第0話
2026年8月某日
神奈川県横浜市にある某刑務所前にて――
「お世話になりました」
「支度金は持ったか?」
「はい、ここに」
正面入り口の横にある鉄扉から守衛であろう初老の看守に伴われて出て来た男は、丁寧に頭を下げると看守に見守られながら刑務所を後にした
39歳の男はボロボロのナップサックを肩から担ぎ、ベージュのポロシャツとスラック姿でトボトボと歩みを進める
一般的には短いが男にとっては永遠とも思えた刑期を終えようやく塀の外へ出る事が出来たのだが、その表情には喜びも悲しみもない
――無表情
彼の名は鳥居良彦。
かつては有名大学を出て、大手商社で将来を期待されていた敏腕営業マンだった男
彼が横浜の刑務所に服役していたのか…
それは――
「殺人罪」
深夜の公園にてホームレスを狙った悪質な暴行、結果として住所不定で不法滞在者であった外国籍の男を殴り倒し
その男が倒れた先にあった岩で後頭部を強打、頭蓋骨骨折と脳挫傷の診断を受け、死亡が確認された。
当時酒に酔っていた男は、「公園の浮浪者を始末して少しでも社会を綺麗にする」と身勝手で短絡的な理由で犯行に及んだ
当時のことを証言した後輩であり元部下の男の証言によると
「人道に反することはしてはいけないと鳥居係長を諭しましたが、泥酔されていた鳥居係長は「声がした」と薄暗い公園の奥へと走り去りました」
そして男の身勝手は実行された
後輩の部下の機転ですぐに警察が介入し現行犯逮捕となった鳥居良彦
「しかし彼はこう言い訳をした」
「自分は男に強姦されそうになっていた女性を救おうとしただけだ!と……」
後輩であり元部下の証言と食い違う男の供述
検察側が用意したその後輩の証言の不鮮明な部分を指摘し、小さな穴を穿った。
か、に見えた――
しかし、彼の思惑は無情にも露と消える
証言台に立つと彼と約束したらしい、男に襲われていたという女性は公判当時になっても姿を見せることはなく
、その日の公判で”死亡した被害者に襲われていた”という証言を得る事は出来なかった。
そのため、正当防衛として認められるために必要な二つに要素のうち
”急迫不正の侵害があること”が認められず、過剰防衛であったと結論づけられる
また逆に後輩の元部下の証言の不備を突いた事により”防衛の意思があった可能性がある”と一部、男側の主張が認められることに
そられを踏まえ、判決が下された
≪懲役4年、執行猶予なし≫
殺人の事件としては異例ともいうべき減刑だった
これは懲役15年を求刑していた検察側の敗北といえる結果だった
だが、頑なに無実を主張していた男は、この判決に不満をもち当然のように上告するものだと、その場にいた全員が思っていた
が、結果として男は判決を受け入れた
色々な心境の変化があったのだろう、もしくは良心の呵責に目覚めたのかもしれない
男は何も語らない・・・
服役中の男の様子だが「模範囚」その言葉がぴったりだった
しかし、どれだけ模範や規範となっても彼の刑期が短縮されることはなく丁度4年後の本日、無事出所となった
――夏の熱い日差しに焼かれたアスファルト…
照りつける太陽は、短く切りそろえた頭皮を遠慮なく焼く
キィィィ
そんな彼の歩く歩道に背後から直進してきて幅寄せしてきた白い外車のSUV
運転席と助手席のドアが開く
「...お待ちしてました、鳥居様」「迎えに来ました」
申し訳なさそうに俯く茶髪のロングヘア―の美女と、眼鏡が知的な印象を受けるショートヘアーの美女が俺の前に立つ
ドサッ
ボロボロのナップサックが地面に落ち、すこし開いた口から色あせた家族写真が覗く
「お、おぉお・・・」
男の目は狂気に満ち、その口からは唾液が白い泡となって滴り落ちる
動揺、怨嗟、驚愕、怒気
そのどれにもあてはまらない程のドス黒い感情が、今まさに男の腹の中で爆発しようとしていた
―――そう、その感情を言い表すなら時を4年ほど巻き戻す必要があるだろう。




