第四十四話
数日後。
つい先日、顕成に「馬になんてもう乗ってない」と息巻いておきながら、今、私は馬の背に揺られている。
しかし手綱を取るのは私ではない。
「近江、いや、月――いやいや、庵主どの。とりあえず私の邸でよいかな?」
背中から軽い調子でからかい半分の声がかかる。
「は、はい。道雅様」
庵主どのはさすがにないでしょう――と突っ込みたいのを我慢した。
私は笠を被り、黒染めの袈裟を着ていたのだ。
何でこんな事になってしまったのか。
私はため息をついた。
事の発端は、兄上の邸での呪咀人形発見事件である。
「呪藤原月子」と彫られた人形が庭から出てきたので、兄上は大勢の祈祷僧を邸に呼び、連日の読経をさせ始めたのだった。
当の私は人形なんて子供だましなもの全然怖くなかった。
むしろ、そんな馬鹿げた方法で私を崩り去れると考えた敵に怒りを覚えていた。
私は目に見えないものは信じない。
幼い頃、「早く寝ないと物の怪が出る」と母上や女房に脅されたものだが、ある夜、こっそりと月明かりで物語を読んでいるうちに朝になってしまった事があった。
私は何も出てこなかったこと事に気付き、物の怪の存在に疑問を持った。
その後も、「鬼が出るから近寄るな」と言われた庵を見に行っても何もなかったし、陰陽師に言われた凶だという方角にわざと向かったり、いろいろ試してみても言われたような不幸は起こらなかった。
だから、人形なんかで人を呪い殺すなんて事、あり得ないと思っている。
恐ろしいのは、そこまで行動するに到った、その人の怨念の方だ。
で、私が、一体何をした?
密談の内容を聞いたとでも思われている?
――であればお望み通り、探り当ててみましょうか?
顕成は邸でじっとしていて欲しいと言ってたけど、状況がまた一変してしまった。
寝殿でそんな事を考えながら祈祷の席に座っていると、こちらを時々ちらちら見ている若い僧がいるのに気が付く。
私か周りの女房が気になるのかしら?
と言っても御簾を下げているから手元しか見えないはずだけど。
その夜、その僧が私の部屋に忍び込んできたのだ。
私の寝台に近付き、被っていた夜着を剥がされたが、すぐさま立ち上がって僧の腕を掴んだ――のは、私ではなく藤助だった。
「藤助、ありがとう」
几帳の裏から私は出た。
僧が震えながら小刀を握りしめているのに気付く。
すぐさま藤助がそれを叩き落とした。
「あなた、私を殺めようとしたわけ?」
「いえっ。少し脅すだけのつもりで……」
「脅す? 何故? 一体誰の差金? やっぱり惟義なの?」
「ええっ?」
図星だったのか、僧は驚いた顔で私を見た。
「姫様、何か書状のようなものを持っています」
藤助が差し出した紙を受け取り、開いて読んだ。
『口是禍之門
舌是斬身刀
閉口深蔵舌
安身処処牢』
口は禍いを招く門であり、舌は身を斬る刀となる。
口を閉じ、奥深く舌をしまっておけば身の安全は保たれる?――これは警告文だ。
「これを枕元にでもその小刀で刺して置いていくつもりだった、という事?」
僧は観念したかのように頷いた。