第一話 辞退
「素晴らしい! このような強い聖紋は初めて拝見しました」
白い石造りの部屋に、教皇の興奮した声が響く。
桶に溜まった聖水に両手をかざせば、溢れんばかりの光が祈りの紋様を描き出す。クロトはそれを実に冷めた目で見つめていた。
視界の端では、公爵席に座る父が「これで安泰だ」と言わんばかりに満足げな笑みを浮かべている。
「ようやく聖女選出の儀を受けてくださった。……さあ、聖女の任をお受けいただけますね?」
教皇が目を弓なりに細めて問う。断られることなど微塵も疑っていない、独善的な慈愛の笑み。
この場に集まった王族や貴族たちの視線が、「名誉を受け入れろ」と無言の圧をかけてくる。
聖女になることは名誉だ、栄光だ、民の希望だ。
この国に生まれた少女たちはそう言われて育つ。
クロトは一つ息を吐いた。
「――お断りいたします」
一瞬で世界が空気が凍りつく。
「は?」
誰かが言葉を失い、誰かが眉をひそめる。
父の青い目が大きく見開かれるのが見えた。
「理由を伺いましょうか。王国魔導士最高位――クロト・クロンクヴィスト殿」
クロトは視線を上げ、教皇を正面から見つめる。
先ほどまで穏やかに微笑んでいた顔が不満げに歪んでいる。
「魔導士で在り続けたいからです」
それだけを、はっきりと告げた。
「何をおっしゃるかと思えば――半年もの間聖女不在で不安定な今、あなたの力は王国のために使うべき……」
「私の力は魔導士として王国のために使います。これまで雪竜を討伐した者はいました? 王国が大雪に覆われないことでどれだけの経済効果があるかお分かりですか?」
言葉を遮られた教皇は、ぐぬっと声を上げて不服そうに口を閉じた。
「魔導士の方が向いていますので」
聖女選出の間にざわめきとどよめきが広がる。
不敬、傲慢、若さゆえ――そんな言葉が囁かれる。
でも、不思議と心は静かだった。
「ご納得いただけないようでしたら――」
静かに上げた右手からばちんと大きな破裂音を立てて、大きな火花が飛んだ。
「ひいっ!」
教皇は青ざめて悲鳴をあげ、飛び上がると素早く後ずさる。
「こ、ここは聖なる場ですよ! こんな暴力! こんなこと許されるはずが――」
「ないですよね? ほら聖女には適さないですよね?」
クロトは「聖女に相応しくない」と言質を取るため教皇に詰め寄る。
「そこまで」
頭上で声がしたので、顔を上げる。
ずいぶん高いところから深い青の双眸がクロトを見下ろしていた。
第二王子殿下――グリズリッド・ロベス・サフィアーノだ。
琥珀色の髪が光を受けてきらきらと輝く。
女性のように整った顔立ちだが、恵まれた体躯と鋭い青の瞳が、決して彼を弱々しくは見せなかった。
「第二王子殿下……!」
涙ぐんだ教皇は、殿下の背中の影に隠れてしまった。
「聖なる乙女を選出する儀式の最中、火花を散らせて教皇を脅すとは不敬の極みだな」
随分色気のある笑い方をする。
不適でいて、余裕がある。
「そんなに魔導士として生きたいのか?」
彼の問いにクロトは頷く。
「性に合っているというだけです」
彼は満足そうに微笑んだ。
「確かに、その鉄面皮みたいな顔は魔導士そのものだ。聖女らしくはない」
まっすぐにクロトの目を見つめる。
その深い青が突き刺さるように鮮やかに思えて、クロトは思わず目を逸らした。
「竜を倒しすぎて、『竜狩りの最高位』と呼ばれていると聞く」
微笑んでいるのに、そうでない何かを感じる。
「そんな物騒な女が、こんなに美しいとは思わなかった」
俯いたクロトを追い詰めるかのように、背の高い殿下は腰を折り、よく響く低い声で囁いた。
「気に入ったぞ、クロト・クロンクヴィスト」
耳元に吐息をかけられ、思わず肌の表面が泡立ち、背筋に悪寒が走る。
「……さすが放蕩王子と呼ばれるだけはありますね」
反射的に距離を取るために左足を引いたクロトを、殿下は逃さない。
距離は再び縮まり、今度はまた正面から見つめられる。
「話しにくいので離れていただけませんか」
負けじと深い青の瞳を睨む。
ほんの一瞬、殿下は目を細めた。
その青のあまりの冷たさに内心たじろいだが、隠すようにまた殿下は微笑んだ。
「眉ひとつ動かさないとは、なかなか肝が座っている」
高らかな声で、周りの人に聞こえるように言うと、殿下は振り返り、優雅な所作で国王陛下に礼を送る。
「陛下。この魔導士、私に貸してください」
陛下は、グリズリッド殿下と同じ色の瞳を細めて頷く。
サフィアーノ王家は、青い宝玉を思わせる瞳を持って生まれるという。
深い群青の瞳は王族の証だ。
「黒魔導士討伐に連れていくといい」
頷く陛下の言葉に、クロトはぎょっと目を剥く。
「クロト・クロンクヴィスト」
陛下に名を呼ばれ、クロトは姿勢を正す。
グリズリッド殿下のよく響く声は、陛下譲りの様だ。
「第二王子グリズリッドに随行し、黒魔導士討伐ならびに王子の護衛を命ずる」
「仰せのままに、陛下」
クロトは国王陛下に魔導士の礼を送った。




