序章 第六話 夜明王賀
「もう大丈夫だ。俺が助けに来た!」
そこにいたのは、少し青みがかった髪と深い紫の瞳を持った一人の中年だった。その男は白衣を着ていて、今にも実験を始めそうな備品を装備していた。そして、その男の声色は自信に満ちていたが、瞳だけは緊張感のある表情をしていた。そして何より、俺がこれまで出会った強者よりも、はるかに強者のような空気が漂ってきた。
具体的にいうと、ジュピターの場合は禍々しく重い空気だったが、その男のそれは澄んだ空のような爽やかな感じがした。
「お?そこにいるのは….お前!こんな悍ましい場所で働いてたのか…どおりで連絡つかないわけだ。」
「スペルマータさん、この人と知り合いなの?」
エリスはどうやらあの男を知っているようだった。しかも、彼が登場した時、彼の声が聞こえた瞬間に、エリスの表情がそれまでよりも安心に満ちた表情になっていたような気がした。
「あ〜….う〜んと…あいつは…..大学院時代の同僚….」
「お前..釣れないこと言うなよな?スペルマータと俺は小学校の頃からずっと一緒だっただろ?だよなスペ?」
「その呼び方はやめろと何度言ったらわかる!」
だいぶ仲がいいようにも見えるが、それは向こうから見た時のみで、スペルマータ自身は迷惑がっている様子。しかも、このような真剣かつ用心が必要な状況であっても、自称スペルマータの幼馴染である彼はスペルマータとは違いラフな態度を取っている。
「助けに来てくれたんですね!」
「おお そこにいるのは…天下無敵の不和の女神エリス様じゃねぇか!お供えを…あれ?持ってきてねぇな…
困ったな〜」
衝撃的な事実を聞いてしまった。ずっと普通の女子高校生だと思っていたエリスは不和の女神であり、本来はこのように人を助けたりすることよりも、命の奪い合いである戦闘に長けているらしい。つまり、これまで見せていた魔術も、その脅威的な身体能力も、相手の攻撃を捌く能力も全て神様の力によるものであり、人間としての力ではなかったと言うことだ。
「今の私をそう言うのは違うと思います…全盛期の100分の1ほどの力もないですし..」
エリスは女神と崇められて少し困惑というのだろうか..いやそれも違う気がする。というより、居た堪れないと言ったところだろうか。しかし…これまで俺が見ていたエリスの力はほんの片鱗だと思ってしまったが、意外とそう言うわけでもなかった。あれほどの力でも大したものだが、あれですら100分の1の力もないのであれば、一体全盛期はどれほどの力を持っていたのだろうか。
「エリスはこの男と知り合いなのか?この男の名前は?」
ここまでの会話で生じた疑問。そもそもこの男は一体何者かというところだ。エリスとも知り合いのように見えたが、一体何のためにここに登場したのか。それが問題である。本人が助けにきたというからにはきっと助けにきたのだろうが、俺たちを助けて何をするつもりなのかも心配すべきところだろう。
せっかく抜け出すまであと一歩なのに、同じような場所に連れて行かれたらたまったものではない。
「彼の名前はレクス。レクス・ドーンナイトよ。」
「よう!君は…….何だか奥底で蠢く闇を感じるね!名前はなんだい?」
初対面だが、やけに馴れ馴れしい。どういう心理が彼をそうさせているのかは知らないが、その馴れ馴れしさが逆に不和の女神の残滓のようなものを持った少女が不和ではなく、和を選ぶ理由になっているのかもしれない。そして、俺からは“奥底で蠢く闇“を感じているようだが、それがどこまで本気なのかはわからないし、本当だったとして、俺にはどうすればいいのかはわからないので、聞かなかったことにした。
「レクス・ドーンナイト。それが俺の名前だ。つっても、夜明王賀って自分で付けた和名の方が気に入ってるけどな!」
レクス自身は非常に満足していて何よりだが、俺から見ると地味にダサい名前な気がする。そして、レクスたちが楽しそうに喋っている隙に逃げ出そうとしていたものがいた。ジュピターだ。彼は出来るだけ音を立てないようにして、この場から逃げ出そうとしていた。
「待て…逃がさないぞ…」
逃げ出そうとしているジュピターに気づいたライトは、倒れている間に回復した力を使って、ジュピターの足を蹴り、ジュピターのバランスを崩させた。楽しそうに話していたレクスたちも、逃げようとしているジュピターに気付いたようだ。
「おっと…楽しく話している場合じゃあなかったな。足止めありがとう。あとは任せろ!」
ふざけた雰囲気だったレクスが、真剣な表情になったあとすぐに狩人の目になった。しかし声色は相変わらずふざけているような、あまり今から戦う人間の声ではなさそうな感じがした。しかしそう思っているのも束の間、レクスが足を一歩踏み出すと、さっきまでスカした態度だったジュピターはレクスのあまりの圧に腰が抜けたのか、バランスを崩したまま立てなくなっていた。
「待て…来るな!来るんじゃない!」
ジュピターは情けない声でレクスにを牽制しようとする。
「来るなと言って来ない敵がいるわけねぇだろ?…あまり怖がらせても良くないか…」
レクスはそう言ったあと少し考え、何かを思いついたような動きをしたが、次の瞬間レクスは急に加速し、ジュピターとの距離を90%以上近づけた。そしてまた次の瞬間にはすでにジュピターは気絶させられていた。
「はい。おしまい。」
「相変わらずレクスって規格外の強さ…..はぁ..」
エリスはそう言って、少し羨ましそうな表情をしてレクスを見た後に、自分の腕を見名がらため息をついた。そして、エリスはやっと一息つけるといったような具合で横になった。
「はぁ〜 床気持ち〜」
最初会った時のエリスとは全く違っている。初めて会った時にはエリスは随分としっかりしているようにも見えたが、今見てみるとどうだ?完全に緩み切った表情になっていて、先程までの緊張が嘘のように見える。いや、先程までの緊張がキツすぎたがために、本来のエリスの内面が外に少し溢れ出て来ただけなのかもしれないが。
「俺はこれからこのジュピター?とかいうやつを、警察に届ける。」
「わかった。そうだ!これからレクスと一緒に警察署に行くんだけど、その途中に私たちの拠点?みたいなのがあるから、ライトたちも来る?」
エリスは床で横になったまま、そう言った。俺にとっては、それは喜んでと言ったところだろうか、今の俺には行くあてもないし、行く宛があったとしてもここで解散してしまうのは後で後悔してしまう気がする。しかし、俺はいいが他の人たちがどうなのだろうか?
「いいんですか?」
英次郎とスペルマータが同時にそう言った。そして、エリスはなぜそう聞かれるのかわからないと言ったような表情で答えた。
「いいわよ。逆にダメだって言われると思ったの?」
「では..お言葉に甘えて」
英次郎がそう言うと、スペルマータもそれに同調する形で賛同した。
「なら決まりね!一緒に私のお家に行きましょう!」
そう言ってすぐに出発し、地上までの残りの階段を上がっていった。
「おお!地上に出れたぞ!」
「ここはどこだ?」
「ここが兵庫県神戸市。またの名を“アーセナル ゲートオブゴッド“..…さっきの私、女神っぽかったかしら?」
俺がここに連れて来られる前に旅行していたところと同じじゃないか….俺は遠くに連れて行かれたものだと思っていたが、本当はそんなことなかったのだと気付いた。
「やっと戻って来れましたね。」
そう言ったのは英次郎….もといイーグル・ブリテンシュタインだった。イーグルはそのままワシと言う意味。そして、ブリテンシュタインというのは、ブリテンがイギリスの領土である大ブリテン島。シュタインはドイツという国の言葉で「石」を意味するらしい。そしてそれをくっつけたものの意味するところは、ブリテンの城塞の鷹ということらしい。これはエリスの家に向かっている途中に英次郎に聞いた話しだ。俺が気絶している間、イーグルも消されていた過去の記憶に触れたらしく、その影響でこれまでとは少し違った性格になっていた。しかし、エリスの場合は神として存在していた時代の記憶はこの体になった時に存在しておらず、神の転生体であることもレクスから聞かされただけのようだ。
そのような話をしているうちに、エリスの家の前に到着した。エリスの家は洋風かつ非常に大きく、敷地も広いまさに豪邸とも言うべき家だった。
「到着!これが私のお家ね!早く入ってご飯にしましょ!」
エリスも数日ぶりに帰れたのが嬉しいのか、表情も実験施設にいた頃よりも随分明るくなっていた。
そして….この時ライトはまだ知る由もなかった。彼女がこの時点からすでにライトを好きになっていたことを。




