第九十九話 あの子の過去話です──
『ラトス』の過去話
わちゃわちゃと騒いだ後、ラトスは疲れたように息を吐いた
「はぁ……なんだか深刻になるのが馬鹿らしくなってきたよ」
「そりゃ良かった」
「……礼の言葉は一つも口にしてないよ」
返す言葉は苦笑しながらだ。どうやら言ったとおり、ある程度は気持ちが持ち直したようだ。
「じゃ、お前の着替えでもとって──」
「待って」
立ち上がろうとした俺だったが、ラトスが制止した。
「その前に……僕の話を聞いてくれないかな」
「なんだよ。愚痴の一つでも聞いて欲しいのか?」
「似たような……ものかも知れないね」
ラトスの言葉を聞いて、俺は持ち上げ掛けていた腰を再び椅子へと下ろした。
「まずは……さっきの事も含めてだけど、僕が女だって事を今まで黙っててくれてありがとう」
「今度甘いものでも奢れ。それでチャラだ」
「その程度で済むならお安いご用だよ」
「んで、改めて話しってのは?」
「もちろん、僕が男装をしていた理由だよ」
想像は出来ていたが、まさか自分から言い出すとは思っていなかった。
「……気にならないといえば嘘になるけど、無理に聞き出そうとは──」
ラトスは首を横に振った。
「いいや、僕自身が話したいんだ。いい加減、一人で溜め込むのも疲れちゃってさ。君に聞いてほしいんだよ」
──奇を衒ったような深い事情があるわけでも無いんだけどね。
ラトスはそう前置きをしてから語り出した。
元々、ラトスは生まれながらに男装を義務付けられていたわけでは無かった。
それこそ幼い頃は活発ではありつつも貴族の淑女として教育を受けており、格好もやはり可愛らしい女の子の姿をしていた。
「自分で可愛らしいとか言うか普通?」
「妙なところで口を挟まないでくれ」
厳格ではあるものの領地を預かる一貴族の当主として立派な父親と、そんな彼に他家から嫁いできた優しい母親の元で、貴族としての教育を受けながらもすくすくと育っていった。
ガノアルク家には彼女の他に、優秀な『跡取り息子』がいた
「ラトス・ガノアルク。僕の兄さんだ」
「──ん? ってことはもしかして」
「この『ラトス』って名前は、本来は兄さんの名前なんだ」
ラトスの兄は水属性魔法使いの名門に恥じぬ才能を有しており、幼い頃から頭角を現していた。
それ故、父親からは魔法使いとしての厳しい訓練を施されていたが、それが期待の裏返しであることも理解しており、父親の期待とガノアルク家の名に恥じぬように努力を重ねていた。
そんな彼の妹は己の兄を尊敬していた。彼が魔法使いとしての訓練を受けている最中に、物陰から見よう見まねで同じ訓練を行う程度には兄が大好きであった。
「父さんに魔法を使っているのを見られたら大目玉を食らったけどね。『そんなことをしている暇があるなら礼儀作法の一つでも身につけろ』って具合にさ」
ガノアルク家の当主は悪い言い方をすれば、今時に珍しいほどの『男性主義』であった。
女性に対して必要以上に高圧的に迫ったり蔑ろにするわけではない。己の妻にはしっかりと愛情を注いでいたし、屋敷で働く侍女たちには常に労いをしていた。
ただ『貴族の娘は他家に嫁ぐ者』という認識が強かったのだ。
だからこそ、息子には魔法使いとしての英才教育を施す一方で、娘にはどこに出しても恥じない立派な淑女として育てようとしていた。
「僕はお茶の作法を習うよりも魔法を使う方が好きだったんだ。だからいっつも怒られてばっかりだったよ」
「でも止めなかったんだろ?」
「もちろん。影でこっそり兄さんから魔法を教わってた」
悪戯っ子の様にぺろりと舌を出す彼女。
やがてはガノアルク家に二人目の娘も生まれ、当家の将来は安泰だと誰もが思っていた。
──十年前、兄が亡くなった。
彼女は言葉に感情を乗せず、淡々と語った。
「魔法の訓練中に魔力が暴発して、その余波に巻き込まれて──らしい」
「らしいって、曖昧だな」
「僕はその日はたまたま、母さんに連れられて別の家のお茶会に行ってたんだ。……これは人伝で聞いただけだから」
魔法の訓練というのは、一歩間違えれば大惨事に繋がる。ただそれは何だってそうだ。剣の訓練にしても、下手をすればその刃が己の命を刈り取る危険性を多く含んでいる。
「あの兄さんがどうしてあんな事故を起こしたのか、未だに分からないよ。ただ──」
──間違いないのは兄が死だという事実だけだ。
あの厳格だった父は、表立っては領主としての仕事を全うしながらも、期待を寄せていた息子がこの世を去ったことに意気消沈し、酒に溺れる日々が続いた。
母親の方がもっと深刻であった。
元々箱入り娘のようなところがあり優しくはあれど気が弱く、息子の早すぎる死は受け容れがたかった。心身ともに大きなショックを受けてしまった母親は日に日に憔悴していき、やがてはベッドから起き上がれないほどにまでなってしまった。
幼いながらそんな家族の姿に妹は強く危機感を覚えていた。
「辛うじて踏みとどまってはいたけど、切っ掛けがあればガノアルク家は破綻してしまう。確信めいた予感があった」
生まれたばかりの妹のこともあり、妹は家族のために何が出来るかを必死で考えた。
「もしかしてそれが……」
「うん。僕が男の格好をするようになった理由だよ」
驚いたことに、彼女は誰かに言われるまでもなく、自らの意思で男装を始めたのだ。
兄が居なくなってしまった事が原因ならば、自らが兄の代わりになれば良い。そうすれば父親も母親も立ち直ってくれる。子供らしい安直な考えだ。長かった髪も切り、兄の部屋に残された服を纏って過ごすようになった。
もちろん、最初から全てが上手くいったわけでは無い。むしろ散々なものであった。
「父さんは激怒したよ。『死者を冒涜する気か!』って。母さんも泣いていたよ。『どうしてそんな残酷な事が出来るのか』ってさ。けど、あの頃の僕にはそんなこと分からず、ただただ家族が元通りになるために必死だった」
どれほど父親に叱責されようとも、妹は兄の格好をすることをやめなかった。父の目を忍び、こっそり母親の元に行けば、泣き出した彼女に茶器や家具を投げつけられたりもした。
それでも妹は止めなかった。家族に立ち直って欲しい一心であった。
娘の行為にとうとう業を煮やした当主は、遂に実力行使に出る。娘を呼び出し、魔法による『決闘』をもって性根をたたき直そうとしたのだ。
「…………大人げないの一言で済むかそれ」
「あの頃の父さんも色々と限界だったんだよ」
経験の差で勝負にもならない闘いではあったが、彼女の魔法使いとしての資質は当主の想像を超えていた。
単発とはいえ、水溜まりを使った遠隔投影を行使した娘を目に、当主は驚愕したという。まだ二桁にも達しない娘が習得できるような芸当ではなかったからだ。
その衝撃は、当主を酒に溺れる日々から立ち直らせるには十分すぎるものであった。
翌日、自室に娘を呼び出した当主はこう宣言した。
──これより、お前を我がガノアルク家の『嫡男』として扱う者とする。
「こうして僕は『ラトス・ガノアルク』になったんだ」
もうちょい続きます。
 





