第八十二話
しかし、道雅様はざっと両手をつき、顔を伏せた。
「その節はすまなかった!」
周囲の女房達がざわざわし始める。
「誰だ? 騒がしいぞ」
御簾の内側から敦明様の声。
「三位中将道雅にございます。御前にて失礼致しました」
「道雅がどうしてここに?」
「私が呼んだのだ。道雅、入りなさい」
年配の男性の声が御簾の中から響いた。
御簾が上げられ、上皇様と敦明様の姿が目に入り、私は慌てて下を向いた。
「おや、見慣れぬ顔があるが新しい女房か?」
「いえ、彼女は当子の女房です。ええと名は……」
「近江と申します」
私は下を向いたまま女房名を告げた。
「近江?」
上皇様が驚いたような口調で繰り返す。
「小一条第で門前払いされていたところを、私が連れて来たのです。近江、あなたもこちらへ」
「は、はい」
私は顔を伏せながら、膝行の体勢で中へ入り御前へ寄った。
「近江とやら、おもてを上げなさい」
上皇様にそう言われ、檜扇を膝の上に乗せそっと顔を上げる。
「そなたが近江か」
私の方を眺められるが、その視線はぼんやりと宙を舞い、焦点は合っていなかった。
あ、そうか御目が――上皇様が今上に譲位された理由は眼病が酷くなった事が原因の一つだと聞いた事がある。
私は失礼にならないよう、首を少し下に向けて視線を外した。
「はい、私が当子様に仕えておりました近江と申します」
上皇様は突然、手にされていた笏をバンッと床に叩きつける。
私も隣に座っている道雅様もビクッと体を震わせた。
え? 何?
「そなたが道雅を手引きした女房だな?」
「てっ、手引き?」
私が面食らっていると、
「いえ、そうではないのです!」
と、即座に横から道雅様が声を上げた。
「近江は宮様の身を心配し、私に警護を依頼しただけなのです!」
「何故近衛府のそなたなのだ。検非違使や侍がいるであろう」
宇治から手紙でお願いしたあの時の話だ。
私からも説明しなくては――と思うものの、声が出てこない。
「侍では宮様のお部屋の傍まで上がれませんので」
「傍まで寄って何から守るというのだ。結果的に当子と通じただけであろう!」
上皇様はまた笏を叩きつけた。
当子様と――通じた――?
敦明様が大きな檜扇をバサバサッと開き、ゆっくりと顔を仰いだ。
「当子と道雅が密通したという事ですかな?」
落ち着いた口調で薄い笑みを浮かべ、伏せている道雅様を見下ろした。
道雅様は顔を上げて上皇様の方向を向く。
「近江に頼まれた時は本当に、純粋に、お守りするためにだけ通っておりました」
《《頼まれた時は》》?
道雅様の顔をのぞくと、見た事もないような真剣な表情だった。
「まさか、それで当子を母君のところへ閉じ込めたのですか?」
敦明様が冷静な口調で再度訊ねる。
「いや、それに関しては――」
「御前失礼致します!」
南庭側から慌しく誰かが叫んだ。
「上皇様の命で尾行しておりました命婦の中将内侍について、怪しい動きがあり報告致します。先程土御門邸に潜入するのを確認しました!」




