3-1 ぬくもり
泣きすぎてぐちゃぐちゃになった顔をシンクで洗う。
水を止め、顔をあげると横からハンカチが差し出された。
「ありがとうございます。」
「いーや、こんなもんしかないけどな」
男は律儀にも返答する。腕を組み、長身を壁にもたれさせた男の顔は先ほどまでの怜悧な容貌とは打って変わってとても優しい。
真っ白なハンカチを受け取り、その綺麗な刺繍を見て、顔を拭って良いものか逡巡した。
もし私がこのハンカチを使ったら、汚してしまう。ならいっそ、使わずにこのまま返した方がいいのではないか。
「あの、大丈夫です。どうせ放っておけば乾くので。」
ハンカチを男に差し出す。男は腕を組んだまま動かない。
「拭えって。それはお前にやる。お前、名前は?」
「名前、光希です。 光る希望と書いて、光希。」
ハンカチをギュッと握りしめ答える。
「光希。」
口の中で転がすように男がつぶやく。
名前を呼ばれ、私ははたと喉の渇きを自覚した。ごくっと唾を飲み、なけなしの唾で喉を潤す。
きっと泣きすぎたから。
「来いよ。」
そう言った男はコートを羽織って玄関へと向かい、黒の革靴を履く。私はハンカチをポケットに押し込み、慌てて男に倣って自分の靴を履いた。
玄関ドアが開き、冷気が部屋に入ってくる。男と私は外に出る。鍵もかけぬまま、男は通りに向かって歩き始めた。
凍えるような寒さに耐えつつ、男の後を追う。ほんのわずか、まだ身体の深部に温もりが残っているうちに、男は足を止め、こちらを振り向く。美しい顔のその白い頬がほんのり赤く色づいていて、ああ、この人も寒さを感じるのだなぁ、とぼーっとした頭で思った。
「なにを飲みたい。」
見ると、男の目の前には自動販売機があった。真っ暗な中で煌々と光輝くその機械に私は圧倒される。コンビニですらなにも買ったことがないのに、自動販売機でなんてもっとなにも買ったことがない。
「あの、おみずがいいです。あの100円の。」
左上を指しながら私は答える。
男は財布を取り出し、紙幣を自動販売機へと入れる。私が示した水のボタンを一回押し、さらにもう二回押した。加えて、暖かくて甘いレモン飲料のボタンも押す。
計四本、ペットボトルが転がり出てくる音がした。自分が触っていいものかわからず戸惑う私を尻目に、男はお釣りを取り、財布へしまうと、ペットボトルを2本取り出して私に差し出した。
水の冷たさに一瞬ぶるっと震えたが、もう一方のレモンの描かれたペットボトルはとても温かい。思わず両手で包み込み、右頬に近づけて暖をとった。
空いた左頬に男の手が這わされる。その冷たさにビクッと震えたが、その手は一瞬で離された。
「帰るぞ。」
歩き始める男を追い、私もまた足を進めた。帰り道は、ほんの少し、暖かかった。




