第九十二話
「身分違いの恋を母がしていたと聞いて、あなたはどう思われたのですか?」
「六条宮様はあきを非常に大事にしていたと聞き、あきが幸せならそれで良いと思ったのだ」
「あなたは母を……愛していたのではないですか?」
惟義はしばらく無言で顕成を見つめた後、そっと目を伏せた。
返事は帰ってこなかった。
「でも、それでどうして六条宮様ではなく道長様を狙うの?」
恐る恐る私も口を挟んだ。
惟義は目を開いて私を静かに見やる。
「六条宮様を恨む事はなかった。先程も申したが、どんな形であれ、あきが幸せであれば私はそれで良かったのだ。しかし年月が過ぎ――葵君を一人で出産したあきが亡くなった。それを聞いた私は千種殿に乗り込み、六条宮様を問い詰めに行ったのだ――
『なぜあきを一人にしたのですか? 相愛だと聞いていたのに!』
『彼女は突然行方知れずになったのだ。亡くなっただなんて何故だ! 一体何があったのだ?』
『あなたのお子を産んだ後、亡くなってしまったのですよ!』
『私の子? いやそんな事はありえない……』
六条宮様のそのご様子で私は理解した」
「な、何を理解したというの?」
「六条宮様とあきはそんな関係ではなかった――心を寄せ合っていただけなのだと」
そんな関係ではない……
つまり、六条宮様は顕成の父君ではないという事?
「では一体誰が……」
心臓がドクン、ドクンと大きく鳴り始めた。
「藤原道長。あいつが横恋慕していたのだ」
え……?
思わず顕成を見るとその顔は蒼白になっていた。
つまり、道長様が――顕成の本当の父君?
しばらくの間、沈黙が流れた。
――彼女の顔見たさに千種殿に通った事もある。
女装した顕成を見て、懐かしそうな顔をされていた道長様。
「それはつまり……道長様があきさんに恋心を抱き、お互いに愛し合っていた六条宮様とあきさんの間に、無理矢理割り込んだという事?」
惟義は横を向き、誰もいない前方を睨んだ。
「後で小伊勢に聞いたことだが、道長は二人の仲を裂いておきながら、しばらく経った後、あきを捨てたのだそうだ。その頃、あいつは政権を手にしたばかりで、地盤を固めるのに必死だった。あき以外の妾も全て、政治的に利用できない女を切っていった。あきはあきで、宮様の気持ちを裏切ってしまったから顔向けが出来ない、と千種殿を出て行った後のことだった」
「でも、六条宮様が父君だと名乗って顕成をご自分のお邸に引き取られたと聞いたけど……」
「あきの忘れ形見である、葵君を手元に置きたかったのだそうだ」
それほど、六条宮様はあきさんを深く愛していたという事――
顕成は両手を握りしめ、姿勢を正して口を開いた。
「僕は幼い頃の記憶があまりありませんが、六条宮様の事はかすかに覚えています。抱き上げてもらって笑い合ったり、勉学を教えてくださったり――温かな記憶が残っています。本当の父親が誰であれ、僕はその思い出で十分です。僕を出産してすぐに亡くなってしまった母のことは残念ですが、惟義さんが大殿をそこまで恨む気持ちが理解できません」
「出産してすぐに……と言っても、出産が原因で亡くなったわけではない」
惟義は鋭い目を更に尖らせて遠くを睨みつける。
「あきは葵君を小伊勢に預け、道長のところへ出産の報告をしに向かったのだ。しかし、面会すらしてもらえず、そのまま門の前で何時間も立ち続けた――出てくるのを待とうと思ったのだろう」
「それで会えたの?」
惟義は首を振った。
「春の冷たい雨が降る日だった。産後の弱った体で長時間雨に打たれたあきはその場で倒れた。そしてもう二度と目を覚まさなかったのだ……」
……
顕成の手が震えている。
「その後、道長がどんな人生を歩んで来たかはよく知っているだろう。栄華を極め今や頂点だ。一方、私の主人は失脚し、中関白家は没落した」




