第三話 出立
夜明け前の空気は冷たく、吐く息が白く滲んだ。
城門前の広場には、すでに騎士団が集結している。
鎧が擦れる音、馬のいななき、低く交わされる声。
それらが澄んだ空気に溶け込み、張りつめた気配を作っていた。
騎士団長レイドの話では、黒魔導士について分かっていることは少ないという。
魔導士が襲われる事件自体は、もちろんクロトも把握していたが、特に騎士団より知っていることなど無かった。
ちょうど前聖女が亡くなって間もなくした頃からその事件は始まった。
音もなく現れ、目撃情報はほぼ皆無。
魔導士の死体は例外なく心臓を抉られており、狙われるのは、いずれも中級魔導士あたりだ。
今月だけでも既に十件以上。
何よりレイドも言っていたが、前の聖女の死因と同じことから、聖女を殺したのは黒魔導士なのではという噂が飛び交っている。
騎士団は偵察を兼ね、王都周辺を巡回しつつ北の大地を目指すという。
北の大地には、雪竜討伐の任務でつい最近行ったばかりだった。
大地には豊かな魔力が含まれ、魔導士の間では聖地などと呼ばれる地でもある。
「……あの女、魔導士らしいぞ」
「竜狩りの最高位、だとよ」
「女一人入って何が変わるんだか。しかし美人だな」
ひそひそとした声に、小さな笑いが混じる。
「公爵令嬢らしい。お前じゃ相手にされないさ」
「けっ、お貴族様か」
「花でも愛でて紅茶でも飲んでりゃいいものを」
どっと、無遠慮な笑い声が広場に広がった。
「どこの家門だ」
よく通る声が落ちた瞬間、ざわめきが一斉に止む。
「口はいいから、手を動かせ」
第二王子グリズリッドはそう言って騎士たちを一瞥し、それ以上何も言わなかった。
次に、グリズリッドの視線がこちらを射抜く。
「お前も、そこで突っ立っているな。早く乗れ」
短く告げられ、クロトは大型の黒い軍馬に跨るグリズリッドをおずおずと見上げた。
銀糸の刺繍が施された上着が、琥珀色の髪に映えている。
鎧を身につけていないのが少し不思議で、詳しくないクロトは首を傾げた。
グリズリッドは手を差し出すこともなく、深い青の瞳で冷たく見下ろしてくる。
「失礼します」
周囲の空気が、再びざわついた。
――まさか、殿下の馬に同乗するとは思わないだろう。
「……それは魔導士の制服か」
「え?」
「なぜそんなに丈が短い」
苛立った口調で問われ、クロトは自分の足元を見下ろした。
軍服のような装飾の羽織の隙間から、太ももが覗いている。
確かに、スカート丈は膝よりかなり上だ。
「動きやすいから、ですかね?」
首を傾げると、グリズリッドは溜息をついた。
「何しに来たんだか」
呆れた声音に、どう思われているのかがはっきり伝わる。
「わ、私だって好き好んで着ているわけでは……!」
仕方ないだろう。支給品なのだから。
「早く乗れ」
――実は、魔導士は馬に乗らない。
乗り方が分からない、とも言い出せず、考えを巡らす。
クロトは右手で風の魔導の印を結んだ。
足裏の感覚がふわりと薄れ、身体が浮く。
グリズリッドと正面で目が合う高さまで上昇し、静止した。
「前に座った方がいいですか? それとも後ろ?」
グリズリッドは苦虫を噛み潰したような顔で視線を逸らす。
「……前だ」
そう言って、左手で握っていた手綱を離した。
「では、失礼いたします」
よいしょ、と馬の背に腰掛け、横座りになった瞬間。
グリズリッドの背筋が、ぴくりと強張る。
「馬鹿なのか! 全速力で走るんだぞ! 妙なところで公爵令嬢らしさを出すな! そんなものは捨ててしまえ!」
耳元で怒鳴られ、きんと耳鳴りがした。
「確かに、跨ると見えちゃいますかね」
困ったように眉をひそめ、クロトは黒い魔導士のローブを腰に巻いた。
グリズリッドは何も言わず、手綱を握り直す。
次の瞬間、馬が動き出し、バランスを崩した私は思わず後ろへ傾いた。
背後のグリズリッドに、体を預ける形になる。
背中越しに伝わる体温と、規則正しい鼓動。
男性とこれほど密着するのは初めてで、妙に落ち着かない。
自分の体とは作りがまるで違う、がっしりした体躯を、否応なく意識してしまう。
馬が歩を進め、城門が開く。
騎士たちの視線を四方から感じながら、クロトはただ前を見据えるよう努めた。




