救心の戦
覚悟は決めた。腹は括った。ならもう、堂々としていよう。
そう決めた僕はこそこそするのをやめ、入り口の壁にレジ袋を置いてから入り口に立つ。それは必然的に『彼女』との対面を意味する。
彼女は、もうすぐ入り口を出るところまで来ていた。
僕は何も言わない。ただ、堂々と、それでいて自然体に佇むだけ。おそらくこの時点で無傷は無理だろうと思いながら。
逃げた理由は見当をつけるぐらいしかない。ただ、僕が蒸発する前までの状況証拠だけの推論で考えるなら、先に述べたように男性恐怖症になり始めようとしているに違いない。だからこの行為の時点で、僕が彼女の反射的拒絶行為で怪我をする可能性はかなり高い。
『彼女』の動きが止まり、明らかに動揺が走る。「あ、あ……」と漏らしながら顔を震わせ――遂に来た。
「い、イヤァァァァッァァ!!」
「!」
目を瞑り、両手を突き出してきた『彼女』から不可視の一撃が飛んできて僕は声も出さずに吹き飛ぶ。ここで下手に声を出して状況を正しく理解させてしまった場合、精神崩壊が加速する恐れがあるから。
僕は敵だと認識させたままにしておく。絶対冷静になった『彼女』にばれるけど、そんなのは些末事だ。冷静になるまでの道のりが肝心なのだ。
下手な刺激を加えずに、あくまで自発的に冷静になってもらうか。
それとも。
突発的に冷静になってしまうか。
後者の可能性を限りなくゼロにしないことには安心なんてとても言えない。
小さくせき込みながら、受けたダメージを無視して何とか立ち上がる。でも正直やせ我慢で、もう一発なんて言ったら間違いなく病院送りになる。僕が。
風かなんかで吹き飛ばされたんだろうけど、威力が庄一に殴られた時より痛い。全身というより鳩尾に叩き込まれたからか、余計に。
まぁそうやって何とか立ち上がって『彼女』の方へ視線を向けると、その場でしゃがみ、頭を抱えて震えていた。
一体何をどうやったらあのバカはここまで追い詰めることが出来たのだろうか。胸糞悪いを通り越して呆れてものが言えないあいつの行動の反動を受けた『彼女』に対し、尚も言わずに大きく深呼吸して座り込む。正直立っているのがつらかったから。
自分の回復を優先する形になったなぁと思いながら座り込んで視線を空へ移す。
相変わらずの曇り空。一時間そこらで変わるほど風も強くないから、今日はこのままだろう。
……彼女が何に怯えて、何を呟いているのか分からない。そりゃそうだ。離れた相手の声が聞こえるほど、僕の聴力は良くない。読唇術も使えないし。
ひとまずの小休止。そう考えた僕は空を眺めたまま今一度定義をする。自分の中で、「救う」の定義を。
救う。言葉にすれば簡単だ。意味も分かり易い。ただ、それだけに難しい。
僕の中の定義は『自ら向き合うことが難しい事象に対し、その人自身が向き合い、乗り越えられる手助けをすること』だ。他者が解決するのでは意味がない。当人のわだかまりを自身で解消させる手伝いをすることが僕にとっての「救う」なのだ。
だから今回の状況を当てはめると、彼女が味わった洗脳後の記憶から生じた自己矛盾による葛藤および自己否定による精神不安定に陥ったことを回復させる手伝いをするのが僕にとってのそれだ。
とはいっても元みたいに特別の力なんてない。だから言葉や態度でしかできない。力と力の衝突による和解なんてバトル漫画の主人公みたいな行動は、絶対に出来ない。したくもないし。
所詮力は力。分かり易いというだけだ。
カウンセラーはそんな分かり易い力を使わない。言葉と雰囲気で、患者の気持ちを快方へ向かわせる。それに憧れたわけじゃないけれど、それ以外に僕は知らないから。
改めて自分の中に沈める。おそらく、誰にも言わないであろう自分の決め事として。
再確認できたので視線を戻す。『彼女』の状態は変わっていなかった。
その姿を見て、脳を自分が思っているフルスピードで回して考える。この状況から『彼女』を「救う」ために必要なきっかけを。
推論でしかない彼女の精神状態……それは多分細かな違いは有れど大まかな間違いはないと仮定しよう。突然現れて吹き飛ばされるなんて反射的な反応としてありえなくはないけど、そこはまぁ無視だ無視。
自分のダメージはもう無視する。肉体的ダメージなんて時間経過で消える。けれど心の傷は、時間経過でも完全には消えない。一度フラッシュバックすれば、どうしようもない。特に、思春期で負った傷というのは。
大人になっても子供の頃に怖かったものが苦手というのはそういうことだ。克服するには踏み出す必要が必ずあるけど、世間体が邪魔するのか大人になるとやる人が少ないらしい。僕の親が代表的だ。
そうさせないために僕は今ここで頑張る必要がある。こんな体当たりなんて本職からすれば驚きだろうけど、今回はこうなる方向でしか解決できそうになかった。
できればこの痛みだけで勘弁してほしいなぁとわき道にそれた思考を戻すためにさらに没頭する。
……焦点はどこだ。『彼女』が自己矛盾を抱えなくてはいけなくなった焦点と、その矛盾の内容を。洗え洗え洗い出せ。自分の考えをつなぎ合わせて『彼女』の現状を理解しろ。
こめかみが痛くなる。脳を追い込み始めた証拠だ。このまま続けたら僕は気絶するだろう。
でも構わない。気絶したところを彼女が見てどう考えるか考慮できないけど、それでも。
・・・・・・・・・・・・・。
…………。
……見つけた。
視界がくらみ、頭痛が激しい中、推論と仮定と状況証拠だけしか存在しない『彼女』の自己矛盾を恐らく解けるきっかけを。
多分『彼女』の中では「最初に付き合うなら心から好きな人と」というルールが存在している。それを踏みにじられたことを平気な顔でいたことに対してが一つ。
もう一つが、拒絶にも等しい奴に対して洗脳でも「好意」を抱いたことに対する自己嫌悪。この二つが大本だろう。
そこまで見つけた僕は自然と地面に転がる。集中しすぎたせいで脳が酸素を欲し、呼吸が荒い。
多少の倦怠感に苛まれながら糸口を何とか見つけられたと考え、ゆっくりと呼吸を繰り返しながらその前提条件をもとに最初に掛ける言葉を考える。
何事も最初が肝心だ。会社や学校と言った集団行動を伴う場所では第一印象が大事だと言われているように、リカバリーできるだろうけど最初は肝心だ。
特にこういった人たちに接する時は。僕自身が通り過ぎた道で、小学生の僕側からしたら周りの連中の印象は最低だった。それは、向こうも同じだろう。どうにかしようと考えない限り、第一印象はそのまま続いてしまう。
ここではいまだに蹲っている『彼女』に対する言葉の掛け方で、この場での向こう側の対応が変わる。この場で収めたいのなら、最初が肝心なのだ。
となると……曇り空を眺めながら、大の字になって考える。
いきなり結論を言うのはアウト。励ます形で突き放す言い方もしてもアウト。おそらく『彼女』に切っ掛けを掴めさせるには前提条件を絡めた上で優しい言葉――依存対象にならない程度――を投げかけるのが良いのだろう。そしてその役目は『僕』――池田連以外にあり得ない。
彼女が洗脳されていた内容次第でそれも逆効果のような気がする。信じられないのなら、『彼女』に『僕』の言葉は届かない。自己の証明をしたところで馬の耳に念仏。一蹴されて終わりになるのは想像に難くない。
思わず唇をかむ。可能性の波を泳いでいたけど突如として壁に激突し、結局はプールという檻にいることに気付くようで悔しくて。
あーくっそ。どんな言葉が良いのか思いつかない。どういった言葉を言えばいいのかなんて。
空に向かって叫びたかった僕は勢いよく体を起こす。そして何とか背中やズボンの砂埃を払い、真剣な表情で教会へ向かう。
どうせ考えても答えが出ないんだ。ならもう、直接語る以外に方法が思いつかないんだし、そうやる他ない。
とりあえず入り口まで近づく。レジ袋の中身は無事だったようで、僕は飲みかけのコーヒーを一気に飲んでから入り口の外側ギリギリでしゃがみ、『彼女』に語りかけた。
「やぁ。大丈夫じゃ……なさそうだね」
「……………」
反応はない。まぁ想定内だ。とりあえず様子見といこう。当初の通りに。
長期戦という覚悟を決めていた僕はそれから喋らずに彼女を待つ。ただひたすらに。
植物状態になった人を待つ人や意識不明になった人、引き籠った人を待つ心境とはこういうものなのだろうかと考えていると、次第に細い声が聞こえてくるようになった。
ごめんなさい。いや。こないで。
悲しみに満ちたその声に僕は背を向ける。其の叫びは遮ってはいけないと思ったから。
携帯電話を切ったので時間が不明。だけど最初に来た時と比べ、それなりに時間が経っていると考えられる。『彼女』にもらった痛みが引いてきたからね。
フクロウの声が響く。夜も深まってきた証拠なのだろう。だけど僕の後ろからする気配の主は変わっていない。
……もう少し、話すか。
「久し振りの外は……って違うな。これじゃない。圧倒的にこれじゃない……辛い?」
って、ド直球で聞くなよ僕! 何やってるんだ!!
思わず壁に頭を打ち付けたい自分の発言に対して頭を抱えていると、ついに反応が返ってきた。
「……レ、ン…?」
「あ、あーうん。そう」
怖がらなくていいとかは口が裂けても言えない。彼女の心境から考えると場違いなセリフだし。
まぁ少しは進展があったし、根気よく行けば何とかなるね。このまま順調に行けば。
そんなことを思いながら続く『彼女』の言葉を待っていると、「どう、し」とかすれた声で訊いてきた。で、良いんだよね? 「どうして?」で合ってるよね?
何の確認なんだろうと思いながら「心配だったから、だよ」と答える。当たり前のことだけど、口にしないと伝わらないし。こちらの理由の大本はそこだしね。
「わ……し、…ん…か……」
さぁ連想ゲーム第二弾だ。流石にここの回答間違えたらかっこ悪いぞ~。
なんて脳内でプレッシャーをかけて一番に思い付いた言葉は「私なんかを?」かな。自信はないけど、彼女ならいいそうだ。
「……そう卑下するものじゃないと思うけど? 僕は普通だけどさ、レミリアさんは魅力的な人だよ。まわ、ちゃんと伝わってるから、ね?」
っぶなぁ。地雷踏みそうになった。いや地雷ではないのかもしれないけど。ぼかすにしてもちゃんと相手の負担にならない方にしないと。
「……な……、……す」
あかん。段々聞こえなくなってきた。ここで訊き返すと面倒だ。本当に。
なんでギャンブルみたいになってくるんだ全くもう! と天を仰ぎながら、必死に考えて考えて……勢いのままつい言った。
「頑張ろう! 君が頑張っているその姿を見ていると僕も頑張れるって思えてくるんだ! だから、頑張ろうよ! 色々あったけどさ、それも経験だって……なんて言えるわけないよねごめん!! ああ言葉が出てこない! 君みたいに綺麗で可愛いい魅力的な女性に俯いてほしくないってだけなのにってバカぁ!」
余計なこと口走り過ぎてこの場から逃げ出したくなる。と同時に、思い付きは僕に合わないんだなって実感する。いやまぁ、嵌るときは嵌るんだろうけどさ、こういったメンタルカウンセリングとかは絶対に無理……とはいいがたいけど、難しそうだ。
ある程度自分の中の恥ずかしさを消せた僕は振り返ろうとしたところ、背中に手が触れた。
「え?」
弱々しく、それでいて割れ物にでも触るかのような繊細な感じで、『彼女』が僕に触れてきたようだ。いきなりの行動に僕は内心混乱しながら黙って成り行きに任せようと思いいたっていると、今度は背中にしがみつかれた。
「!!」
完全に動揺する。な、なんというか、『彼女』の吐息が背中から感じて……変な気分になる。
「……です。ほんとう、に……」
僕は空を見上げたまま。もうこうなったら『彼女』――レミリアさんの行動に全てを委ねよう。それで彼女を「救う」ことができるなら、安いものだ。
「……ン……レ…ン…………レン、レン!」
「……聞こえてるよ、レミリアさん」
包み込むように言えたら最高なんだろうけど、僕にそんな技術はないので静かに、優しく聞こえるようにゆっくりと返事をした。
レミリアさんは、僕の背中に顔を埋めたまま泣き出した。




