INFECTED PROVIDENCE#1 /2
「お、あったあった」
リカルドはうずたかく積まれた中から一枚のメディアケースを引き抜き、テーブルに置く。
「カルテット・シャークだと。頭が四つあるサメらしい。もう何でもありだな」
机に置かれたメディアケースには確かに頭が四つあるサメが描かれていた。
厳ついフォントで書かれた〝カルテット・シャーク〟の文字とは裏腹に、サメはどこか可愛らしい造形をしており、そのギャップがこれでもかというほどB級感を醸し出していた。
安っぽいサメ映画を好むヤオにとっては正しく垂涎ものの一本だが、反応は薄い。その理由は極めて単純だ。
「悪いが、これは観たことがある」
「マジかよ。相当プレミアついてたぞ、これ」
「なんなら、人生で一番最初に観た映画がこれだった」
「つまりアレか? 元凶ってことかよ?」
「まあ、そうなるか」
「何だってこんな映画を観ようと思ったんだよ。普通に生きてたらこの映画を知ることねえだろ」
ヤオは空になったグラスを置き、再びプラスチックのスプーンを手にして炒飯を突き崩していく。
「昔の知り合いに映画が好きな奴がいて、そいつがサメ映画の話ばかりしてた」
「おい、嘘だろ。サメ映画の師匠がいるなんて初耳だぞ」
何がおかしかったのか、ヤオはふっと笑みをこぼした。
「あの人は俺とは違って映画なら何でも観ていたみたいだったが……何故か、つまらない映画を観た時だけ感想を聞かせてくれた。感想というか、愚痴だったな。あれは」
こぼした笑みがそのまま整った口元に残る。
どこか幼さすら感じられるその笑みは、普段の不機嫌そうな表情からは大きくかけ離れていた。
「うんざりした顔で『クソみてぇな映画だった』と愚痴られているうちに、段々と興味が湧いた」
「それでわざわざカルテット・シャーク探して観たのかよ」
「ああ。師匠曰く『クソの中でもとりわけクソ』だそうだからな」
「なるほどな。よく分かったぜ。そのサメ映画師匠が全ての元凶だ」
「……はは、そうかもな」
珍しく皮肉を含まない笑い声を漏らしたヤオにに、リカルドは目を丸くする。
「何だ」
「いや……お前さんもそんな風に笑うんだなと思ってよ」
ヤオはようやく自分が笑みを浮かべていることに気づいたようで、少し恥ずかしそうに顔を背けた。年相応のあどけなさは鳴りを潜め、たちまちに普段の不機嫌そうな面持ちへと戻ってしまった。
「そのお師匠様に会ったら言ってやりてえよ。あんたが弟子に変なこと教えたせいで、俺ん家のラックがサメ映画で溢れてやがるって」
「もういない」
「え?」
「もう、この世にいない」
「……そうか」
それ以上何も言わず、リカルドは再びハンドヘルドデバイスに視線を落とした。
沈黙が流れる中、ヤオは散々崩した炒飯をスプーンでかき集め、山盛りに掬ったそれを口に押し込む。
――味がしない。
油に塗れた粘土の粒を食べているような気分だ。
ロトス島での一件があって以来、ヤオは食べ物の味と香りをあまり感じなくなっていた。
普段から味より量を重視しているため、基本的に口に入るのであれば特に問題はない。そもそも、食べ物の〝味〟をきちんと感じられるようになったのはパシフィカに来てからのことなので、ある意味では昔の状態に戻ったとも言える。
だが、どれだけ飢えていようと食べられないものもあった。
生魚はその最たるものだ。豚肉も得意ではない。
それから――。
「お、三分経ったか」
リカルドは鳴った瞬間にアラームを消し、カップ麺の蓋を勢いよく剥がした。部屋に味噌とにんにくの匂いが漂う。
「こんなインスタント麺じゃなくてアカシマ横丁のラーメンが食いてえよ。ひとりでやってると店空けられねえからなあ」
そんなことをぼやきながら麺を啜るリカルドの斜向かいで、ヤオは手にしていた紙の容器をテーブルに置いた。
「まあ、これも不味かねえけど――って、どうした」
ヤオは口元を両手で覆い、何かに耐えるように一点を見つめ続けている。元々白い肌が今ばかりは蒼白となり、珍しく冷や汗までかいていた。
「何だよ、食いすぎて吐きそうなのか?」
「いや……問題、ない」
「嘘つけよ。顔真っ青だぞ」
心配したリカルドがカップ麺をテーブルに置く。
ヤオは自分の前に置かれたそれを見てますます顔を青くさせた。華奢な体が目に見えて震えている。
「お前……もしかしてアレか。麺類が駄目な時期か」
しばらく深呼吸を繰り返したあと、ヤオは渋々認めるように頷いた。
「……そうらしい」
「悪い、何も考えねえでカップ麺食っちまった。あっちで食ってくるから、気分悪いなら横になってろ」
「気にしなくていい。俺が帰れば済む話だ」
「無理すんなって。鏡見てみろよ、死にそうな顔してんぞ」
リカルドはガラクタの中から小さな鏡を引っ張り出し、テーブルに置く。
そこに映る作り物めいた相貌は完全に血の気が失せており、普段より色濃い隈も相まって本当に死人のようだった。
「適当に映画流しとくからよ、落ち着くまでここにいろ。いいな」
テーブルの上のカップ麺を別の場所へと移動させると、リカルドはラックから一枚のメディアケースを取り出し、中のメディアをプレイヤーに挿入する。リモコンを操作して画面を切り替えると、画面には〝アベンジャー・シャーク〟というタイトルと、極めて安っぽいサメのCGが映し出された。
「これ、隠れた名作らしいぜ。ストーリーが普通に良いんだと」
「サメ映画にストーリーの良さは求めてないんだが」
「そう言わずに見てみろって。んで、これを機に普通の映画にも興味を持てよ」
本編再生ボタンを押すが早いか、リカルドはカップ麺を持って部屋から出て行ってしまった。不服そうに廊下を睨んでいるヤオをよそに、テレビには会社クレジットが表示される。
画面が暗転したかと思うと、水音と共に海中の光景が映し出され、そこへ二匹の小鮫が泳いでくる。どうやら稚魚の時からずっと共に生きてきた友人同士らしく、見事なコンビネーションで小魚を追い詰めている様子が安っぽいCGで描かれていた。
二匹の成長の過程がざっくりと描写されたあと、突然不穏なBGMが流れ、片方の鮫が網で捕獲されてしまう。
密猟者らしき男たちは、網の中でもがく鮫を見ながら過剰すぎる演技でもって高笑いをした。
『こんだけでかけりゃ報酬も相当だな。しばらくは遊んで暮らせる』
『それにしても、絶滅危惧種の鮫同士を戦わせるのが流行なんてな。金持ち連中の趣味はさっぱり分からねえ』
『金になりゃなんだって構わない。こいつだって案外、人気者になれて喜んでるかもしれないしな』
『感謝しろよ鮫野郎。俺達のおかげで、お前は三万ドルの価値がつくんだからな――』




