あなたは
今回は少し早い時間帯です
レミリアさんが病院を抜け出した。
その報を受けた僕は圭に電話をしてから病院に近づいた……けれど、中に入ることはしなかった。だって中に入ったら面倒なことになりかねないと思ったから。どうせ行ってもいないしね。
ひとまず飛び出したけど、圭から居場所の連絡が来ない限り動くことが出来ないので近くの公園へ移動して空を眺める。
春分の日は迎えたけれど、未だに夜の方が長い。なのでこの時間になると空は暗くなっている。夕日は沈み始めた頃で、月は綺麗に見え始めるころだ。星もね。まぁ現在雲が多いからそれほどはっきり見えるわけじゃないけど。
「勢いで来たけど、見つけたとして僕はどうしたらいいんだろう……?」
おそらくレミリアさんは男性不信、はっきり言うと男性恐怖症に罹りかけていることが推測される。あんな状態――洗脳で嫌いな人と付き合った状態――から戻ったらそれぐらい難くないと思う。極端に言えば自殺してもおかしくないだろうし。彼女なら。まぁそこまで知ってるわけじゃないから想像だけど。
なので、正直それなりに一緒にいた僕でさえ彼女にとって敵だ。彼女がどういう内容で洗脳を受けたのか知らないしどうでもいいけど(内容次第ではどうでも良くないけど)、見つけたとして近づけない・声もかけられない・何かしようとするたびに彼女が追い詰められ、次第には魔力が暴走するのかどうか知らないけど、制御できずに魔法が直撃して死ぬ可能性だってある。ほぼ八方塞がりだ。
基本的にそういう人――PTSD(心的外傷後ストレス障害)になりかけている人、なってしまった人に対する処方はその人のすべてを肯定的にとって接したり、気を紛らわせるものを見つけてもらったりと、基本的にネガティブな考えに陥らせないようにすることしかない。僕はもう手遅れ……というかそういうものかどうかわからないけど、結構根気もいるし気を遣う。
僕なんて下手すると彼女の心を追い詰めかねないので迂闊な発言が出来ない。ただでさえ姉さんの心を弱体化させたのだ(多分、僕が)。下手すると彼女の死なせかねない。それは絶対にダメだ。
「……とはいえ、彼女をなだめる必要性がある以上、会話は避けられないんだけど…」
彼女がどこで動きを止めるか分からない以上、待ち一択しかない。最悪圭から連絡を受けて移動中に離れたなんて鼬ごっこをする可能性は高いけど、そこはまぁ仕方がない。彼女に非はない。
……思い出したらまた心の中に溜まってきた。やばいな。これ以上溜めて家族に八つ当たり気味になったら本当に家族が離散しそうだ。まずいまずい。
大きく息を吐く。そして目を瞑り、考える。
圭がレミリアさんが動きを止めた場所を教えてくれるだろう。僕はそうなるまで下手に行動する必要がない。夕食を食べる必要はあるけれど、彼女と対峙してからの行動次第ではそこで食べても良いかもしれない……なんかこれに近いもの、神話にあったような……なんだっけ。引き籠った神様を引っ張り出すために周りで盛り上げてってやつだったかな? 正確に覚えてないけど。
でも、この状況じゃそれってあんまり意味はないよな……目的は彼女を連れ戻すこと。ただし、僕が向かう以上、彼女が抱えることになってしまったものをある程度軽減させなくてはならないのは最低条件だ。そうじゃなきゃ、彼女が言うことを聞いてくれないだろうし。
いや、実力行使で眠らせて病院へっていう手段も考えたけど、それは悪手だと気づいたから却下した。これ以上彼女を刺激して悪化させるなんて人として道を踏み外してる。
依存対象を作るという方法もあるんだろうけど、僕としては否定。あまりのめり込み過ぎてそれがないとなんて状況に陥っての悪循環になりかねないのだから。あくまで僕の意見ではね。
そうなると従来の方法――彼女のそれすらも肯定的にみてあげて自分で受け入れてもらう方向へ促すんだけど……これ、明らかにカウンセラーの人がやるべき仕事だ。一介の高校生がやるには荷が重すぎる。ふざけると声を大にしたいけれど、誰も聞いてくれるわけがないし代わりにしてもらいたいかというと、そうでもない。任された以上、投げ出そうという気はそうそうないから。
だから両親がダメ人間に堕落したのかなと結論付けた僕は、目を開けてから携帯電話を取り出して時間を確認する……5時だ。姉さんから電話が来てる。
折り返す気が起きない僕は立ち上がって腕を伸ばし、帰って待つのも面倒だったので近くのレストランとか、ファーストフード店で済ませようと探すことにした。
結局いつも通りコンビニで夕食を買った僕は、なんで外食しようと思えないんだろうと首を傾げながらも店を出る。
完全に夜空。闇を照らす街灯や店の明かりのおかげでこの曇り空でも先が見えるけど、見づらい。
食べながら移動するなんてせずにここら辺でレミリアさんと会わないかなぁと淡い期待を抱きながら適当に歩いていると、携帯電話が振動したので取り出す。
来たのはメール。差出人は圭から。内容はレミリアさんが逃げた場所について。お金の請求とかはないのは、彼なりの友達に対する思いなのか、事件の後処理としての一環なのか。
まぁ分かったのはありがたいなぁと思いながら確認したところ、僕達が籠城した場所だった。
――あそこに縁があるんだけど、神様介入してないよね?
6時過ぎ。僕は最近頻繁に来ている教会のある場所に到着した。夕食はまだだ。姉さんからの電話も完全に無視している。心配症にでもなったのだろうか。今更過ぎるけど。
大まかな場所しか送られてこなかったので、そこまでしか分からなかった……ということにしてるのだろう。まぁ、そこに関して特にいうこともないけれど。
桜が散り始めている。本物であることの証明なのか、はたまた現実に神様の力が干渉した結果急速に失われていく副作用的なものなのか。そんな考察も楽しそうだ。今日のような状況じゃなければ。
少し寒い。けれど、それだけだ。痛みも、苛立ちも、焦燥も、この場で感じれる可能性がある負の想いを全く感じないのだから。
「ま、僕があまりにも機微に関する感覚が麻痺してる可能性もあるけども」
小さく漏らし苦笑する。そして深呼吸をして、教会に近づく。
教会の入り口まで来た僕は、『彼女』の姿を見た。
『彼女』は本能なのか十字架の前に座り込んでいた。膝を抱え、背中を丸め、全身を震わせて、ただただ自分から生れたものに耐えているかのように。
その姿は捨てられた子猫のよう。雨に打たれながら、屋根のない段ボール箱に捨てられ啼いて助けを求める姿に酷似していた。直面したことないけれど、そんなイメージと重なった。
ここで僕は直感した。これ以上近づくことは無理だと。ここが現在の『彼女』が定めているであろう他人との心の距離なのだろうと。
おそらくマリアさんのおかげなのだろう。ここは彼女のテリトリーだ(放棄されたとしても)。彼女なりの配慮というものをしてくれたと考えられる。
心の中で感謝をして、僕は入り口の壁に背中を預け座り込む。
携帯電話の電源は流石に切った。入れたら姉さんからの電話が凄いことになっているんだろうけど、父さんちゃんと説明してくれなかったのかな?
どうせ学校が休みなので持久戦は上等。『彼女』が風邪をひいたらさすがに病院へ連絡だけど、果たしてどの位かかるのだろうか。
ぼんやり考えて空を眺めながら、買ってきたパンを静かに食べる。他に誰かいることを勘付かれたくないのだから。
『彼女』の心境を表すような曇り空。夜空の雲というのは不気味なもので、月や星を隠して目印となるものを消していく。まるで闇に堕ちた心を助けるためのとっかかりがない状態を表してる気がする。
ま、そうやって結びつけるのは僕達の特権なのか弊害なのか。自分がその最たる例なので思わず顔をしかめてしまう。
……ま、まぁ、それほどひどくはないし?
なんて強がりを入れてみる……空しい。
まだそれほど時間も経っていない。長期戦覚悟しないとなぁとぼんやり思っていたけれど、待ち時間の間に行動が制限されると拷問にも似た苦痛を受けている気がする。自分で選んだ行動だからどうこうできるわけじゃないんだけど。
まぁ思考で時間を潰そうかなと思いながら食後のコーヒーを飲もうとしたのが失敗だった。
カシュッ。
「!」
あ。何気なくプルタブを開けてしまったため、音が普通に出た。で、『彼女』がそれに気付いたようだ。見てはいないけど、勢いよく立ち上がった時に地面をこすった音が聞こえたから。それが聞こえなきゃプルタブを開ける音も聞こえないし。
さてどうしよう。慌てるはずの場面だけど冷静な僕は静かに壁伝いに移動し、隠れる。ガラスのない窓からでも見つからないように……なんて難しいから、とりあえず『彼女』が入り口を確認する迄しのげるように。
ヒタ、ヒタ、と足音が聞こえる。その間僕は息を殺す。気配を消す。音がしたのは入り口だから、入り口だけ確認したら戻るだろうと。そう進行方向を推測できたから、幾分安心していた。
……だから、『彼女の性質』を忘れていた。
『彼女』は、魔術師だったのだ。
「だ……れ……」
掠れた声で、生気のない声で呟きながら歩いていく『彼女』。その方向が、迷いなく僕が居る窓側の方に気付いて、今更ながらに思い出す。『彼女』の分類を。自己申告された内容を。初めに考慮していた可能性を。
緊張で汗が流れる。心臓の鼓動が早くなる。初歩的なミスに頭が痛くなる。
僕は切り替えるために静かに入り口に戻る。おそらく、彼女がというより魔術師の人達が分かる何かで人のいる方へ来ている。それさえわかれば、リカバリーはできる……はず。
とはいえ最善のパターンから一気に最悪一歩手前まで転落した気分だ。もうこの時点で『待ち続けて心を開かせる』なんてできない。多少の怪我で済めば御の字の世界に入る。僕がね。
息を吐いて確かめる。自分の中で切り替わったか。『彼女』の気持ちを引っ張り上げるための礎になる準備と覚悟はあるか、と。
――――ああ、いいさ。やってやるよ。腹は括った。
そして僕は、『彼女』と対面した。




