二話
一面を照らす眩しすぎるくらいのシャンデリアとお洒落をした男女が会場いっぱいに広がっている。
デビュタントでは、デビュタントの女性とパートナーが一斉に一曲を踊る。それが終わると、普通の夜会と同様に挨拶回りやダンスなど、それぞれが自由に行動して良いことになっている。
挨拶回りとダンスを無事に終えた私は、親友のナタリアがこちらに手を振っているのを見つけた。同い歳で同じ伯爵令嬢ということもあり、ナタリアとは昔から仲良くさせてもらっている。
少々気は強いが優しいナタリアの隣には、人の良さそうな顔をしたナタリアの幼馴染み兼許嫁のカインが立っていた。カインもこちらに気づいたらしく、微笑みながら手を挙げた。それに微笑み返した私は、お兄様の腕を優しく叩く。
「ねぇ、お兄様。ナタリアとゆっくりお話したいのだけれど良い?」
「ああ、ナタリア嬢か。もちろんいいよ。私も行こう」
「待ってお兄様、ナタリアと約束していたのよ。二人きりで話しましょうって」
「ねぇ、いいでしょう?」という表情をしながら、お兄様の顔を見上げる。ここで少し、瞳を潤ますことがポイントだ。この表情に屋敷の者は弱い。
今日も例外ではないらしく、お兄様は私の肩を優しく掴みながら言った。
「……分かった。しかし、変な男に捕まったら、お兄様を呼びなさい。すぐに駆けつけるからね」
「はい、分かりました。すぐにお兄様をお呼びします。ですから、お兄様も楽しんでくださいね」
友人の集まりのところに行くお兄様を笑顔で送り出してから、ナタリア達のところに向かう。ちなみにお父様とお母様はというと、先程から仕事で付き合いがある方達と談笑をしている最中だ。
挨拶をしている最中に思ったが貴族は皆、見目麗しい者ばかりなのだろうか。私の好みの方が誰もいなかった。体格の良い方はいたが、お父様と同じ年代の方ばかりで同年代には、あまりいなかった。
前世では、豚の様な方が最も美しいとされていたが、私はそこまでいくと気が引けてしまう。完璧すぎて、美術作品を見ている気分になるのだ。私はどちらかというと、ゴリラの様な男性がタイプだ。迫力のある顔面に逞しい体。林檎を掌で潰せたら尚良しだ。
「フィー、久しぶりね」
理想のゴリ様を考えていたら、いつの間にかナタリア達のところに着いていたらしい。赤い髪を纏め、青い目をしたナタリアが嬉しそうに微笑んでいる。大きな目は少しつり上がっていて、まるで猫の様だ。
「久しぶり、ナタリア。そしてカインも久しぶりね」
「うん。久しぶりだね、フィリア。ドレス、似合っているよ」
「ありがとう」
ナタリアと幼い頃から許嫁だったカインとは、私も幼い頃からの付き合いだ。親戚や使用人以外の男性との関わりがなかった私にとっては、唯一の男友達といってもいい。
「じゃあ、僕は友人のとこに行ってくるよ」
ナタリアが約束のことを事前に知らせていたらしく、カインは手を振りながら去っていく。
「フィーのところは相変わらずね」
「へ?」
「フェルナンド様のバリケードが凄かったわよ。フィーを見ている男性には威嚇していたし、フィーのダンスのパートナーへの視線が鋭かったわ」
ナタリアがこちらを見ながら笑う。ダンスをしているときに、皆最初は笑顔だったのに、何故か途中から相手の男性が青ざめていた気がしたのは気の所為ではなかったのか。
「フィーが結婚するとき、大変ね」
「ええ。ナタリアはカインとこのまま結婚するのでしょう?」
「まあ、そうね。あいつ、私のことが大好きみたいだし」
こんなこと言うナタリアだけれど、実はナタリアもカインが大好きなのを私は知っている。ナタリアは普段はカインに素直じゃないけれど、実は焼きもち焼きで、結構可愛いのだ。カインは、そんなナタリアをいつも優しく包み込んでいる。相性が良いカップルだと思う。
「いいわね。私も結婚……せめて、恋人をつくってみたい。まだ出来たことはないもの」
目を伏せて、考える。もしも、ゴリラの様な男性、ゴリ様と恋人になれたら、なんて素敵なんだろう。
晴れた日には、森を散策して、一緒にサンドイッチを食べたい。雨の日には、家の中でゴリ様とぼんやりしたい。考えるだけで、幸せだ。
「そうよね。可愛いからって閉じ込めて、こんな悲しそうな顔をさせてちゃいけないわ。フィーにだって、素敵な男性と恋に落ちる権利があるのだから」
「ナタリア……」
ナタリアの天使の様な発言に感激する。前世で友人というものがいなかった私には、ナタリアの優しさが身にしみる。皆は私を天使だとかいうけれど、ナタリアこそが天使だ。
「ねぇ、フィー。私が協力するわ。フィーに幸せになってもらいたいもの」
「ナタリア、ありがとう」
「誰か気になる人はいなかった?色々な方とダンスしていたでしょう?」
「皆さん素敵な方だったけれど、気になる人は……」
その時だった。私の身体中に電撃が走った気がして、頭が真っ白になった。
短く切り揃えられた黒く硬そうな髪に、黒いつぶらな瞳。太く濃い眉毛は凛々しく、なんでも飲み込みそうな大きい口は思わず吸い込まれそうだ。そして、服の上からでも分かるような筋肉質の身体。……ゴリラだ。私の理想のゴリ様が現れた!
「ナタリア!あの方、あの方が私の理想だわ!」
ナタリアに顔を近づけ、ゴリ様の方に視線を送る。ゴリ様とは少し距離は開いているけれど、ゴリ様の周りだけキラキラしていて、目立っている。
「あの……黒髪の?」
ナタリアは、どこか難しい顔をしながら考え込んでいたが、私を見つめながら大きく一つ頷いた。
「フィーなら、叔父様を変えてくれるかもしれないわね」
「へ?叔父様?」
「ええ。あの方は、アルバート・リッツカルザ。私の叔父よ」
「え、ナタリアと!?あまり似ていないような気がするのだけれど……」
ナタリアはこの世界でいう美人だ。ゴリ様とは似ても似つかない。
「よく言われるわ。お父様はお爺様に似たらしのだけれど、叔父様はお祖母様に似たらしいのよ」
ゴリ様に似た女性……。それは一度、見てみたい。物凄い美女なのだろう。いや、結婚したら見れるどころか、仲良くなれるのかもしれない。
口元が思わず緩んでしまう。
「叔父様は、30になるのだけれど騎士団副団長なのよ」
「凄い!まだお若いのに立派なのね」
騎士様だからあの体格なのか。納得だ。それに若くして副団長だなんて、凄く強いのだろう。
「でもね、叔父様は少々女遊びが激しいのよ」
「……そうなの?」
「ええ、色々な方と浮き名を流してきたそうよ。このまま結婚しないんじゃないかって、お父様が悩まれている程にね。だから、私が叔父様を紹介することで、フィーが傷ついてしまうのではないかと考えると不安だわ」
ゴリ様が女遊びが激しいだなんて、少々ショックだ。しかし、あんなに男前ならばしょうがないことなのかもしれない。
ゴリ様は、あんなに完璧なゴリラだ。しかし、完璧な人間は存在しないということは、分かっている。相手の駄目なところを受け止めることが愛だと、お母様もおっしゃっていた。
「それでも構わないわ。アルバート様にどうしようもなく惹かれてしまうの」
大体、紹介して貰ったところで、私がゴリ様に気に入られるとは限らない。それでも、一度話してみたい。将来、結婚するのが違う相手でも、ゴリ様とお話したことは良い思い出になるだろう。
「フィー、そんなに叔父様のことを……」
ナタリアが私の手を握る。
「叔父様はね、遊び人かもしれないけれど、私たち姉妹ともよく遊んでくれるし、家族思いで優しい人よ」
「そうなのね」
「ええ。だから、叔父様には幸せになってほしいわ。家族をつくってほしいの。今のままだと、いつか刺されそうで怖いしね」
少し笑いながら、ナタリアは私の目を見つめる。
「フィーは、とても可愛いし中身も愛らしいわ。あのセーデルン兄弟が溺愛している娘なんだもの。私もフィーのことは、大好きだしね」
「私もナタリアのこと大好きよ」
私とナタリアは笑い合う。
「ふふっ、ありがとう。そんなフィーなら叔父様も変わるんじゃないかと思うの。……だから今度、私の家で内密に会いましょう」
「いいの?」
「ええ。そしたら、セーデルン兄弟にはバレないでしょう?」
「ありがとう!ナタリア!!」
「もちろん、叔父様が貴女を傷つけるような真似でもしたら、すぐに引き離すからね。泣かせでもしたら、ぶん殴ってやるわ」
ナタリアは、拳を握りしめる。ナタリアの様な細い腕で、ゴリ様を殴ったら、ナタリアの方にダメージがきそうだ。でも、そんなナタリアの気持ちが嬉しい。
ふと、背中に気配を感じて、後ろを振り向くと、視界いっぱいに騎士服が見えた。恐る恐る見上げると、そこには金髪碧眼の男性が無表情に私を見下ろしていた。
「ファリオお兄様!?」
驚きすぎて叫びだしそうな声を慌てて手で抑える。お兄様は、そんな私を気にした素振りもなく、私をじっと見つめている。少々困惑しながらも、お兄様が話すのを待っていると、その額に、微かに汗の様なものが光っているのに気がついた。
もしかして、お兄様は走って来たのだろうか。仕事の合間に急いで私の元に来たのかと思うと、つい笑みが出る。
「フィー、似合っている」
「ありがとうございます」
淑女の礼をした私を見て、お兄様が頷く。お兄様の口角が少し上がった気がした。
お兄様が私の隣にいるナタリアに向き合い、挨拶をする。
「ナタリア嬢も似合っている」
「ありがとうございます」
「では、私はこれで」
「え?」
お兄様はそれだけ言って、どこかに消えていった。私が呆気にとられてその後ろ姿を見ていると、ナタリアも私と同じ様な表情をして私の方を見ていた。
こうして、私のデビュタントは少しの不思議を残しながらも無事に終わっていった。