第九十六話
「少し狭いが、中で話そう」
招かれるまま牛車に上がり、道雅様と向かい合わせに座った。
道雅様の目には隈があり、少しやつれられたように見える。
「道雅様ご本人もいらしてたのですね。上がってくだされば良かったのに」
「近江の顔を見る勇気がなくてな」
道雅様は申し訳なさそうな表情をされた。
「私を連れ出した件なら、先日、三条院でお会いした時に理由を説明してくださったじゃないですか。もうあの時から私は気にしていませんでしたよ。それに、私の方こそお邸に火を点けてしまってすみませんでした」
「ああ、塗籠だったから燃え広がる事はなく、すぐ消火できたようだよ。邸より近江に何もなくてほっとしたよ。わざわざ追いかけて来たのはその事か?」
「いえ、そうじゃないんです」
私は襟元から二通の文を取り出して見せた。
「これ、どういう事です? なぜ当子様あての文を私に?」
「近江から彼女に渡してもらえないかと、そなた宛の文に書いておいたがまだ読んでいないのか?」
「拝見しました。しかし、何故道雅様から直接渡されないのです?」
「受け取ってもらえないからそなたに託したのだよ」
道雅様は眉尻を下げて薄く笑った。
「受け取ってもらえない……って、ああ、当子様はまだ母后様のところに?」
上皇様の命で母后様の御所に連れていかれて、誰にも対面を許さず文すら通してもらえない――その状態がまだ続いているという事?
「私も先日会いに行きましたが、通してもらえませんでしたよ」
「今はそうだろうが、一生あのままという事はあるまい。院もそなたなら許されるのではないかと思ってな」
「確かに時間が経てば状況が変わるでしょうが、その頃には道雅様だってお会いできるのではないですか?」
「いや、私は……もう難しいだろう」
「なぜ……あ……」
道雅様が偶然当子様のお姿を垣間見し、それ以降、恋文を送られていたという話を思い出した。
「まさか……。密通の噂は事実――とか?」
道雅様は目を逸らして黙ってしまった。
いや、でも、あの時。牛車の中で、
――いいえ! 宮様は相手にされませんでした。
と、中将内侍様はきっぱりと否定された。
まさか、あれも当子様の面目を守るための演技だったとか? それとも、彼女も知らないうちに二人の間に何かあった?
「あの……下賤な言い方をしてしまい、失礼いたしました」
私が謝ると、道雅様はまた小さく微笑んだ。
「いや、事実はどうであれ……私があの御方に恋焦がれたのは間違いないよ」
その頬がほんのり赤く染まる。
道雅様は本当に当子様に恋をされたのだと確信し、少しドキッとした。
「しかし最後まで彼女の心には届かなかったけどな」
「……相愛ではなかったと?」
「彼女の頭の中は父院の復権の事でいっぱいだったからね。私の事は利用したいがためだと分かっていた。お側に寄らせてもらえるのなら、私はそれで良かった」
「でも道雅様は当子様達の計画に協力したわけではないのですよね?」
「ああ、彼女も小伊勢も世間を分かっていない。呪詛という手段で間接的に大殿に危害を与えるという方向性は定めていたようだが、具体的には何も決めていなかった。そこで私の意見を求められたわけだが、呪詛なんて行為を行う事自体が危険だと私はよく知っていたからね。思案中とごまかしながら諦める方向へ促すつもりでいたのだ。しかし最終的には遠ざけられてしまった」
「中将内侍さんに聞きました。道雅様は敵ではないけど味方でもない事に気付かれたと」
「その通りだ。逢瀬に来るだけで一向に協力しようとしない私に利用価値はないと見限ってしまわれたようでね」




