傷跡
朝の光がカーテンの隙間から細く差し込む中、俺はベッドの上で体を起こした。
腹の奥が重く疼く。
やっぱいてーな…。
鏡に映る自分の姿は、昨日の出来事をそのまま刻みつけていた気がして、引き締めるように顔をパンと叩いた。
すると、その様子を見ていた菫が心配そうに覗き込んでくる。
「…何してんの?」
「いや、何も…」
「…変なの」
気合を入れて、制服に袖を通した。
痛みは波のように引いては寄せ、息をするたびに胸の奥が軋むが、唯さんには絶対に知られてはいけない。
あの笑顔を曇らせることなど、俺には耐えられなかった。
そうして、家を出ると唯さんが待っていた。
「びっくりした…」
「ふふーん?暇だから来てやったぞ」と、ピースしてくる。
「それはそれは…ご足労ありがとうございます」
相変わらず黒髪のロングが朝風に静かに揺れ、制服のラインが彼女の体を優しく包んでいる姿は美しかった。
「改めて、こうくん、おはよ」
「おはよう、唯さん」
その声は柔らかく、俺の心を一瞬だけ軽くした。
俺は笑顔を作り、声を明るく保った。
そんな登校中、前にあの先輩達が見えた。
思わず顔が引き攣り、足が止まる。
「こうくん?」
「ん?あっ、いや…ちょっと靴紐が…」と、適当に嘘をついて距離を取った。
それからは何とか誤魔化して教室まで辿り着いた。
それからは特に何もなく、昼休みは図書室の隅で、唯さんが用意してくれた弁当を並べた。
のり弁の香りが静かな空間に広がる。
唯さんは箸を動かしながら、時折俺の顔をじっと見つめてきた。
「なんか……今日、こうくん疲れてる?」
「え?あー…いや、ちょっと寝不足で」と、俺は即座に言い訳を並べ、話題を逸らした。
唯さんは頷きながらも、瞳の奥に小さな影が差したように見えた。
「それでね、おすすめされたアニメ見たんだけど、面白いなって!いやー、私アニメとか全然興味なかったんだけどね、あれはハマるのわかるわ。これで私もオタクの仲間入りかな?」
「そんなことをオタクに言ったらブチギレられるので気をつけてください」
「そうなの?オタクは怖いね」
「はい、オタクは怖いんです」
それから放課後、俺は一人で帰路につこうとしていた。
いつもの道は…また待ち伏せられてるかもだな。
遠回りして帰るか。
唯さんは「また委員会があるから」と別れを告げていた。
ああいうところは結構真面目である。
そして、5分ほど歩いたところで、後ろから足音が近づき、振り返ると唯さんが立っていた。
息を少し乱し、黒髪が額に張り付いている。
「ごめん!!なんか……こうくんが変だったから、ついてきちゃった…っ!」と、息を切らしていた。
「え?いや…そんなに変だったかな?」
「分かんないけど!っ…そんな気がしたから…」
それから2人で一緒に帰ることにした。
「…ていうか、なんであっちの道から帰ってたの?遠回りじゃない?私は一回家に帰ったらこうくんの家に行こうと思っていたからあれだけど…」
「あー、気分転換みたいな?」
「気分転換…ね」
それから家に入り、部屋のドアを開けた瞬間、後ろから抱きつかれた。
その瞬間、お腹ら辺を強く掴まれたことで、思わず「痛っ!!」と呟く。
「ご、ごめん!…って、痛い…って?」
「あっ…いや…」
「…何を隠してるの?…服…脱いで」と言われる。
もう誤魔化しは効かないかと、部屋に行き、制服を脱いで、Yシャツを捲る。
すると、腹にある大きな痣が露わになる。
唯さんの手が止まった。
「……これ……」
「き、昨日ちょっと喧嘩しちゃって…その…先輩と」
「…なんていう人…?」
「名前は知らない…。茶髪の人」
部屋に重い沈黙が落ちた。
唯さんの瞳がゆっくりと潤み、唇が引き結ばれる。
彼女は俺の体をベッドに横たえ、指先が痣の一つ一つをなぞるように触れ、冷たい感触が痛みを優しく覆う。
「私のせいだ……」
小さな呟きが、部屋の空気を切り裂いた。
唯さんの目から、涙が一筋、頰を伝った。
「ち、違う!ゆいさんのせいじゃ…ない」
「ごめん…ごめん…迷惑かけて…ごめん…ッ!!痛い思いをさせて…ごめん!!」
声が次第に大きくなり、嗚咽が混じる。
「お、俺は平気だから。いくら殴られても気にしないっていうか…」
「私は気にするよ!だって…私のせいだから」
彼女は俺の胸に額を押しつけ、肩を震わせた。
涙が俺の皮膚に落ち、熱く染み込む。
俺は唯さんの背中にそっと回した。
「唯さんのせいじゃない……俺が弱いだけだから。唯さんのそばにいるために俺は強くなるから」
言葉が自然と零れた。
「ごめん…ごめん!!」と、唯さんは顔を上げ、赤く腫れた目で俺を見つめた。
彼女の指が俺の頰を優しく撫でる。
「私…何でもするし…何も隠さないから…だから…もう、隠さないで?」
その声は低く、決意に満ちていた。
「私が守る。絶対に」
部屋の窓から、夕陽が静かに沈んでいく。
痛みはまだ体に残っていたが、唯さんの温もりが、それをゆっくりと溶かしていくようだった。




