私を二番目に選ぶ婚約者に、三度目の機会はありません。
「エレノア、君なら分かってくれるだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、私は不思議なほど冷静になった。
王立穀倉改革委員会の会議場。
長いテーブルの向こうには、王宮の官僚や貴族たちが並んでいる。
そして、その中央には私の婚約者であるアルヴィン・グランフォード公爵令息が座っていた。
彼の隣には、淡い桃色のドレスを着た女性がいる。
リディア・ベル。
アルヴィンの幼馴染で、彼が昔から何かと世話を焼いている女性だ。
「今回の食料支援計画は、リディア嬢の発案によるものです。彼女の慈善活動を通じて、多くの領民を救えるでしょう」
アルヴィンは満足そうに説明した。
リディアも少し恥ずかしそうに微笑んでいる。
「まだまだ勉強中ですけれど、少しでも皆様のお役に立てたらと思いまして」
会議場から拍手が起きた。
私はその様子を見つめながら、手元の資料を閉じた。
その計画書には、見覚えがあった。
三年間、私が考え続けてきた王立穀倉制度の改革案。
地域ごとの備蓄量、輸送経路の分散、冬季の保管方法。
それらが、ほとんど同じ形で記載されていた。
ただし、一つだけ違うことがある。
私の計画書には、北部の冬季輸送に関する危険性と、その対策が記載されている。
リディアの計画書には、それがなかった。
「エレノア嬢。何かご意見が?」
議長から声をかけられ、私は立ち上がった。
「一つ確認させてください。こちらの輸送計画についてですが、冬季に北部の街道が閉鎖された場合、どのように対応する予定でしょうか」
リディアが少し困ったような顔をする。
「それは……そのときに考えればよいのではないでしょうか?」
「食料は、必要になってから準備できるものではありません」
私は静かに答えた。
「北部の主要街道は、過去十年間で平均して四十三日間、積雪による通行制限が発生しています。その期間に中央の倉庫から食料を運ぶことは困難です。そのため、事前に各地域へ備蓄を分散させる必要があります」
「ですが、そこまで複雑に考える必要はないでしょう。リディア嬢の計画でも十分に対応できるはずです」
アルヴィンが口を挟んだ。
私は彼を見た。
「アルヴィン様。これは慈善活動ではありません。王国全体の食料供給に関わる計画です」
「分かっている。だが、リディアも一生懸命考えたんだ。最初から否定する必要はないだろう」
「否定しているのではありません。必要な対策が抜けていると申し上げているのです」
リディアは困ったように視線を落とした。
「申し訳ありません。私の勉強不足でした。でも、エレノア様の資料を参考にさせていただいた部分もありますので……」
その言葉に、私は目を細めた。
参考にした。
確かに、私の資料を参考にすれば、同じ数字や文章が出てくることもあるだろう。
しかし、今回の計画には、私が独自に考案した倉庫の配置図まで使われていた。
さらに、私の草稿にしか存在しない古い地名の誤記まで残っている。
偶然の一致では説明できない。
「参考にされたのですね」
「はい。以前、アルヴィン様に少しだけ見せていただいた資料があったので」
私はアルヴィンを見る。
彼は一瞬だけ視線をそらした。
「エレノア。君の計画はすでに完成しているだろう。今回はリディアにも経験を積ませてやりたいんだ」
「私の資料を渡したのですか?」
「必要な部分を参考にしただけだ」
必要な部分。
三年間の研究も、何度も繰り返した試験も、現地の商人たちと交わした契約も。
彼にとっては、必要な部分を抜き出せば済む程度のものだったらしい。
私はゆっくりと息を吐いた。
これが初めてなら、私は彼と話し合っただろう。
二度目なら、もう一度信じようとしたかもしれない。
しかし、今回は違う。
「では、もう一つ確認させてください」
私は自分の資料を取り出した。
「こちらが三年前に提出した原案です。こちらが一年前の修正版。そして、こちらが先月完成した最終案です」
三冊の資料を机に置く。
「それぞれに日付と記録が残っています。今回のリディア嬢の計画には、私が三年前に試験的に採用し、その後に修正した旧式の輸送経路が使われています」
会議場が静かになった。
「なぜなら、この経路には冬季の通行不能区間があるからです。実際、昨年の試験では輸送が予定より十二日遅れています。その記録もここにあります」
議長が資料を手に取る。
何人かの官僚が互いに顔を見合わせた。
「つまり、リディア嬢の計画は、エレノア嬢の古い草案をもとに作成されたということか?」
「はい。少なくとも、私がこれまで提出した資料と一致する部分が多数あります」
リディアの顔から笑みが消える。
「そんなつもりでは……」
アルヴィンが立ち上がった。
「待ってくれ。リディアに悪意はない。彼女はただ、国民のために何かしたかっただけだ」
そして彼は、私を見た。
「エレノア。君の管理体制にも改善すべき点があったのではないか? だからこそ、今回のような問題が起きたのかもしれない」
その言葉で、私の中に残っていた何かが、音もなく消えた。
彼は今、私の仕事を守るどころか、私に責任を押しつけようとしている。
私は胸元に手を伸ばした。
そこには、アルヴィンから贈られた婚約指輪がある。
三年前、彼は私に言った。
一生、君を大切にすると。
私は指輪を外し、机の上に置いた。
小さな音が、静まり返った会議場に響く。
「アルヴィン様」
「……何だ?」
「婚約を解消してください」
彼の表情が固まった。
「何を言っているんだ?」
「聞こえませんでしたか? 私たちの婚約を解消していただきたいのです」
「落ち着いてくれ。こんな大勢の前でする話ではない」
「そうですね。ですが、私は今まで何度も二人で話そうとしてきました」
「エレノア……」
「一度目も、二度目も、あなたは私に約束しました」
私は彼を見つめた。
「次は必ず私を選ぶと」
アルヴィンは何も言わない。
「これが三度目です。私を二番目に選ぶあなたに、三度目の機会はありません」
そして私は、彼に背を向けた。
背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
けれど、もう振り返る理由はなかった。




