以降はテリアをガノアルク家に迎え入れるための準備に入れってさ」
「マジかよ……急すぎんだろ」
突っぱねていたはずのお見合い話が再び浮上して、しかも既に婚約者が決まっており、しかもそれが自分の代わりにノーブルクラスに編入した男性。加えて、彼の婿入りを準備するために学校を退学させられるときた。
なるほど、あの憔悴ぶりも頷けるな。色々な問題が一度に押し寄せすぎだ。
「父さん的には急な話でも無いんだろうね。おそらく、僕には内緒でウォルアクトの実家と以前から話を進めてたんだよ。僕に届いた手紙はただの事後報告みたいなものだよ」
「おいおい、さすがに一方的すぎやしないかそれは」
「仕方が無いよ。そういう人だもん」
諦めたように言ったラトスは、ぼんやりと天井に見上げる。
それから、ポツリと呟いた。
「……結局、僕のこれまでってなんだったんだろうね」
今にも泣き出しそうなラトスの顔を見て、俺はなんの言葉も掛けられなかった。
部屋の中が再び静寂に包まれる。
しばらくして、ラトスは不意に告げた。
「ごめん。今日のところはもう帰るよ。いつまでも邪魔しちゃ悪いからね」
ラトスはそう言って立ち上がろうとしたが、そこで俺はハタと気が付く。
「……いや、ちょっとまて。その格好のまま外に出る気かお前は」
「あ……」
先程までの沈痛な空気で忘れていたが、今のラトスはシャツの上に男子制服を纏っているだけであり、胸元はぱっつんぱっつん。誰が見ても男には見えず、男の服を着ているだけの女子にしか見えない。
「仕方がねぇなぁもう」
俺は収納箱からサラシを取り出した。別に自身のおっぱいを包むためではない。怪我をしたときに使用するために持っているだけだ。本当だぞ?
「その制服は貸してやる。俺はさっきみたいに外をぶらついてるから、その間にこいつを巻いてさっさと帰れ」
俺はラトスにサラシを投げ渡す、ラトスは慌てたように言う。
「帰れって……部屋の鍵はどうするの?」
「盗まれて困るような大事なもんは置いてねぇよ」
多少の家具は持ち込んだ物の、他に大事な物は全て収納箱に入っている。収納箱は使用権限を書き換えない限り俺にしか仕えないので安全対策も完璧だ。
俺はラトスの返事も待たずに部屋の外に出て扉に背を預けた。
「はぁ……」
扉に背を預けながら、俺は新鮮な空気で肺を満たす。
年頃の(おっぱいの大きい)女子と一緒の部屋にいるというのはもの凄く緊張した。
その上で聞かされたラトスの話はある程度は予想通りではあったが、予想を遙かに超えた『重み』があった。学校長から話を聞いた時には『小説みたいな話だな』と軽々しく思っていた己自身を殴り飛ばしたい気分だ。
「十年は……軽くねぇよな」
俺は己の防御魔法に十年以上の歳月を費やしてきている。形は違えど、もし防御魔法を取り上げられでもすれば冷静になれるはずが無い。
と、扉が内側からノックされた。サラシを巻き終わったにしては少し時間が短すぎる。何事かと思いながらその場から離れると、扉が少しだけ開かれた。
「どうしたんだよ──って!?」
咄嗟に大声が出てしまいそうになり、俺は慌てて己の口を手で塞いだ。
なにせ、扉の隙間からこちらを覗くラトスは男子制服の上着を脱ぎ、シャツ一枚しか着ていなかったのだ。
「……なんつー格好してんだお前は!?」
俺は大声にならないよう、だが語尾を荒げて言った。
扉はほとんど開いておらず近づかなければ外からはほとんど見えない。その上、放課後に突入するまでにはもう少しあり周囲に人気はないに等しい。けど、万が一を考えると今のラトスの格好は致命的すぎる。
「……ちょっとお願いがあるんだけど」
俺の言葉には答えず、困ったように。
「その……上手く巻けなくて……手伝ってくれないかな?」
そう言って、俺に少しだけ解かれたサラシの束を差し出したのだった。
──え、マジで?
数秒前の焦りが完全に吹き飛んだ。
 





