第五十三話
「もしかして、緊張しておられる?」
頼通様が柔らかな口調で声をかけてくださる。
「は、はい。それはもう」
「おじい様は見た目ほど怖くないから大丈夫だよ」
今度は男の子に慰められる。
おじい様って……では頼通様のご子息?
檜扇の下から男の子を見ると目が合って、彼はにこっと笑った。
利発そうな、可愛い子だ。
「道雅の女房だったら敦成君に会うこともあるの?」
「これ、資定。敦成君じゃなくて今上」
頼通様がたしなめる。
今上って、帝の事か。
男の子――資定様は帝と同じ年ごろに見える。帝も道長様の御孫様だから従兄弟同士だと理解する。
「今上でしたら一度だけありますよ。資定様は仲がよろしいのですか?」
「うん。幼馴染なんだ。帝になってからはなかなか会えないけど」
「帝に《《なられてから》》! お会いしたいのなら早く殿上できるようにならないとね。そのためには……」
「勉学でしょう。父上はそればっかり」
資定様は頬をふくらませてその場に寝ころんだ。
「これ資定。客人の前で何という格好だ」
道長様が戻って来られて嗜める。
「はいいっ、おじいさまっ」
しゃんと姿勢を正す資定様。
思わずみんな笑ってしまい、場が和んだ雰囲気になった。
「さて、道雅にこちらを渡してもらえるかな」
道長様は文と緋色の巻物を私の前へと置く。私は丁寧に受け取って、巻物の方を眺めてみた。
巻子本か。
くるくる回して外題を探してみたが、表紙には何も貼られていない。
「唐物であまり出回ってない詩集だが、女房殿は漢学の心得がおありか?」
「いいえ、私などとても。美しい表紙に見とれてしまいました。あの、急な訪問で長居は失礼ですので、私はこれにてお暇致します」
深く頭を下げ退室した。
惟義もいないし、ボロが出る前に去らなくては。
庇に出て出口へと向かうと、
「聞いた話を外で話すでないぞ」
とまた背中から低い声をかけられた。
背骨が凍りつく――これで三度目。
「え?」
「聞いておったであろう」
「な、何をでしょうか……」
「……まあよい。そたなの名は?」
「お、近江にございます」
とっさに他の呼び名が出てこなかった。
「最後に顔を見せておいてもらおうか?」
有無を言わさぬ圧力を感じ、私は振り返って檜扇を下ろした。目を上げて彼を正視する。
前に立つ男は、老齢だか精悍な顔立ちの男――これが藤原道長――権力のトップにいる男――
鳥肌がたち倒れそうになった。