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何か書きたい。  作者: 冬の老人
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ウジウジ悩んで考える。その2

本来なら自分にはどうしようも無いことには集中力を割きたくない。

だが割きたくないと言っても割くしかないのだ。

稼ぐ力も生きる力もない子供には親に縋るほかない。

親の顔色を伺い、親の気を使い、機嫌の良い時、都合の良い時を探る。

そうする他に生きる術がない。子供だから。

そして気づけはいつしか自分は親のみならず他人に気を使う事が自分の中で普通になっていた。

自分のエッセイもある意味そこから派生した物と言える。

他人に興味や関心などない筈なのに、向ける事がもう癖になっている。

自分の事に集中したいのに集中できない。

だから引きこもる。他人がいると他人に気を取られるから、自分の事に集中するために。

そうしているうちに目的と行動が一致しなくなる。

誰かの笑顔が見たくて我慢しているのにその誰かを見るのが苦痛になるのを疲労感や嫌悪感という感覚を通じて頭ではなく身体で理解してくる。


ただ「住む場所と食べ物と金」を与えていれば親であると勘違いしている人間がいる。

日本でそれは親じゃない、毒親だ、と口にして親というものを非難すると「昔はそれだけで有り難かった」「世界には明日生きられるかどうかわからない国もある。」と告げられる。

そして「だからそんな甘えた口を聞くな」と返される。

違う、逆だ。

人が、ましてや子供が甘えるのは何処の国でも、あるいはどんな時代でも甘える。


その甘えを「聴く」のが親の仕事である。

その甘えを満たす必要があるのか、我慢させる必要があるのかを「決める」のではなく「考える」、そして考えた結論を「伝える」のが親の仕事。

そして子供が人に気を使わず「ウジウジ悩む」という選択肢を取らせないように。

子供の代わりにその「ウジウジ悩む」事を引き受けるのが親の仕事。

子供が不幸にならないように、子供が幸せになれるように。

そうやって順当にいけば子供より先に死ぬ親にはどうする事も出来ない子供の人生についてちゃんと悩めば、気を使えば「あなたの事を思って」何て言葉は出てこない。



自らが誰かの事を思うのは一人の時にでも出来る。

誰かの「様子」を伺うにはその人の今を「見る」必要がある。

その人がたった今発した言葉を「聴く」必要がある。

相手の言葉の中に含まれる意図を「どう解釈すればいいのか」と考える必要がある。

相手の「今」に集中すれば相手の事、つまり相手の「未来」の事を「今の自分」が気にかける余裕などない筈。

しかし自分の「今」に集中しているから相手の「今」に気を使えない。

だから相手に期待を口にする。

期待するということは相手の「未来」に何かを要求しているという事。

だから自分の「過去」の苦労を口にして他人に恩を着せる。

相手の今、現在に対して「情に訴える」。

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