第八十三話
私は急ぎ足で車宿まで戻り、待機していた牛飼童に、
「今度は土御門邸まで走ってくれる?」
と頼んで牛車に乗り込んだ。
「土御門邸って、道長様のところ? 一体どうしたの?」
中で待っていた顕成は当然驚いたようだ。
「中将内侍さんが潜入したらしいのよ」
「え? 中将内侍が何故?」
「理由は分からないけど、とにかく様子を見に行くようにと、上皇様からの命が下ったの。前近江守女からの正式な訪問として先駆まで出してくださったわ」
「なら行かざるを得ないんだね――今度は僕も中まで付き添う」
「え? どうして?」
「さっき戻ってくる君の姿を見て気づいたけど、まだその足、本調子じゃないよね?」
実は、膝に少し痛みが残っていて、時折ふらついていた。
「ゆっくり歩けば大丈夫よ」
「いや、介助と称して付き添う。足が心配というのは建前で、今度こそ心配というのが本音なんだよ。そばにいれば、いざという時に守れるから……」
守る――その言葉に少しときめきかけた。
しかし、正装した美しい女の人の口から発せられた台詞である事にちょっと笑ってしまう。
「何で笑うの? 僕は真剣に話してるのに」
拗ねたようなその表情も可愛らしい。
「ごめんごめん。顕成も一緒に入るのね、分かったわ」
そう言いながら、改めて女姿の顕成をじっと観察してみる。
元々色白だけど白粉で更に白く滑らかになった肌。
猫のような魅力的な眼差しに形の良い鼻。
紅を差した小さな唇に、顔の両側にひと房ずつ垂らした艶のある黒髪――こんなきれいな女の人、見たことないわ。
当子様もお綺麗だけど、彼女はまだあどけなさの残る可愛らしい感じで、顕成のこの美しさはまた系統が違う。
魂を引き寄せられるような、ずっと見ていたいような――
見とれてじーっと見つめていると、顕成は掌を私の顔の前に広げて目隠ししてきた。
「そんなに見ないでくれる? それはそうと、宮様の件は何か分かった?」
道雅様の事を思い出し、一気に気分が曇る。
顕成の手首をそっとつかんで離した。
「道雅様との密通の噂が上皇様の耳に入ったらしくて、かなり怒ってみえたわ」
「え。密通?」
「前にも女房達の間でそんな噂があったの」
「それが宮様の遷御の原因だったの?」
「はっきりとは分からない。話の途中で中将内侍さんが潜入した報告が入ったから」
「それでどうして君が行く事になったの?」
「ちょうど父上の除目の件について、道長様と話す機会が欲しかったと申し上げたのよ。ではそれを名目に訪問し土御門邸の様子を探ってくるようにという話になったの」
「それ、上皇様の命というより、月姫が現場に行きたいから話を誘導したように聞こえるけど……」
半分的を得ていて内心ぎくりとした。
「そそそんな事ないわよ」
顕成はため息をついて、
「もういいよ。君の気の済むようにすれば」
と諦めたかのような言い方をする。
「道雅様も同じような事言って見送ってくれたわ」
「道雅様? 中将様に会ったの?」
顕成の表情が一気に険しくなった。




