39.失ったもの、漆紀の遁走
3日後。
「あっ……れ?」
目を覚ますと漆紀は病室のベッドに居た。しかし以前居た病室とは明らかに光景が異なっている。一般病室ではなく一人だけの個人病室に漆紀は入っていた。他の患者はおらず、廊下に出るための扉は閉められているため雑音のない静かな病室である。
「真紀、真紀はどこだ……何日なんだ」
窓際を見ると明るい事から日中であるのは確かである。漆紀は自分と真紀の身に何が起こったのか詳細に振り返る。
(俺と真紀は病室でヤクザの襲撃に遭ったんだ。アイツ、拳銃持ってたけど音が出なくて……真紀が先に撃たれて、俺は……俺は確か頭に)
最後に漆紀の頭に拳銃が突き付けられ引き金を引かれた瞬間を思い出すと、未だに生々しくその光景が蘇ると共に死の感覚が沸き上がり体を震わす。
「真紀があんなに血を流して……聞かなきゃ、ナースを、呼ばなきゃ」
漆紀はナースコールを押した。すると数分で看護師が病室に入って来て、漆紀を見るなり目を見開いて驚く。
「起きたんですね? 今先生を呼んで」
「待って! 真紀は、妹の真紀は大丈夫なんですか!?」
漆紀は真っ先にソレを知りたいが、看護師は部屋を出て行ってしまう。
「なんだよ……どうなってんだよ一体……クソ!」
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翌日、漆紀だけは怪我が一切ないため、いとも簡単に退院した。
漆紀は医者と話した際に「俺は頭を撃たれたはず」と問い詰めたが、襲撃のあと異常を察知した看護師が病室に来た時には漆紀の頭に怪我と見られるものはなかった、と医者は話した。
では漆紀の妹である辰上真紀はどうなったのか。
結論から言えば命は取り留めた。意識もあり銃による体のほとんどの負傷は今後の入院生活で治していくほか無いと言われたが、唯一治らないものがあった。
それは、喉である。
詳細に言えば声である。銃弾で削り取られた喉は人工部品で補えば食道と繋がるため、食事については今後も可能である。
しかし、声帯は治るものではない。
声に関しては人工部品であったとしても、元々あった本人の声そのものは取り戻せない。
自宅の自室で、漆紀はただベッドに俯せていた。
(俺のせいか。俺のせいなのか?)
漆紀はひたすら自問自答せざるを得なかった。これまでの行いを振り返れば、最初こそ漆紀自身に非は無いに等しかったが、相次ぐ夜露死苦隊の襲撃にうんざりして過剰なまでにやり返した。
漆紀が遠慮してしばらく外に出なければ、そもそも街中で夜露死苦隊に何度も襲われなかったのは確かである。つまるところ漆紀は自分で事態を余計に悪化させ大きくしたとも言える。
しかし、漆紀は自分の性分を優先してしまった。なぜ自分が遠慮して夜露死苦隊に好き放題されなければならないのか、夜露死苦隊が関わらなければ良いのだ。
「血……」
漆紀は起き上がると机から鋏を取り出し、その刃を左手人差し指の指先に当てて浅く切って僅かな血を出す。その血を首飾りの鉄塊に押し当てて、漆紀はムラサメを呼ぶ。
「聞こえるかムラサメ。話がしたいんだ……刀にならなくていい」
『なに?』
ムラサメは変わらず和かい声色で応答した。
「俺、病院で頭を撃たれたハズなんだ。治したの、お前か?」
『ええ。あなたの妹が流した血を使って、とにかく頭を優先して治した。他の傷は後回しでね』
漆紀はなぜ自分が生きているのか、本当にムラサメが治したのか疑問に思い問うた次第であった。ムラサメの力と治す為の血があれば、漆紀は頭を撃たれようと傷を治し生き返るため事実上不死身である。
「お前さ……俺がこの首飾りを持ち始めた時から、昔から俺を見てたんだろ?」
『うん。あなたの子守りはそれほど退屈じゃなかった』
「子守りか。あのさ……俺はあの日、最初に夜露死苦隊のリンチに遭った日にさ、一方的にやられてりゃ良かったのかな? 弱い一般人に甘んじて、それらしく振舞って負けてりゃ良かったのかな? そうすればこんな酷い事態にならなかった?」
問いかけに時間を置かず、ムラサメは明確に答えた。
『どの道、命を狙われてたと思う。それに、あんな一方的に逃げられない状況で殴られていたのなら、もう反撃しかないよ。戦えば戦う程、相手はメンツが潰れるから躍起になって襲い掛かるけど、あなたは一方的にやられるなんて絶対に"許せない"でしょ?』
「ああ。俺はあの時、あの理不尽ぶりに対してキレたんだよ。ふざけんなって……な。もう、やりきるしかないのかな……夜露死苦隊の連中は全員ボコったから、ひょっとしたら諦めてくれるかもしれない。だけど、今度は夜露死苦隊の上の連中……ヤクザが俺を狙ってきたとしたら、もう命がいくつあっても足りない程の戦いになる」
夜露死苦隊も漆紀の命は狙って来ていたが、一人一人の単純な戦闘力や武器の強さは暴走族止まりであり暴力団ほどの強さではない。
暴力団、いわゆるヤクザが相手となれば話が違う。夜露死苦隊を傘下に置いていた萩原組の構成員の半数以上は夜露死苦隊で経験を積んだ者であるし、喧嘩をした数も違うし武器も夜露死苦隊とは違って銃火器を使う。
暴力団は総じて暴走族の上位互換の組織であり、それと戦うのならば今まで以上に命がいくつあっても足りない。
血の貯蔵があればムラサメは漆紀が死ぬ怪我を負っても蘇らせてくれるが、銃を持ったヤクザ相手では何度死ぬか分かったものではない。
「ムラサメ、血の貯蔵はどれくらいあるんだ?」
『先代所有者である信乃の血は全部使ってしまったし、輸血ぱっく? それと妹さんの血も治療に使い切ってるから血の貯蔵は一滴たりともない』
「血はない、か」
『でもね、水なら敵を斬らずとも貯められる。私は血だけでなく、水も貯められる』
「水? 貯めたとして、なにが出来るんだよ」
『霧を起こせる。この前、ヤクザとやらに襲撃された際に出したでしょう? 他にも、あなたが最初に私の力を使った時を思い出して』
「ああ、宝和記念公園で夜露死苦隊の総長が襲って来た時の事か」
『水の勢いで宙に浮いたり、大量の水を竜のようにしてぶつけたでしょう? あれらも水の貯蔵があれば出来る。あれらが出来れば、きっと戦える』
「お前は、戦う事を勧めるんだな」
その戦いが原因で事態が悪化し、漆紀だけでなく妹の真紀まで撃たれたのだ。
『全て終わりにすれば良い』
ムラサメは抽象的な言い方で漆紀に目標を言うが、漆紀には何をもって終わりと言っているのか捉えられない。
「全てって、何を終わらせるんだよ」
『賊を終わらせれば良い。あなたと妹を撃ってきたヤクザとやらが大元なのでしょう? なら、このヤクザを全員皆殺しにするしか、よもや終わりはないでしょう?』
「み、皆殺しって……待てよムラサメ! 殺すのはやば」
『既にあなたは命を狙われ、妹までも死にかけた。私が頭を治して蘇生しただけで、あなたは病院で事実上一度殺されてる。それより前には暴走族の総長とやらに斬られて死にかけている。それでもまだ、法を気にして躊躇い手加減するの?』
「俺は……正直迷ってる。俺が調子乗り過ぎたんだって」
漆紀は何も出来なくなった。妹の真紀だけでなく、七海や介助まで銃撃を受けると漆紀は恐れ始めていた。更に酷ければ漆紀の知り合い全員を殺しにかかるのではないか、新学期に学校が始まればヤクザが学校にカチコミして皆殺しでもしに来るのではないか。
『私から言えるのはそれぐらい、いつでも私はあなたの味方だから』
ムラサメは沈黙し、漆紀はまたベッドに俯せようとするが。
「おーい漆紀、入るぞ」
父・宗一が扉を開けて部屋に入る。
「おい、なんで暗くしてるんだ。カーテンまで閉め切って……真紀なら生きてるんだ、今はそれで良いだろう」
「父さんはどう思うんだ」
「何がだ。真紀が撃たれたことか? 勿論許せないが、ヤクザ相手にするのは無謀だ。暴走族と違って、本当に命を狙って来る。暴走族は殺す殺すと言うが、結局はまだ喧嘩で治まる程度が大半だが……」
暴走族と暴力団の決定的違いは、殺意の強さと戦闘力の強さに他ならない。
「キリがねぇよ……夜露死苦隊を倒したんだと思ったら、今度は萩原組だぁ? 仮に俺が萩原組とも戦って倒せたとして……次はなんだ? 萩原組すら傘下に置いてるデカい暴力団が相手か?」
「漆紀、もう深く考えるな。しばらくお前は休め」
「父さんは……仕事どうすんの。事務所は襲撃でまだ直しきってないし」
「仮設事務所で営業を続けるつもりだ」
「そっか」
素っ気なく返すと、漆紀はベッドに俯せた。
「それとな……漆紀、真紀と話してみろ」
「何言ってんだ父さん?」
漆紀の疑問は最もである。真紀は意識があり病院で安全な環境にあるとは言え、撃たれた箇所は現在療養中であるし、撃たれた箇所の肉や骨が治っていくまでは鎮痛剤や解熱剤の投与や点滴などの供給も受けなければ耐えられぬ状態なのだ。病室に居るとしても、とても電話するために立ち上がる事は出来ない。
その上、従来の病院ならば院内での通話は基本的に禁止であろうと漆紀は考えていた。
「お前知らないのか? 最近の病院は医療機器も発展して、電話程度で機材がおかしくなる事はまずないんだ。だから、よほど声を出さない限りは病室で通話は可能だ」
「でも、真紀はとても動ける状態じゃ……」
「腕は動かせるそうだから、父さんが真紀のスマートフォンを病室に置いて来た。電話は出来る」
「……話してなんになるんだよ」
「向き合う事が大事だ。父さんはしっかり真紀と話はしたぞ。真紀の声は戻らないが、人工声帯があるから話は出来る」
漆紀は父にそう諭されると、自分のスマートフォンを手に取って真紀の電話番号に通話をかける。
しばらく呼出音が流れ、10秒ほどして応答が始まった。
「もしもし……真紀」
漆紀はそう切り出すと、2秒ほど置いてから真紀の返事が返って来た。
『おに、い、ちゃん?』
その声は、とても平坦であった。人工声帯といっても、普通の健常な声帯のように高低や抑揚のある人間そのもののように話せる人工声帯が病院に常にあるわけではない。病院にあった人工声帯は簡素なものであり、声の高低までは一切補助されていない。そのため、一昔前のロボットボイスのような平坦な声が、今の真紀の声だった。
「ごめんな、真紀。ヤクザまで出て来たのは、やっぱり結局俺のせいだ。俺が、やられてりゃ良かったんだ。俺が抵抗しなきゃよかったんだ。ごめん、真紀……」
『あたし、こん、な、声だ、けど……言ってる、言、葉は、わかる?』
スマートフォンなどの携帯電話というのは厳密には本人の声ではない。声の波形を符号化しコードブックという音の辞書から最も近い声を選んで再生しているだけなのだ。
そんな原理を漆紀は知らないが、コードブックと人工声帯が相まってか真紀かと疑ってしまう声だと思ってしまった。
「わかるよ。しっかり、聞こえる」
『あたし、だい、じょう、ぶ、だか、ら。そんな、しんき、くさい、声を、しない、で』
真紀にかける言葉がなかった。真紀の心配に「わかった」などと軽率に返すことなど、漆紀には出来ない。
『おね、がい……あるん、だけ、ど。いい、か、な?』
「ああ。なんだって、やってやる」
『あいつ、らに……まけ、ない、で。ぜん、ぶ……たお、して』
「真紀……っ!」
『せきにん、とって、けっちゃ、く……つけて。だから、さいご、まで、たたか……って』
「ああ。そうだ……そうだよな」
『じゃあ、きる、ね。また、でんわ、は、こんど……ね』
そう言って、真紀の方から通話を終了した。漆紀は真紀の言葉を聞くほかなくて、会話とは呼べない通話であった。
「真紀の言葉は、ちゃんと聞いたか?」
父がそう問い、漆紀は無言で頷く。そしてスマートフォンをベッドに置くと、そのまま再び俯せてしまう。
「それと漆紀。その首飾りのムラサメの事だが……自分の血で自分を治す事だけはするなよ? 恐らくムラサメから言われたと思うが」
「わかってる。もういい」
漆紀はふいに立ち上がると自室の窓を開ける。外は大雨が降っており、大粒の雨が住宅の屋根や地面に「バシャバシャ」と打ち付けて轟音を立てている。
「おい、外は雨降ってるのになんで開ける? ちょ、漆紀待て!」
宗一の制止を振り切って、漆紀は窓にぶら下がってから外に降りた。漆紀の部屋は2階だが、窓からそのままではなくぶら下がって降りれば骨を傷付けず降りれる。
地面に降りると、裸足のまま漆紀は路上に出て走り去る。
「あいつ、どこ行く気だ」
漆紀の突発的な奇行に宗一は頭を抱えた。