第六十五話
吉野は報告を続けた。
「宮様のお邸や周辺においては、特に異変はないようです、と言いたいのですが……」
「何かあったの?」
「実は……最近、秘かに通われている殿方がいると、宮家の女房の間で噂になっているようでして」
「殿方?」
「そのお相手がどうもあまり評判のよろしくないお方だそうです」
私は青くなった。
まさか――入内阻止のための強行手段として道長様が送ってきた相手なのでは?
「そのお相手、誰だか分かる?」
吉野に恐る恐ると訊ねる。
「三位中将様……って、姫様はご存知ですか?」
「あ、なんだ、道雅様かあ」
私はほっとして胸を撫で下ろした。
「あら、ご存知ですのね」
「その噂違うわ。だって私が頼んだのよ」
「え、姫様が? どういう事でしょう?」
「道雅様に当子様の周辺の警護の強化とかお願いしたのよ。知り合いの武官なんて他にいないし。道雅様自ら様子を見に行ってくれるとは思わなかったけど」
「まあ、そんな事でしたか。人の噂なんて、やっぱりアテになりませんわね」
「道雅様の悪評だってそうよ。いい人なんだから」
「随分と親しくなられたようですね。さすが宮家の女房ともなると、公達とのお付き合いが増えるのですね」
と吉野は羨ましそうな顔をした。
「いや、二日で戻ってきちゃってるんだから、全然そんなんじゃないわよ。道雅様とはたまたまね。上臈の公達にしては気楽なお方だから気が合うのは確かかな」
「あら嫌ですわ。私は顕成様の味方でしたが、姫様は既にそのお方にお心が?」
「え? あはは、そんなんじゃないわよ」
私は笑い飛ばした。
ひとまず当子様はご無事なようだと分かり安心した。
しばらくは道雅様が周囲を守ってくださる筈だ。
当子様は正式に入内の話がきても断るだろうから、道長様に目をつけられる事もなくなるだろう。
少しほっとしたら、急に寒気を感じてぶるっと震えた。
熱がまた上がりそうだ。
倦怠感もあり、私はまた眠りについた。
その後、熱は下がったものの、咳と倦怠感が何日も続いた。
半月ばかり過ぎた頃にやっとそれらの症状もなくなり回復した。
ある日、兄上の子の鞠子姫と庭で遊んでいると、当子様から文が届いた――
「あ、つきひめ。見て。雪」
鞠子姫が空を指差す。
文を手にしたまま見上げると、白い羽根のような雪がひらひらと舞い降りて来た。
「もう霜月かあ」
季節はいつの間にか冬になっていた。