第四話 黒影
馬の蹄の音が、一定のリズムで地面を打つ。
城門を抜けると、王都の喧騒はあっさり背後に置き去りにされた。
風を切る音と、革具の軋む音だけが続く。
沈黙が、長い。
「おい」
「なんですか?」
短く声をかけられ、クロトは大きな声で返事をする。
「何故髪を持つ?」
「髪が長くてお邪魔かと!」
「しっかり捕まってないと振り落とされるぞ」
呆れた声で言われ、クロトは髪を押さえている手を離した。
金髪の長い髪がぶわりと風を受けて舞う。
「邪魔だな」
「ほらやっぱり」
次の休憩で髪の毛を結ぼう。
「次の休憩で切れ」
乱暴なものの言い方をされ、クロトは口を尖らせる。
「次の休憩で切れ。必要ないだろう」
「……必要か不要かで、髪を伸ばす女はいません」
クロトはすこし振り返る。
「殿下……さては、軟派なふりですね?」
どんなに美しくても、そんな無粋なことを言う男が社交界を振り回すわけがない。異性交遊に積極的なようには到底見えない。
「別に、俺が言いふらして歩いたわけじゃない」
放蕩王子は、周りが勝手に言っていただけ?
クロトは眉を顰める。
「とにかく髪を切るのはお断りします。……これは、私の錨のようなものなんです」
「髪が錨だと?」
――クロトは、長い方が似合いそう。
彼女はそう言って、花が綻ぶみたいに微笑んだ。
伸ばすと約束したわけではないが、彼女が亡くなった後髪は切れないでいる。
あの時、ナシェルが触れた毛先が今も指に残っている気がする。彼女を忘れないための、たった一つの約束。
「知るか!」
一喝で雑に締めくくられ、クロトは嫌な顔をする。
しばらく間を置いてから口を開いた。
「……お聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ」
相変わらずぶっきらぼうな返事。
「聖女ナシェルとはお知り合いだったのですか?」
「……ああ」
「失礼ですが、どのような?」
「ただの友人だ」
「グリズリッド……どこかで……」
クロトはぶつぶつと口の中で独り言を呟く。
「無駄な話をしていると舌を噛むぞ」
話を逸らされた。
クロトは目を細める。
「もうひとつよろしいでしょうか」
「よくしゃべる女だな」
「なぜ殿下自ら討伐に?」
一瞬、背中の体温がわずかに強張った気がした。
「王命だからだ」
グリズリッドの答えに、クロトは口を開く。
「お聞きしたいことはすこし違います。何故調査の段階から殿下自ら行かれるのかと」
「魔導士」
グリズリッドは低い声で嗜めるように言う。
「長生きしたければ余計な詮索はしないことだ」
「任務の内容を詳細に理解することは大事なことですよ?」
「口を閉じろと言っている。質問は騎士団長にしてくれ」
それきり、グリズリッドは口を閉ざした。
――また沈黙。
だが今度は、さきほどよりも張りつめている。
クロトは、前方の林に目を凝らした。
空気が、澱んでいる。
クロトは素早く攻撃魔導の印を結び、攻撃の準備を始める。
「前方二時の方角に気配」
背後のグリズリッドの声にクロトは黙って頷いた。
馬が小さく嘶く。
騎士団の列も、ざわりと揺れた。
林の奥。
地面を這うような、黒い靄。
魔力の歪み。
人為的だ。
「黒魔導士……?」
クロトの呟きに、グリズリッドは首を横に振る。
「いや、使い魔だろう。数が多い」
次の瞬間。
林の影から、黒く歪んだ影が一斉に飛び出した。
「前方、接敵!」
騎士の怒号。
馬が暴れ、隊列が乱れる。
「下がれ!」
グリズリッドが叫ぶよりわずかに早く、クロトは馬から滑り降りる。
「魔導、展開」
落ちながらそう呟いた瞬間、空気が震える音と共に視界が一段階研ぎ澄まされた。
地面に魔法陣が走り、強い光が溢れ出す。
風が収束して無数の刃となり、クロトの周りに集まる。
「みなさん伏せてください――巻き込まれますよ」
周りの騎士たちに聞こえるかはわからないが、一応注意喚起してから解き放つ。
轟音と共に圧縮された風が前方を薙ぎ払い、黒い影をまとめて引き裂いていく。
断末魔すら上げられず、使い魔は霧散した。
残るのは草が漕げる匂いのみ。
騎士たちが、言葉を失ってこちらを見ている。
グリズリッドは、初めてはっきりクロトを見下ろした。
「……名ばかりではなさそうだ」
低く、呟くように。
「光栄です、第二王子殿下」
クロトは恭しく魔導士の礼を送った。
「使い魔――と仰ってましたね? 私は初めて見ましたが、殿下は遭遇したことがおありだったんですね」
「ああ」
グリズリッドは表情を変えずに頷く。
「あちらの牽制でしょうか」
「そうかも知れない」
グリズリッドはそのまま表情を変えず、遠いところを見やる。
「或いは」
静かに呟く。
「――誘いか」
その言葉に、クロトは目を細めた。
憎しみと、何か別の感情が混じった深い青。
馬の背の上で、風が強く吹いた。




