19話 強者の敗北
「は……?」
あまりの衝撃に、麗華はパッと残された左手を引っ込めた。
「……いま、業火竜が喋った……?」
『喋ったが?』
「ひゃあっ!?」
気のせいじゃない……! 本当に喋ってる……っ!
「だ、だってアンタ……待って、なんで日本語で――」
『要領の得ぬ戯言だな』
冷ややかな鬱陶しさを孕んだ声が、脳裏へ直接響き渡る。
パタリと口を閉じ、頭の中が目まぐるしく回転した。
一気に百もの疑問が頭の中でぶつかり合い、舌が完全に凍りついてしまう。
硬直する姿を見つめ、業火竜は角の生えた重厚な鼻先を持ち上げ、ひび割れて光る身体をあからさまな嫌悪感で見下ろしてきた。
『フン。余の能力に対する貴様の無知など、知ったことではない』
パチパチと瞬きを繰り返す。
その不遜極まる態度に、一気にショック状態から醒まされた。
(こっちの質問に何でも素直に答えてくれるようなタマじゃないわけね……)
無重力の虚無を半歩だけ後ろへ漂い、残された左腕でぎゅっと胸元を隠す。
「……けど、そんな偉そうな口を叩ける立場じゃないと思うんだけど?」
一瞬、竜の血赤色の双眸がピクッと揺れた。
フンッと荒い鼻息を吐き捨てると、プイッと巨大な頭部を背け、明後日の方向を向く。
『チッ……』
「……ん?」
『そのようなことはどうでもよい』
静寂の虚無を揺らし、業火竜が苦々しく唸った。
『誰が鎖を握っていようと、余が貴様に答える義務などない』
ギリッ……と麗華は強く奥歯を噛み締めた。
その衝撃で顎の先から紫の光の破片がちいさく欠け落ち、闇の中へと空しく消えていく。
(う、うっ……言い返したい、すっごく言い返したい……っ! けど、ここで頭に血を昇らせたらバカにされるだけだし……っ!)
悲鳴になりそうな憤りを必死に押し殺し、頑なな竜をジト目でじっと睨みつけた。
「……取引、しない? 私の質問に答えてくれたら、代わりの見返りをあげる」
黒い鱗が蠢き、眉根にあたる発光部が面白がるように持ち上がった。
『ほう? 脆弱な人間ごときが、この余と何を取引できるというのだ?』
ゴクリ、と唾を呑み込む。
古代の怪物の心を動かせるものを、脳内で必死に探し求めた。
「た、手伝ってあげる! なんでも……言われた通りにするから!」
だが、業火竜はまともに取り合うどころか巨大な頭部をのけぞらせ、脳裏を揺さぶる爆笑を響かせた。
『ハハハハハハ!』
鼻先を下ろし、震えるひび割れた身体へと血赤色の双眸を向け直す。
『貴様の助けなど、微塵も必要としておらんわ』
イラッ、と胸の奥で鋭い苛立ちが跳ね、顔の表面を覆う光の亀裂が不規則に明滅した。
(くっ……! 全然ダメじゃない……!)
うつむき、残された左腕で胸元を固く抱え込んだまま、次の手を求めて思考を高速回転させる。
『せいぜい頭を捻るがよい、人間よ……』
暗黒の空間に、嘲るような重厚な声が低く響いた。
『時間はいくらでもあるのだからな――』
その言葉が、暗闇の中で鮮烈な閃光となって麗華の脳裏を撃ち抜いた。
(……待って、それだ……!)
麗華はゆっくりと顎を上げ、蒼白に光る顔に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「……でも、アンタには『それ』がないんでしょ?」
業火竜の血赤色の双眸が、細い糸のように細められた。
巨大な頭部をぬっと前傾させ、角の重厚な影が麗華の身体を包む淡い紫光を覆い隠す。
『……どういう意味だ?』
「『時間』よ」
ひび割れて光る左手を掲げ、その鼻先をビシッと指さす。
「アンタにはもう、残された時間が『ない』んでしょ」
暗黒の空間がしんと静まり返った。
竜はガチリと顎を閉じ、胸の奥で響いていた嘲るような音をぴたりと消して、ただ一言も発さずに見下ろしてくる。
「さっき、なりふり構わず私を喰らおうとしてたじゃない」
言葉を重ねるごとに確信を深めながら、畳みかける。
「それってつまり、魂の消失を防ぐために、喉から手が出るほど『何か』を欲してるってことでしょ?」
胸を張り、怯むことなくその巨大な双眸を正面から見つめ返した。
「森の赤い光を貪ったのも、さっき死に物狂いで暴れ回ったのも……すべては生き残るため。……違う?」
竜の鼻先から嘲笑が完全に消え去り、重苦しく危険な静寂が充満した。
半透明の体躯が深々とした呼吸に合わせて上下し、虚無の空間に穏やかな波紋を広げていく。
その瞬間、麗華は自分のカマかけが完璧に的中したことを確信した。
(ふん……アンタが本当に欲しがってる『助け』って、そういうことでしょ)
『……認めがたいことだが』
苦々しい屈辱感を孕んだ低音で、業火竜が唸る。
『……貴様の言う通りだ、人間』
麗華は一瞬、言葉を詰まらせた。
頭の中に『【契約】』に紐づく怪しい呪文の法則が閃いたものの、ゾクッとする冷たい疑念が舌を縛りつける。
「……私、アンタの魂を救う方法があるかもしれない」
一瞬、重苦しい静寂が暗黒に漂った。
直後、麗華の頭痛を誘うように、業火竜が再び高らかな嘲笑を炸裂させた。
『ハハハハ! 己のボロボロに崩れかけた魂すら治せぬ身で、よくもまあ戯言を吐けたものだ!』
「じ、自分には効かないの! 他人にしか使えないのっ!」
カッと顔を真っ赤にしながら言い返し、崩れゆく胸元へ向けてひび割れた左手を必死に振り回す。
竜はフンッと鼻を鳴らし、冷ややかに顔を背けた。
『仮定の話だな! 貴様の語るその矮小な小細工が、この竜たる余に通用するはずがなかろう!』
「でも、試す価値はあるでしょ!」
崩れ落ちる右足をかばうようにして巨大な鼻先へ無理やり身体を寄せ、必死に食い下がる。
「自分ひとりで生き残ろうとして、結局失敗したんじゃない。他にどんな選択肢があるっていうの!?」
業火竜の動きがぴたりと止まった。
ゆっくりと巨大な頭部をもたげ、鋭く計算深い双眸でじっと見下ろしてくる。
『……申してみよ』
無重力の闇の中で震える脚を踏ん張り、深々と息を吸い込んだ。
「私の能力で、アンタの魂を消滅から救ってあげる……」
まっすぐに視線を合わせ、言葉を区切る。
「……ただし、発動させるにはアンタを私の『配下』にしないといけないの」
その言葉が口から飛び出した瞬間、猛烈な熱気を孕んだ怒風が虚無を吹き荒れた。
紫の光鎖を狂暴に軋ませ、脳裏を叩き割るような怒号が轟く。
『無礼者が! 誇り高き竜が、なぜ人間ごときの下に降らねばならんのだ!!』
思わず身構えたものの、吹き荒れた大咆哮はそよ風のように弱々しく脳裏を撫で過ぎていった。
威圧的な威圧感が何事もなかったかのように霧散していくのを感じ、静かに息を吐く。
(ふぅ……やっぱり、本当に余力なんて残ってないんじゃない……)
『下等生物の奴隷に落ちぶれるくらいなら、貴様を喰らい、その肉体を乗っ取る計画のほうが遥かにマシだ!』
血赤色の双眸を糸のように細め、ヴェイリールが凶暴に唸る。
その荒々しい怒号の中に混ざった『ある言葉』に、麗華の身体がギクッと跳ねた。
(肉体を……乗っ取る……!?)
「う、うげぇ……デジャヴにもほどがあるんだけど……」
嫌な記憶が蘇り、ひび割れて光る胸元を残された左腕でさらに強くかき抱いた。
――ハァ……と、竜の顎から重く掠れた溜息が漏れ出る。
黒鱗の隙間に宿る暖かな赤光が、消えかけの残り火のように弱々しく明滅した。
『……当初の計画が不可能なことなど、余とて解っておる』
ヴェイリールがぽつりと、掠れた低音で漏らした。
『魂を補充する術を失った以上、余は死んだも同然なのだからな……』
数万年もの長きにわたり、世界の絶対的な覇者として君臨してきた竜種。
その眼中にあって、人間など一瞬で命を散らす羽虫同然の存在に過ぎなかった。
ましてや『六大災厄竜』といえば、全竜種の頂点に君臨する無敗の伝説。
国家すらも恐れ戦く、歩く天災そのものだ。
「……本当はもう、選択肢なんてないんでしょ?」
暗黒の空間に、重苦しい沈黙が落ちる。
息の詰まるような時間の中、業火竜は指一本すら動かそうとしない。
あまりにも壮大な誇りと、泥を啜ってでも生き残ろうとする原始的な生存本能――その二つが静かな死闘を繰り広げているのを、麗華は息をひそめて見つめていた。
『……』
壮絶な死闘の果てに散るなら、災厄竜としてのプライドも保たれただろう。
だが、人間に膝を屈し、その魂を委ねるなど……天地開闢以来、世界の歴史に一度として存在しない前代未聞の屈辱。
けれど、魂の残り火が今まさに潰えようとしたその時――ヴェイリールは、角を戴く巨大な頭部をゆっくりと下ろした。
ズシン、と敗北の重みを伴った動作で、麗華のつま先からほんの数センチの暗黒へと、その鼻先を横たえる。
『……六大災厄竜が一角、『業火竜』ヴェイリール……』
打ち砕かれた誇りと静かな敗北感を漂わせ、重々しい低音が虚無の世界に静かに轟く。
『……目の前に立ちし人間の、配下となることを受諾する』
ステータス
名前:真 ソル
種族:人間
称号:なし
能力:『???』
ステータス
名前:三葉 麗華
種族:人間
称号:なし
能力:『契約』
さぶあびりて『拘束の鎖』
さぶあびりて『主観的支配』
さぶあびりて『主観的接続』




